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ゲンバノミライ(仮)第52話  懇願する本村さん

「なぜ、あんなことをやろうと思ったんですか?」
「やるせなくなって、やりきれなくなって。だって嘘じゃないですか。復興だなんて。よくそんなことが言えますよね」
「この街を復興させようと多くの方々が努力しているのは事実ですよ」

「復興って、何ですか? ビルができることですか?」

「違います。普通の暮らしに戻ることです。それは、前とまったく同じではないかもしれません。残念ですが、同じ形を再現することは難しいと思います。けれども、できれば以前よりも少しでも良いと思えるような日常を取り戻していただきたい。そう思って、復興事業に取り組んでいるんです」

「元に戻りたいんです。あの日の前に戻りたいんです。あなたたちから見たら、みすぼらしい生活に映るかもしれませんが、私達にとっては満足だったんです。あれで良かった。いや、違います。あれが良かった、あれが良かったんです」

「お気持ちは、お察しします」
「察してほしいなんて言っていません! あなたに何が分かるの! 分かってほしいんじゃないの。そうじゃないの、戻してほしいの!」
「……」

「あの日の大きな揺れで棚とかは倒れてしまったけれど、壁にひびが入ったり屋根が落ちたりするようなことはなかった。片付けは大変だと思ったけれど、でも、少し高台だったから、海の近くのような被害はなかったの。けれど、お隣さんはうちよりも古くて、家が傾いてしまって頭を抱え込んでいたわ。今にも崩れそうで危なくて家には入れなくて、うちで非常食を食べてもらって、現金もあったから少しだけお貸したのよ。困った時はお互い様だからって」
「あの時は本当に皆さん、ご苦労されたと伺っています」
「あの時じゃありません! 今もです! 今の方が辛いんです!」
「……」

「そう言うと、黙るんですよね。申し訳なさそうな顔だけ見せて」
「……」
「分かっているんです。あなたが申し訳なく思わなければいけない理由なんて無いことは。分かっています。でも、だって、だって、どうしようにも…」

「……」

「ご近所の方は、どうされたんですか?」
「そうそう。あの日、携帯電話でテレビを付けて、沿岸部が大変なことになっていることが分かって、余震もすごかったけれど、私達の被害なんて海に近い方たちに比べたら全然たいしたことないって、そう思いました。
 夫は山登りが好きで、テントとかランプとかキャンプするような道具をたくさん持っていたんです。それで、ご飯を炊いておにぎりにして、お隣さんだけじゃなくて近所の皆さんに振る舞いましいた。それはもう喜んでもらえて。
 命があるだけで有り難い。それだけで十分って、暗がりでおにぎり食べている時は思いました」
「そうでしたか。でも、それもつかの間だったんですね」


「家が大丈夫な方は自宅に戻られて、うちには私達夫婦とお隣さんだけが残りました。停電がいつまで続くか分からないので、ランプも大事に使った方が良いって夫が言うので、とりあえず早く寝ることにしたんです。
 夜中もぐらぐら揺れて熟睡なんてできません。でも、疲れもあって気がついてら寝入って。そうしたら、夫から『おい! 今すぐ起きろ!』って、揺り起こされて。お隣さんも起きていて、青ざめていました。『ここにいちゃいけない…』って。

 あの事故です。大丈夫だって、危険なことは絶対に起きないって、そう言われていたのに。防災無線から『避難してください』って放送が流れていて。なんで? どうして逃げないといけないの? 訳が分からなくて…。

 私も夫も、あの街で生まれ育って、ちょっとは都会の方に住んだこともあったけれど、ずっとあの街で暮らしてきて。二人で必死に働いて家を建てて、息子も家庭を持って、孫ができて、たまに会えることが楽しくて。
 普段は、裏の畑の野菜の面倒を見て、ご近所さんとお茶を飲みながらおしゃべりして。

 それだけなんです。たったそれだけ。
 でも、幸せだった。毎日、楽しかった。生き生きしていたの。
 だから、元に戻りたいの」

「分かりますなんて簡単には言えません。悲しいですね」
「そう。悲しいの。何にもやる気が出てこないっていう落ち込む気持ちと、何で私たちだけがこんな目に遭うの?っていうやりきれない気持ちがね、行ったり来たりして、自分でもどうしようもなくなってしまうの。心の中が煮えたぎるような抑えられない気持ちが沸き上がってきて。こんなこと、今までなかった」

「……」
「私はね。人の笑顔が好きだったのよ」
「……」

「この街には、いついらしたんですか?」
「災害が起きた翌年よ。息子が役所で働いていて、夫が死んでから、一緒に住もうって」
「……」

「夫はね、お酒が好きだけれど、下戸だったの。ほんの少しで顔が真っ赤になって、すぐに寝ちゃうの。
 ちょっと飲んで、『旨かった』って、ニコニコしながらスヤスヤ眠るの。子どもみたいに。
 でも、避難してから眠れなくなった。ちょっとずつお酒の量が増えて、形相が変わっていって、怒鳴り散らすようになった。

 あんな人じゃなかった。『お前と一緒になれて俺は幸せだぁ』って、笑顔で言ってくれる優しい人だったのに。嘘みたいに変わったの。
 飲み過ぎると次の日に辛くなるから、ほどほどにするように言うんだけど、聞いてくれなくなって。『何だ、その目は。どいつもこいつも俺のことを馬鹿にしやがって!』って、仮設住宅全体に響くような大声で、怒鳴り散らされて。
 夜だけだったお酒が、昼間から飲むようになって、朝起きてすぐにお酒に手を伸ばすようになって」

「ご苦労されたんですね」
「顔を合わすたびに怒鳴られるようになって。茶飲み友達ともちりぢりになってしまっていたから、どこかに出掛けようにも行く場所もなくて。
 こんな人、いなくなればいいのに。そう思ったの」
「えっ?」
「うふふ。そうしたら、いなくなったの」
「どういうことですか?」

「何もしていないわ。
 足をくじいていて思うように動けない時で、いつもだったら私がお酒を買いに行かされるんだけど、行けなかったの。それで、夫は自分で買いに行って。あの時も酔っ払っていたからふらふらしながら出て行ったわ。
 そうしたら全然帰ってこなくて。出掛けたのは午前中だったのに、夕方にも帰ってこなくて。心配になったんだけれども、私達は周りに迷惑がられていたから相談する相手もいないし、部屋でずっと待っていたわ。
 夜になっても帰ってこなくて、息子に電話したら、警察に掛けてくれて。そうしたらパトカーが家まで来て。警官に『一緒に来てください』って言われたの」

「……」
「転落死だった。仮設住宅は上の方にあって、坂をぐるっと回らないと行けなかったの。歩くと面倒だから近道しようと柵を越えて斜面を上り下りする人がいたのよ。私はあんな急なところ歩くのは無理だけど、夫はたびたび使っていたみたいなのよね。
 お酒を買ってからの帰り道に近道しようとして足を滑らしたんじゃないか。警察では、そう説明されたわ。それだけじゃなくて、その日に何をしていたかを何度も聞かれたけれどね。一人で家にいて、誰とも会っていないから、私も疑われたのよ。毎日、大声で喧嘩していたのは周りもよく知っていたからね。いなくなればいいのに。そう思ったことはあった。でも、殺したりしないわ。
 だいたい足が痛くて、夫を突き落とすなんて無理よ。足が悪かったのを病院で確認して、警察からはようやく信じてもらえたけれど、周りはそうじゃなかった。『旦那さんが亡くなってお気の毒ね』とか慰めているふりして、心の奥では私が殺したって思っているのがありありだった」

「それで、息子さんを頼りにこちらに来たんですね」
「いてもしょうがないじゃない。家はあるのに帰れないのよ。帰っちゃ駄目だって。何とか区域とか言われても私、分からない。
 ビニールの服を着せられて一回だけ夫と一緒に帰ったけれど、それっきり」
「そうだったんですね」

「思い出したわ。あの後よ。夫がおかしくなったのは。
 一度だけ家に戻った時よ。玄関から鍵を開けて入ったら、家の中が荒らされていたの。仏壇の裏まで引っかき回されていて。指輪とか金目の物はあらかた無くなっていたわ。
 夫は役所に言ったの。『犯人を捕まえてくれ!』って。警察にも電話した。でも、それっぽいことを言うだけで、誰も何もしてくれなかった。
 私達が何か悪いことした? なんでこんな目に遭わないといけないの?」

「……」
「ねえ、教えてよ。悪かったら直すから。謝るから。何でもするから! 何でもするから!」
「落ち着いてください! 何も悪くないです。悪くない!」

……。

………。

…………。


「どうして、このような手紙を出したのですか?」
「憎かった…」

「憎かった? 憎かったのですか?」
「息子に車で連れられて、工事現場の近くを通ったの。
 『復興五輪を成功させよう』って大きな横断幕があって、沢山の人が忙しそうに働いて、土が運ばれて、建物ができてきて。あんなにぐちゃぐちゃだったのに。
 ニュースで見たわ。聖火ランナーが走ってた。外出自粛とか言ってるくせに、周りにたくさん人がいて盛り上がっていて。
 何で、って思った。何でこんなに違うの。私達は家があるのに追い出された。私の生活も戻してよって思った。

 どうせ都会の人たちなんて、私達のことなんて何も考えていないのよ。
 だったらせめて。せめて、ここの人たちくらい一緒に耐え忍びながら待っていてほしかった。それなのに、自分たちだけ元に戻ろうとしている。自分たちだけ復興するなんて。
 頭がおかしくなりそうだった。ずるいと思った…。そんなのずるいわ」

「いろいろな感情をお持ちの方がいるのは、確かにそうだと思います。けれども、この街の方々も不安と不満を抱えて苦しみながら毎日を過ごして、新しい街ができるのを辛抱強く待っているんです」

「そんなこと、分かっているわよ! 分かっているのよ、私だって。

 あんな恐ろしい災害で街が飲み込まれて。辛いに決まってる。苦しいに決まってる。そんなの分かるわよ! 元に戻ってほしい。そんなの当たり前じゃない!
 分かってるの! 分かってるけど嫌なの。嫌だったの!」

「送られてきた手紙には『爆弾を仕掛けることにしました』と書いてあります。
 これは本当ですか?」
「…」

「現場では今、1000人近くが働いています。関連している方を含めると、もっと沢山の数になります。
 所長の西野がお手紙を確認したのは朝9時過ぎでした。すぐに現場を止めました。爆弾を仕掛ける場所については何も書いていませんでした。安全を考えて、現場や事務所だけではなく宿舎からも全員待避させました。
 機動隊の爆発物処理班に出動していただいて、事務所と現場内を点検してもらっています。今のところ、爆発物が発見されたという報告は上がってきていません」
「……」

「教えてください。嘘なんですよね」

「ごめんなさい……」
「なんで、こんなことやったんですか。あなたが苦しんでいるのは分かります。けれども、これは犯罪です。
 傷つけられたからと言って、人を傷つけて良いとはなりません!
 『嘘で良かった。めでたし、めでたし』なんて簡単なことじゃないんです!
 本当は爆発物を仕掛けていて、油断させようとしているかもしれない。本当に安全を確認するまで現場は再開できません」

「爆弾なんか仕掛けていません。
 手紙を送っただけです。申し訳ございません…」
「警察の方が外で待機していて、一部始終を聞いてもらっています。自首していただけますか」
「は…い…」
「CJVの本村です。警察の皆さん、よろしくお願いします。
 三好さん。私はここで失礼いたします。息子さんにも連絡しています」

 この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の副所長である本村雅也は、警察官が三好節子の身柄を確保する様子を見届けてから部屋を出た。
 現場内で使っている連絡調整アプリで、所長の西野忠夫を呼び出した。

「本村です。話を聞いていたと思いますが、やはり狂言でした」
「ご苦労様でした。自分の名前と住所を書いて爆弾テロを宣言するなんて聞いたことがありません。おかしいとは思いましたが、嘘だと分かってほっとしました」
「筆跡鑑定はできましたか?」
「こちらに住民票を移した時の書類が残っていて、手紙と同一人物だと確認が取れました」
「それは良かったです。現場の方はどうしますか?」
「警察からは、まだ油断しては駄目だと言われています。一通り安全確認が済むまでは再開が難しいですね。
 今週は諦めて、来週から再開しようと考えています」
「分かりました」

「本村さん」
「はい?」
「何を思いましたか?」

「身勝手な考えです。勘弁してほしい。それに尽きます」
「そうですね」

…。

「所長」
「何でしょう?」
「ただでさえ工期が厳しくて、感染症にも振り回されています。
 その上、こんなことで現場を止めることになるなんて。許せるはずがありません。
 でも、三好さんも息子さんの家族も、間違いなくこの街を出て行くことになる。それで十分という感じもします」
「そうですか」

「三好さんほどドンピシャじゃありませんが、私もあっちの方の出です。思うところはあります。
 仕事だから『復興五輪』って横断幕を付けさせましたけど。正直、気持ちは複雑です。
 温度差ってことなんでしょうけど。そんな簡単に説明できるようなシンプルな感情じゃありません。
 遠くでのんきに暮らしている奴らには手が届かないから、せめて近くにいる奴らには同じ場所にいてほしいって。くそみたいですが、自然な感情ですよ」
「…」

「すいません。言葉が過ぎました。忘れてください」
「大丈夫です。気にしていませんので。余計な話までしてくれて、ありがとうございます。穏便には済みませんが、CJVから荒立てるようなことは極力避けましょう」
「所長…。よろしくお願いします」

 本村は、連絡調整アプリを切った。
 懇願するように言葉を発した自分が、なんだか滑稽だった。
 本村は、三好を移送するパトカーが見えなくなってからも、しばらくその場で佇んでいた。

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