見出し画像

ゲンバノミライ(仮) 第53話 笑顔の黒田さん

くっくっくっ。笑いを押し殺す苦しそうな息づかいが車内にまん延する。
黒田沙織は、仕事を終えて会社の寮まで帰るまでのこの時間が1日で一番好きだ。

車から下りると、先輩の梨本洋子が距離を取ってから「あ~あ。もう笑いが止まらなくておかしくなりそうだったわよ。ここまで来ると、テレビ番組の罰ゲームだよ」と声を吐き出した。ほかの面々も「さおりんの話は中毒性があるよな。お笑い芸人になった方がいいよ」「俺も死にそうだった」と楽しそうに呼び掛けてくれた。


満面の笑みでガッツポーズを見せると、遅れたタイミングで大きな笑い声が聞こえてきた。
運転手を務めていた職長の坂下正だ。
「さおりん、これって本当か! こんな話できすぎだよ。芸人のネタだよ」

「本当なんですよ。私、すごく可哀想じゃないですか。信じられないでしょ!」
黒田は、左右の指を器用に動かして、各メンバーのチャットにメッセージを送った。即座にどっと笑い声が起きて場がわいた。
「たまには運転を代わってくれよ。俺も一緒にさおりんの話を聞きたいよ」
坂下が、いつものようにぼやいた。

「え~、嫌ですよ。私たちの楽しみを取らないで下さい!」
梨本が即座に拒否して、もう一つ笑いが起きるのも、定番のパターンだ。
皆が笑顔で「お疲れ様!」「また明日!」といって各自の部屋に帰っていく。
誰よりも満足なのは黒田だ。何を話そうか。仕事中以外は、ずっとそのことばかり考えている気がする。

感染症が蔓延するようになって、現場と行き来する車内での会話を控えるようになった。一緒にいるのに誰も話さない。沈黙の時間が、お互いの関係性を遠ざけているような状況があった。それは良いことではない。
スマートグラスのチャットでたわいのない面白ネタを披露するようにしたのは黒田のアイデアだった。
黒田の入力は誰よりも早かった。機械音声での出力も可能だが、声が出ると、ついついしゃべり出してしまうため、スマートグラスへの文字表示だけにとどめている。

黒田が、鉄筋工としてこの街の復興工事に従事してから1年以上になる。感染症が広がって不自由な思いをしているが、それ以上の自由を得た。
世の中って捨てたものじゃない。

生まれつき難聴で、幼少期から手話を使って暮らしてきた。お笑いが好きになったのは、海外のコメディー映画がきっかけだ。声や音楽は聞こえないが字幕で会話が分かる。笑いすぎて映画館の席から転げ落ちそうになった。隣にいた両親が、花が開いたような満面の笑顔で喜んでくれた。
「私が楽しいと、みんなが幸せになるんだ」。そんな気持ちが芽生えた。

人工知能(AI)による会話認識技術が進歩して、すべてのテレビ放送が、ほぼリアルタイムに字幕表示されるようになると、食い入るようにお笑い番組を見るようになった。ネタ帳を書き始めたのもその頃だった。
中学校はろう学校に進学した。手話とおかしな表情を組み合わせて、クラスメートを笑いの渦に巻き込んだ。

だが、普通高校に進学すると状況が一変した。手話が通じないので、今までのようにコミュニケーションがとれないのだ。クラスメートや先生は協力的で、疎外感に包まれていた訳ではない。口の動きが見えればおおよその内容は分かる。だが、自分から伝える時には筆談ボードを介するしかない。そうすると、どうしもスピード感が出ない。笑いに欠かせないテンポが生み出せなかった。

いろいろな相手と楽しく話したいと思っていた中学時代とはうって変わり、極力コミュニケーションを取らずに黙々と手仕事をするような場にいたいと思うようになった。

部活動を終えた週末の帰り道に、建設の職人が仕事を紹介するイベントを街で見かけたことが鉄筋職人の世界に入ったきっかけだ。

広場には、見かけないごちゃごちゃした物が立ち並んでいた。現場で使っている足場や、鉄筋コンクリート構造物を造るための型枠、道路の舗装に切り込みを入れるためのコンクリートカッター、コンクリートの固まりを破砕するためのブレーカー、後部がぐるぐる回るミキサー車。周りにはニッカポッカの威勢の良さそうなおじさんたちがうごめいている。

正直、ひよった。いや、びびった。

見なかったことにしよう。

そう思って通り過ぎようとしていた。

なぜだろう。見たらいけないと思うと、気になってしまう。
興味があるように誤解されないよう、できるだけ自然な素振りで視線を揺らしてチラリと見たときに、目に入ったのが黙々と作業する職人の姿だった。

今から振り返ると、本当に妙な光景だった。
子どもや若者の関心を呼ぶためにフェイクで鉄筋を組んでいるだけなのだが、来場者になど目もくれずに、ただひたすらに、いや、本当にひたむきに目の前にある鉄筋を結束線で筋結していたのだから。

あの職人の周りだけ空気が違って見えた。
思わず立ち止まった。遠目で見ていた。
すると、網に掛かった獲物を待ち構えていたように若い2人組が笑顔で寄ってきた。

「現場の職人の仕事に興味ない?」
そんなことを言ったのだろう。普通であれば筆談ボードを取り出してコメントするが、引き留められるとやっかいな気がして、思い切り手を振って興味が無いという意思を示して、足早に立ち去った。

だが、なぜか頭から離れず、インターネットでイベント内容を調べてみて、鉄筋工の職人が実演していたのだと理解した。

いいなと思った。
周りがどうとかではなく、自分の腕で一心不乱に物を造るという姿勢に惹かれた。

調べてみると、鉄筋工という仕事は、図面を読み込んで決められた位置に鉄筋を据えて、交差する部分を結束線と呼ばれる細い鉄線で固定するらしい。複数の人のグループで作業するためコミュニケーションが求められるが、職長が職人に指示しながら作業するため、努力して理解すれば十分に対応できるように思えた。

幸いなことに体力は人並みにある。
黙々と体を動かせば、役に立てるのではないか。
今まで全く興味が無かったが、大きな建物や構造物を造る一助になれるのであれば、それはそれでワクワクする。

高校で仲良しはたくさんできた。でも、いつも一方通行で与えられる側にばかりいる気持ちが募っていた。自分をどんどん縮める方向に作用していた。

ありがたいし、感謝している。それなのに素直に喜べない。
そんな自分が嫌だった。

今の会社は、インターネットで探した。
「未経験でも年配の方でも、どんな人でも大歓迎!」
そう書いてあったから、生まれつき耳が不自由なことも明記して、高校卒業後に働いてみたいと応募した。
メールを書いた2時間後に、社長の古川茂からメールが来た。

「どうやってコミュニケーションできるかだけ確認したいと思います。だけど、多分大丈夫。やってみよう!
 明日、面接に来てください!」

ちょっと一方的だと感じた。
けれど、家の電話にも連絡してくれていた。
母には、こう伝えたという。

「お嬢さんが、本当に活躍できるかは分かりません。コミュニケーションが問題です。
でも、今は新しいツールができてきています。
今はちょっと苦労があっても、数年たてば問題ない時代が必ず来ます。
僕は、鉄筋屋をやってみたいというお嬢さんの意欲を大事にしたいんです」
抑制の効いた落ち着いた口調だったそうだ。

翌日は、筆談ボードと、タブレット端末、キーボードを使って面接を受けた。キーボードで打ち込んでタブレット端末に表示した方が早く返答できるので、そのやり方で良いかと聞いたら、満面の笑みで「OK!」と言われた。

自分の長所は何か。体力はあるか。どんな夢を持っているか。どんな時に幸せを感じるか。
両親の好きなところはどういう点か。楽しかった思い出は何か。

質問に対して淡々と打ち込んでいった。

古川は、真剣に聞いてくれた。

「黒田さん、合格です。

鉄筋屋って大変です。真夏や真冬も外で作業します。極力避けますが、雨が降る中で仕事をしなければいけない場合もあります。楽な仕事ではありません。

でも、僕はあなたが仲間に入ってくれると嬉しい。一緒に頑張って下さい。よろしくお願いします」

そう言って頭を下げてくれた。
大の大人が、しかも、小さな会社とは言え一国の主である社長が、こんな小娘の自分に真摯に向き合ってくれることが嬉しかった。

就職してからは、メモを取る野帳と筆談ボードを駆使して、必死になって周りとやり取りしながら仕事を覚えていった。

言われた通りに運んで鉄筋を縛るだけだが、それが簡単ではない。
足場板が敷いてあれば良いが、そうではない不安定な足元で作業する場面も多い。ちょっと転んだだけで大けがするような危険が隣り合わせにある。
だが、目の前の作業に直面すれば淡々と集中して取り組むだけだ。音が無いことは不自由だが、余計な音に気が紛れることもない。

正確で仕事が早い。そうした評価が、次第にもらえるようになっていった。そして、あの災害からの復興の現場に呼ばれた。何かの役に立ちたいと思っていた。実家から初めて離れることなど全く気にならなかった。躊躇(ちゅうちょ)無く「行く」と答えた。

ちょうど、DX(デジタルトランスフォーメーション)と呼ばれる進化が黒田の世界を変えようとしている時期だった。
スマートグラスが全職人に手渡され、作業しながら図面やチャットを確認できるようになった。声を軸としたコミュニケーションが大きく変わった。

無線や携帯電話のやり取りは昔から多かったが、多くの人に正確に指示する上では、スマートグラスのチャットの方が有利だった。地声であれば近くにいなければいけないが、そうした制約もなくなる。健常者はマイクから声を入力すればそれがそのまま文字起こしされ、チャットに表示される。チャットの内容を音声に変換することも可能だ。

1対1のコミュニケーションであれば電話の方が良い場面もあるが、文字と音声を個々人が自由に選択できる手段が加わったことで、黒田にとって不利な面が薄まった。

そこに新たな入力方法が加わったのは画期的だった。
左右の指の動きで文字を入力できるフィンガリング・インプット(Fingering input)、いわゆるFingin(フィンギン)だ。

右手の人差し指を前にちょんと出すとアルファベットの「k」に、左手の人差し指を右に振ると「i」というように、両手に母音と子音が割り振られており、両手を同時に動かすと「き」になる。両手に合わせてキーボードのようにタイピングができるのだ。右手でグーをすると変換され、パーにすれば訂正できる。人によって動かしやすい指は異なり、利き手も違うため、入力の割り当ては自由に設定できる。

開発段階だったが、ニュースで目にした古川が、フィンギンがあれば黒田のような人たちがもっと現場で活躍できると考え、元請としてこの街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)に試行導入を提案した。CJVはダイバーシティー(多様性)の推進になると快く受け入れてくれた。

「この現場でうまくいったら、他でも広げていきたい。その時には、あなたが先生になって、仲間たちに教えて下さい」

CJV所長の西野忠夫から、そう告げられた時には身の引き締まる思いがした。コミュニケーションに苦労する仲間たちはたくさんいる。自分が少しでも役立てるとしたら、どんなに嬉しいことか。

黒田は、必死に操作方法を覚えた。タイピング練習ソフトのような訓練ツールが用意されており、何度も何度も繰り返していくと、徐々に入力速度が上がり入力ミスは減っていった。AIが入力者の癖を覚えて、微妙に間違えた場合も打ちたい言葉に寄せていってくれる。やればやるほど入力が滑らかになっていった。
1カ月ほど練習してから、黒田は現場の作業で使い始めた。

想像以上の効果だった。健常者が声を発するよりは時間が掛かるものの、今までと比べると意志を伝える速度が格段に上がった。インターネットを介して、誰にでも伝わる手話を目の前で見せているような感覚だ。職長の坂下や先輩の梨本からも、リアルタイムでの会話と遜色なくやり取りできると好評だった。
それは、黒田にとって「声を持つ」こととイコールだった。

噂を聞きつけた現場内の新しもの好きな若手から、「教えてほしい」と声が掛かるようになった。声の場合は、言葉がかぶると意思疎通ができない。発言者は言葉で指示して、別の人たちはフィンギンで応答するというようなやり方ができれば、健常者が使ってもメリットが大きいという意識があった。コミュニケーションがより円滑になれば現場作業にとってもプラスになる。
新たな入力デバイスを手にしたことで、仕事がはかどるようになると、鉄筋工としての腕も上がっていった。そうすると仕事がもっと楽しくなる。黒田は、自分が今まで感じたことがないくらいに生き生きしていることを実感していた。

そして、ふと思いがよぎった。

諦めていた夢に挑戦できるのではないかと。

お笑い芸人という夢だ。

相方とコンビを組んだ場合を考えてみた。相手の言葉はスマートグラスに即座に表示できる。黒田は、その言葉に対してフィンギンで応答し、音声に変換して観客に聞いてもらう。練習したネタであれば、タイムラグ無くやり取りできるはずだ。
ネタの内容によって音声を変えたら、見せ方のバリエーションを広げることができる。そうなれば、聴覚障害というハンデが健常者だけのコンビを超える武器になるかもしれない。

この国で、ビギニング・オリンピック、いわゆる「ビギニンピック」が初めて開かれた。オリンピックとパラリンピックの後に、両方の上位者が争う総合競技会だ。試行の域を出ていないが、始まりという言葉に自分が生きていく未来への期待を感じたのは、黒田だけではないはずだ。

兄が義足、弟が健常者という双子のトップアスリートが、世界の同じ舞台で戦う場面があった。
「昔からずっとライバルだった。やっと世界が追いついてくれた。ライバルと一緒に競技できれば、もっと記録が伸びる」
涙ぐみながら、けれども力強く言っていた姿が黒田の目に焼き付いていた。

あるコメンテーターの言葉が印象的だった。

「語弊がある言い方かもしれないが、こうした大会の有り様から見えるのは多様性の広がりではなく、同質性の対象となる範囲の拡張ではないか。同じ仲間と捉える範疇(はんちゅう)が広がっただけだ。

例えば、同じ学校にさまざまな国・民族の人が集い、障害がある人、無い人が一緒にいたとすれば、バックボーンがどうあれ同じクラスメートとなる。支援すべきことがある状況は変わらなかったとしても、それは違いというより個性と捉えた方が正しい。

技術と意識が変われば、オリンピックだパラリンピックだと分ける必要性が薄くなる。多彩な競技種目という枠の中で捉える方向に行くのだろう。
『オリンピックとパラリンピックって、分かれていたんですか! 知らなかった』。若者がそういう風に言う時代がきっと来るはずだ」

世界は動いている。

自分も変わりたい。

そう思うのだ。

黒田は、入社面接での古川とのやり取りを思い出していた。
「あなたの夢はなんですか」と聞かれた。
「たくさんの人を笑わせたい。本当はそういう道を目指したかったんです。だけど普通高校に行って限界を感じました。黙々と仕事をして、黙々と自分の腕を磨いて、役に立つような道を目指したいと思いました」
黒田は、そう答えた。

古川は、面接の合格を伝えた後に、筆談ボードにこう書き込んだ。
「夢は諦めては駄目だ。いつか叶うかもしれない。
その時は応援します。頑張れ!」

安全パトロールで都会から古川が現場に来た時に、所属する鉄筋会社のメンバー全員が集まるタイミングがあった。その時に、黒田は皆に夢を伝えた。

「私、鉄筋の仕事を辞めて、芸人の学校に入りたいと思っています。夢に挑戦したいんです」

芸人になる夢は、古川以外は知らなかった。
少しの間、沈黙が続いた。皆が古川に視線を集めていた。

古川が口を開いた。
黒田のスマートグラスにゆっくりと文字が表示されていく。

「黒田さん、分かりました。応援します。

ただ、一つだけお願いがあります。この現場は、まだあなたの力を必要としています。来年の春まで仕事を続けてもらえないでしょうか。そして、鉄筋施工技能士の1級の資格も取って下さい。そうすれば、あなたはどこに行っても鉄筋工のプロとして働けます。

売れっ子の芸人さんになるなんて、どうせ無理だから、保険を掛けておけ。そんなせこい考えではありません。芸の世界のことは分かりませんが、厳しいプロの道なのだと思います。その前に、鉄筋でプロになることで、何か見える物があるかもしれません。それはきっと役に立ちます」

梨本が、ゆっくりと手をたたいた。坂下や古川、周りの皆の拍手が連なり、大きく響いた。
残念ながら黒田には拍手の音が聞こえない。だが、かすかな音の波が体に押し寄せているように感じだ。
ただただ嬉しかった。

「あるがとうございます」
湧き上がる気持ちで指の動きがぶれた。久しぶりの誤入力だった。

「あるがとうじゃないよ!」
梨本のツッコミが入って、皆がどっとわいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?