見出し画像

現代民話 「はししたどん のお話」

昔だけど、昔々というほどではなく、ちょっと昔のこと。これは、昭和生まれのあるお父ちゃんが、そのお母さんの体験したこととして聞いた話だよ。

お母さんが言うには、いつもだいたい午後のお茶の時間あたりになると、近所の皆が「はししたどん」と呼んでいるおじさんが、たいていリヤカーにガラクタを積んで家の前を通っていたんだそう。家から向こうは、坂道が延びていたので、そこを行ったり来たりはなかなかのしんどい作業だったんだ。それでもはししたどんは、どこからかガラクタを集めてきては、山盛りになったリヤカーをえっちらおっちらと引き、それを幾つかの工場で小銭に変えて日銭を得ていた。ときには農家のお手伝いもして手間賃を稼いだりもし、つつましく暮らしていたようだ。誰かが少しお手伝いを頼めば、笑って応じてくれる温厚な人だった。もちろん、他人のものを盗むなんて悪さは決してしない善人だった。
はししたどんは、どこの生まれのどういう人かは誰も知らなかった。皆知っていたのは、家がなくてその先の橋の下をねぐらにしていたこと。だから皆いつのまにか、なんとなく「はし・した・どん=はししたどん」という呼ぶようになっていた。

お母さんは、家の前をはししたどんが通るときは、たいてい声をかけてあげていた。「ご主人、お茶どうですかね」そういうと、はししたどんはにっこり笑って、「それはありがたい。ごちそうなります。」と頭を下げて、リヤカーを脇に寄せ、縁側でお茶を一杯静かに飲んでいった。

ある日、おばあちゃんは、小皿に氷砂糖をのせてお茶と一緒に出した。はししたどんは、氷砂糖は持って帰るというので、おばあちゃんは紙に包んでやると、はししたどんはそれを胸のポケットにいれながら「奥さん、今日もごちそうなりました。おいしいお茶をいつもすみません。このお茶碗はとてもいいお茶碗ですねぇ。」と、花のついた湯飲み茶わんを褒めてくれた。

お母さんは、はししたどんの小さな瞳をひょっと見ると、つい「私もこれは気に入っていたけど、さっき、ひとつ少し欠けちゃってダメにしてしちゃってね…」と言うと、はししたどんの目をちろっと見た。するとはししたどんは、その目をきょろっと動かし「奥さん、もしそれを捨ててしまわれるなら、よければ私、もらってもいいですかね」と聞いてきた。

お母さんは待ってましたとばかりににこりと笑い、「ええどうぞ。ちょっとここで待ってて。今持ってきますから」そうして新聞に包んで持ってきた。
はししたどんがそっと新聞を開くと、そこには欠けていない茶碗が入っていた。「奥さん、これは欠けていないやつですよ。」「ええ?いえいえ、欠けていますって。私は目がいいので見えるんですけど、見えないですかね。どうぞ持って帰って下さい。」
お母さんが、あんまりきっぱり言うので、はししたどんも、自分の目が年のせいでかすんでいるのかなと思い、ありがたく持ち帰ることにした。その晩からはししたどんのねぐらに、初めての頂き物の湯飲みが置かれることになった。橋の下のちょっと薄暗いねぐらの中に、ぱぁっと輝く花の絵柄が愛らしい白い陶器の湯飲み。橋下どんの目には、そこだけやんわりとほかほかとしたもので充ち満ちでいるように見えた。

その出来事からしばらくしてこの街を激しい雨が襲った。雨は幾日も続き、街の皆はこれでは商売にならないとほとほと困ってしまった。
お母さんは、末っ子の坊やが風邪をひいたのか大熱を出し寝込んでしまったのが心配で、大雨の中遠くのお医者に行くよりも、まずは川の向こうの薬局で煎じ薬を買って飲ませようと雨の中を薬局へ走った。
着物に草履で足をもたつかせながらもなんとか辿り着き、閉まっていた薬局の裏口の戸を叩いて薬を何とか売ってもらうと、又足元まで水につかりながら、出来るだけ急ぎ足で家に向かった。

そして、橋まで来たときだ。突然大きな雷が鳴り、お母さんがハッと川のほうへ目をやると、見たこともないまるで怒り狂った龍のような、海の大波のような濁流がこっちに迫ってくるのが見えた。
「これはまぁなんということだ。大変だ、呑まれてしまう。」お母さんはそう思うと、怖くて足がガタガタ震え、固まってそこで止まって動けなくなってしまった。

しかしその時だ。濁流は迫ってくるや、お母さんの姿を見ると、馬が「ひひ~ん」と前足を高く上げるような恰好で流れの先を天上に向かって反り返し、そのまま今流れてきた方向へ戻っていくように、天上から逆流していったのだ。

お母さんはもうそれはそれはびっくりし言葉がなかった。そして、それからどれくらい経ったことだろう。何が起こったのだろう。お母さんがふと我に返ると、なんと自分は橋ではなくもう家にいたのだ。台所では、薬局で買った薬草がやかんの中でぐつぐつ煮立っていた。お母さんは家の窓から外を眺めると、雨はまだ止む様子になかった。

窓の向こうの雨を見ながら、お母さんは、坊やの体調と同じくらいちょっと気掛かりなことが出来ていた。

一夜明け、真夜中に雨はすっかり止んでしまったようで、明け方は青空とお日様でさわやかなお天気だった。お母さんは、坊やの熱も下がりすやすやと寝ている様子を確かめると、急いで家を出た。そして一目散に昨日のあの橋へ向かった。

橋について、下を覗き込んだ。その橋の下には、そうだはししたどんが暮らしていたはずなのだ。昨日までの大雨で川の水量をだいぶ増え、橋のたもとの下には、前にはあったろうはししたどんのねぐら、粗末でとても小さな小屋とも言えないような囲い部屋は跡形もなく消えてなくなっていた。

お母さんは、それでもと、橋のたもとの下へもう少しだけ降りてみて、もう一度覗き込んだ。すると、なんと、川べりと橋の渡しの交差するその小さな隙間に、お母さんのあげた湯飲み茶わんが、ちょこんと置いてあった。橋下どんは、雨の直前までは確かにここで暮らしていた。けれど、今はその茶碗以外何も残っていなかった。

お母さんは家へ戻り、皆の朝ごはんの準備に入った。そしてその日の午後、すっかり元気になった坊やにお母さんはこう言った。

「神様は、思いもしないところにいるんだね。思いもしないところ、思いもしない姿・形をして、そしていつもみんなをちゃんと見ているんだ。その人がどういう態度か、何をしているか、ちゃんとちゃんと見ている。やさしい心でいようと毎日心がけていれば、神様は本当に困ったときに、ちょろっと手助けしてくれる。あーぁ、お母さんも坊やも、助けてもらっちゃったね。」

それから少しして、近所の人ははししたどんは大雨の濁流に呑まれ流されてしまったのだと話していた。でもお母さんは、お役を終えて自分の国へ戻っていったと信じていた。

これは昔のこと、でも大昔でもない、少し昔のあるところの出来事だよ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?