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アメリカ生活開始までの階段5

前回までのあらすじ
・彼女にアメリカ行きと結婚を申し出るが、断られる
・たが、あきらめずにプロポーズをして、婚約して一旦自分ひとりで渡米することに
・結婚準備をおろそかし、アメリカをエンジョイする

アメリカ生活開始までの階段4|じげん (note.com)

アメリカからの日本結婚準備と結婚式

アメリカでいきなりSanJoseのプロジェクトに放り込まれ2か月。現地の友達やら同僚、アメリカでの仕事、エンジニアとして初めての仕事、刺激的なことがありすぎて本当に楽しい時期だった。

ただ、結婚準備をおろそかにしていた。
私がやらなければならないことは
・彼女のかかれる病院を探す。
・一緒に住める場所を探す。
・彼女がアメリカに来てどうするのかを考える。
・結婚式の準備をする。
・お金の問題をどうするか考える。

等々、とても多くのことをやらなければならなかった。
私の心の中では「まだ時間はあるしとりあえず私が現地での生活に慣れなければならないしな。」と思い、仕事を頑張ることにしていた。

ところが、3ヵ月、4か月、半年と時間が経が一向に上記準備が進まない。進んでいるのはエンジニアとしてのスキルくらいである。私は仕事が楽しくて熱中しすぎていたのである。

そして何も準備が進まないまま1年が経ち。何度か日本に帰ったりして、結婚式場などを見て回ったが、結局準備はほとんど進まず。
ついに彼女がしびれを切らせるのである。

彼女との電話で

彼女「私と一緒に暮らす気あるの?」
私「もちろんあるよ。」
彼女「結婚式の準備私がしなきゃならないの?日本で挙げるんだから、あなたは準備があまりできないよね。」
私「ごめんそうだね。でも式場の人とのMeetingとかならZoomなどで夜中でもでるようにするよ!」

と協力姿勢は見せるものの、主導権は取ってこなかった。そして結婚式の注文だけ付けて、あとは彼女に任せていたのである。

彼女「病院はどうなったの?」
私「日本語の話せる糖尿病の患者を多く持つ医者に俺が患者として会ったよ。糖尿病1型も問題なく見れるって。ただ具体的には診察しないとわからないって。」
彼女「そう。で、結婚式をするのに新居の住所が必要なんだけど。私の親に正式に報告しなければならないから。」
私「俺が今住んでいるアパートとかでいいんじゃないの?一旦」
彼女「は?本来は家を購入して住む場所を提供するくらいことはするのが当然でしょ。買わないにしても、ちゃんと2人で住む場所がまだないなんてありえない。それじゃ私はよくても親が納得しない」

そう、私は自由奔放の家庭に育った。特に取り決めもないし、結婚に関しても一切の注文もない。結婚式もしてもしなくてもいい。親は子に任せていて、結婚となってもなんでもOKのスタイルの家庭。だと思っている。
だが彼女のご両親は違った。そもそも彼女は名古屋出身である。

名古屋・結婚と聞いてピンと来る人もいるかと思うが、名古屋の人は結婚式を大変豪勢にやる風習がある家庭が多い。そして彼女は母親のことを「お母様」や「母上」と話していたのを記憶にあった。普段はタメ語で話しているが、こういった正式なイベントは敬語での会話になっていて驚いた。

私の家庭では全く考えられない親子の会話であったが、彼女のご両親が希望する準備がいろいろと必要だと理解できた。それに彼女は板挟みになっていた。

こういった式典はしっかりやった方がよい。というかしっかりやらないと、一生思い出に残るし、ずっと言われ続けるので「親しき中にも礼儀あり」ということでちゃんとやらなければならない。というのが彼女のプレッシャーになっていた。私は自由奔放すぎて、そのことを疎かにしていて、さらに摩擦を招いたのである。

喧嘩を何度もしながら、こんな形で問題を多くを抱えながら彼女のリードがあり何とか結婚式の場所と日時がきまりその日が来た。

後から聞いた話だが、彼女は
「あなたが準備も何もはじめないから私が全部やったんだよ。」
と今でも突かれている。これは仕方がないと思う。
結婚費用は折半したが、結婚準備費用(移動費、打ち合わせのMeetingや飾りなの手持ちの準備品等)はすべて彼女持ちだった。当時お金がなかった私は彼女に頼らざる得なかった。彼女に半強制的に支払いを任せていただのである。
これに関してもずっと言われ続けている。

もちろん、アメリカ来る費用、来てからは1円も使わせていないが、このことは結婚した彼女に後から「実は。。。」という形で言われた。
そこで「そうだったんだ!」って言って、後から全額自分が負担したり、その他のことで埋め合わせをしようとしても意味がいない。(経験談)

結婚式の時の準備から終わりまでの行動はすべて上書き不可でそのまま記憶に残るのである。

こんな僕によく付いてきてくれたなと今は思う。
そして、引っ越し先を早々に決めて、結婚式を無事に挙げて、彼女はその3か月後に本渡米となった。ここまでまる2年かかってしまった。結婚式はとてもよかったが問題が多く、解決に時間もかかり、とてもストレスフルな期間であった。2人で「早く全部問題解決してアメリカでゆっくりしたいね」と話していたりしていた。
私の個人の見解として、結婚するということはこれくらいの問題は乗り越えられないと、この先一生はやっていけないと思っていた。彼女に負担をかけてしまったのは失敗だったが、よい教訓となった。

新アメリカ生活開始


彼女とアメリカ生活が開始した。
さて、ここにきて一番の問題は病院である。妻が通える病院を探すのである。
渡米後早速病院巡りすることになる。
まず初めにプライマリドクターにあった。そしたら、糖尿病の専門医を紹介してくれた。

後日糖尿病の専門医にかかった。妻は日本で使っていた治療薬や事前情報をすべて英文にして渡し、初めての診察にかかった。

そして糖尿病の専門医からは衝撃的なことを言われる。。。!!

ここからはまた次回!!







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