アメリカ生活開始までの階段4
前回までのあらすじ
・アメリカ行きが決まったが、契約社員で一旦日本の会社へ入社
・日本の会社でITの下地勉強
・彼女にアメリカ行きを伝えたが・・
彼女から衝撃の返事
私「だから一緒に結婚してアメリカ行ってほしいだ。」
彼女「・・・・・・」
彼女「いってらっしゃい♪」
いってらっしゃい・・・?
私「え、一緒に行きたいんだけど、一緒に行こう?」
彼女「いや、私はアメリカ絶対無理だよ。私の病気もあるし。」
そう、彼女は2年前に一型糖尿病を患っていた。インスリン注射を毎日する生活。注射がなければ1週間で死ぬという病気。もちろん私はそれを承知していた。病気においては、糖尿病医療先進国のアメリカである。そんな国に行くんだから、その病気は問題ないだろうと、漠然と考えていた。
だが彼女は違った。
あとからわかったが、彼女としてはちゃんと医療が受けられるのか?高額と聞いている医療費は払えるのか?そもそも、そんなことであなたの夢の邪魔をしたくない。その辺が不明確だし、英語も不安で、いろいろ解決しなければならないことが多すぎて無理!ということだった。
そして僕は彼女の病気というのを正しく理解していなかった。アメリカに行って病院行けばどうにかなるだろうとしか考えてなかった。
だけど彼女は違う。病院行って、アメリカの病院で「治療できない。」とか「高額すぎる医療費」など請求されたら、詰むのである。つまりのたれ死ぬということ。
僕は、「いやいや、ないでしょ。だって何千万人の糖尿病患者がアメリカにいるんだよ?のたれ死ぬなんてことはないでしょ。」と思っていた。
ただ彼女はそんな漠然とした回答では、人生をあなたに預けられない。という意味で言っていたのである。
ただ、結果的にはすぐには回答できないのでということで、一旦平行線になった。
彼女をアメリカに連れて行くのは一筋縄ではないことが分かった。
アメリカ行きの本当の準備
アメリカ行き自体は決まったが、いろいろ準備必要なことが分かってきた。
とにかくこの時期は忙しく、勉強やら彼女を連れていくための作戦、結婚なら親御さんとの挨拶やら、結婚式どうするの?とか、現地アメリカの病院はどうなの?とか現地での給料とか生活はどうなるの?とかいろいろと行く前
にクリアにしなくてはならないことが出てきた。
自分ひとりだったら別に現地行ってからでもどうにでもなると思っていたが、彼女を連れて行くとなると、全然準備する内容が違ったのである。
そしてここから図々しくお世話になるIT社長や現地のUS社長にガンガン迷惑をかけることになる。
まず、現地社長に
僕「彼女を結婚して現地に連れて行こうと思います。」
US社長「そうか。わかった。」
僕「そこで現地生活の相談なんですけど、彼女は1型糖尿病で、その治療ができる病院を探していまして。医療費も気になります。」
US社長「私は医療に関しては明確なことは言えない。ただ会社が提供する保険があるから、保険会社に聞いていける病院を探すといいよ」
僕「はいわかりました。」
この時アメリカの保険制度なんて何もわかっていなかった。病院行けば保険がきくんだろう。としか思っていなかった。保険を会社が提供してくれるなんてことすら知らなかった。この状態で彼女の病気を治療してくれる人を探すのはとても大変だったのは容易に想像つくでしょう。
結果的には現地に行かないとわからない。という結論になった。つまり、現地点で彼女と一緒にアメリカに行くのは無理ということだった。
ただ、いろいろとやり取りしていると、彼女は徐々に結婚へ前向きになってくれた。アメリカ行きも前向きに考えるようになってくれたのだ。いろいろと情報を整理してきて、結婚してアメリカで生活することによいイメージを持ち始めてくれたらしい。
結果、彼女は1年遅れて、アメリカに合流する。ということになった。それまでに私は生活基盤や病院関連の基盤を作るということだった。
そうと決まれば、あとは正式なプロポーズ、結婚の準備だった。
渡米前に、プロポーズは友達を巻き込んで、USJでサプライズプロポーズをした。USJの景色の良いところでやったのだが、プロポーズは大成功し、いつの前にギャラリーが100名程巻き込んで集まって、大々的なサプライズプロポーズになった。この思い出はとてもよかった。
そして、両親への結婚の報告と彼女の両親のへの挨拶を済ませ、彼女と家族に見送られながら、渡米したのである。
この辺の話も話すと長いので割愛する。時が来たらまた別のノートに書こうと思う。
幸せな日
この日は忘れもしない夢がかなった日。2014年の4月16日。
ロサンゼルス空港に到着しレンタカーを借りて、会社まで車で移動。
渡米は初めてではなかったためスムーズに会社についた。
長旅で疲れていたけど、到着当日に会社に挨拶行くことになっていた。
私は前職はバリバリの営業職。
当時はどのような服装で行ったらよいかわからなかったため、会社の駐車場でスーツに着替えることにした。
オーダーメードのスーツにスリーピースを着て、プッチのお洒落なネクタイ、ピンピンのYシャツに、タイピンを付け、腕にはカフス。
これで服装は間違いないだろう。
ドキドキしながら会社につき、オフィスのドアを通る。
すると、
「あ、きたきた!」
「おおーやっと来た!ようこそ!」
などと社員の皆様が歓迎してくれたのである。皆日本語が堪能でで英語は使わずに済んだ。
そして奥から社長が出てくる。
US社長「おいおい、なんか俺より社長っぽい雰囲気だな!」
と遠回しにスーツをほめていただいた。
こんな会話を10年たった今でも覚えている。とても、とても幸せな日だった。
こんなペーペーだったが、みんなに歓迎され、夢もかない、ワクワクが止まらなかった日。本当に今思うと幸せすぎた日だった。
仕事開始
早速仕事を開始するための準備に取り掛かる。
ソーシャルセキュリティ、ドライバーライセンス、車の購入、銀行開設等生基盤を速攻で整えた。
そして、家を探さなければーと思っていたら、US社長が
US社長「いまやっているプロジェクトがSanJoseでやっているから早速行ってきて。あ、会社で借り上げている家があるから、そこに寝泊まりしていいよ。」
とのこと。
家を決める前に出張が決まり、なおかつそこに住めと。まぁ家がないから全然いいんだけど。そのプロジェクトは2か月あるから2か月の間だけだとのこと。
そんなドタバタプロジェクトに早速放り込まれ、切磋琢磨する日々が始まったのである。
結婚準備
そんなドタバタの中、結婚準備をしなくてはならない。
私はアメリカ生活が楽しすぎて、この準備をおろそかにしていた。彼女には毎日電話やLineでContactを取っていた。彼女は日本の会社勤めでこれまで通りの生活。私は刺激的なアメリカ生活を謳歌していたのである。
そして当然ながら、問題は起こるのであった。。。
この続きは次回!
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