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私を変えた星野源の言葉

 この言葉たちを読んで、誰かが、衝撃を受けたり、うるっときたり、クスッと笑ってくれますように。

「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすには、努力と根性がいります。黙ってても日常はおもしろくなってはくれない。見つめ直し、向き合って、物事を拡大し新しい解釈を加えて日常を改めて制作していかなきゃならない。毎日をおもしろくするのは自分自身だし、それをやるには必死にならなきゃなんの意味もない。つまり、一生懸命生きなきゃ毎日はおもしろくならないってことだ。
今の自分がいるのは以前の自分のおかげ。彼が殻を破ってやろうと必死になって戦ったからこそ、脱皮した自分がのほほんと暮らしていける。
「人見知りです」と被害者のように言うのは  「自分はコミュニケーションをとる努力をしない人間なのでそちらで気をつかってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言をしているのと同じだと思った。
才能があるからやるのではなく、才能がないからやる、という選択肢があってもいいんじゃないか。そう思います。いつか、才能のないものが面白いものを作り出せたら、そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。
音楽はね、死ぬと聴けなくなるんですよ。今のうちだぜ。
そもそも人間が好きではないと思おうとしていたが、僕は人が、人と接することが大好きだったのだ。
好きな人には好きだと伝えるようにした。ウザがられても、嫌われても、その人のことが好きなら、そう思うことをやめないようにした。
数年前から、人見知りだと思うことをやめた。心の扉は、常に鍵を開けておくようにした。
出来なかったことが出来るようになったら面白いじゃないですか。
いつだって、世界を彩るのは、個人の趣味と、好きという気持ちだ。
長生きしたい。もう一度言おう。長生きしたああい!
潔くかっこよく「いつ死んでもいいんだぜ」なんてこと、言ってみたいぜ。一度きりの人生なのだから、この世のできるだけを味わい尽くして死にたい。たくさん飯を食いたい、たくさんセックスがしたい、たくさん仕事がしたい、たくさんの人に会いたい。でもそれを実現するには時間が多く必要だと思うので、なるべく長いこと生きたいのだ。ついでに言うと病気もしたくない。大病に一度もかからず、ボケもせず、90歳くらいでスパーン!と死にたい。あ、ちょっと待って、もとい死にたくない。いつから生きてるのってくらい、どうかと思うほど長生きしたい!
ミュージシャンに限らず、ものを作る人には2種類あると思うんです。同じことをずっとやり続けられる人と、それができない人。僕はできない人の方なんです。かっこいい意味ではなくて、同じところで立ち止まっていることができずに、どうしても前に進んでしまうんです。
好きっていう気持ちは大事。自分はこれが好きなんだ、好きだからやっているんだという部分がブレちゃうと、総崩れになる。
いのちの車窓は、様々な方向にある。現実は一つだけれど、どの窓から世界を見るのかで命の行き先は変わっていくだろう。
変わるなら、地続きで変わっていきたいし、きれいなグラデーションを作っていきたい。
僕としては長生きして、楽しいとか嬉しいとか、気持ちの良い時間がなるべく長い人生になればいいなって。それが一番の目標ですね。野望です。
またいつか、色々あるけど、会えたら、笑顔で会いましょう。
その人個人っていうものが、その人個人たり得る瞬間って、エゴから解き放たれている瞬間だと思う。「俺を分かってくれ」っていう痛々しい余計な不純物が取り除かれた時に、本当の意味でその人にしかできないオリジナルな表現が出てくる。
ちょっと前までは、やらないっていう選択を知らなかったんです。今も忙しいは忙しいんですけど、断ることも覚えたし。落ち着いて、やるべき仕事を楽しんでやれています。
死んだ後って何もないんだなってことが分かったので、死ぬまで楽しく生きないともったいないなって。もっと色んな人に会いたいし、色んな景色を見たい。

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