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沈黙の夏

「本当は君も私と同じタイプだよね」

困惑で僕は固まった。
自分の全てを見透かされたような気がした。

1
高校1年、4月。1年4組の連中は、隣のクラスで誰が一番可愛いかとか、宿題が億劫だとか、帰りにスタアバックスの新作を飲もうとか、初々しい制服姿に身を包みながら、がやがやと楽しそうに騒いでいる。

皆んな、仲良くなろうと必死だな

心の中で少し捻くれてみた。生来寡黙な僕はそのようなクラスの浮かれた雰囲気に未だ充分馴染めずにいた。

4月27日。

週始めから予報通りの雨。雨は嫌いだ。どこか気分が沈んでしまう。僕は卓球部の練習を終え、帰宅後、疲労困憊した身体をベッドに埋めた。ふと時計に目をやると、2本の針は22時50分を指していた。もうこんな時間か。猫の如く仰向けに寝転びながら、ぼうっとスマアトフォンを眺める。絵に描いたようなくつろぎ方だ。

唐突にラインの通知が来た。

「追加しました!よろしく」

クラスメイトの或る女子生徒からだ。緩みきって無警戒だった精神が急に引き締められたような気がした。

「園田千佳」

見慣れない文字列。
ラインのアイコンを拡大してみる。

ああ、確か窓際の席のショウトカットで色白の子か。いつもどこか冷めた表情をしているミステリアスな印象の人物だ。他のクラスメイトと多少の会話を交わしているのは目にしたことがあるが、教室においては概して僕と同じ寡黙な人種と言えよう。それ以外、僕はこの女子生徒について何も知らない。

「本当は君も私と同じタイプだよね」

二言目に送られてきたメッセエジ。刹那、僕の心臓は氷の如く凍りついた。は、っと鼓動を取り戻す。この子は一体何なのだ。急速に高まる心拍音を雨の音が掻き消す。

「こちらこそ、よろしく!同じタイプってどういう意味?」 

彼女の言葉に込められた真意を掴めない僕は質問する。

「クラスでは静かな人だけど、実は話したら楽しい人だよね」

彼女の鋭い洞察は、さながらゴルゴオンの眼の如く僕を石像にした。確かに、僕は1年4組の教室では無口だが、中学時代の親しい友人と居る時なんかは存外饒舌だ。自分で言うのも奇妙だが、そういう意味では「実は話したら楽しい人」なのかも知れない。しかし、何故、そのことが、話したこともないこの女子生徒に分かるのだろうか。何故、顔もまともに把握していない僕に対してここまで突っ込んだことを言えるのだろうか。ミステリアスなクラスメイトに全てを見透された気分になった僕は動揺した。しかし、それと同時に自分の本質に目を向けてくれる彼女に対して少しばかりの親近感を抱いたこともここで告白しておく。僕は困惑と愉悦の二重螺旋に迷い込んだ。

雨は未だ激しく降り続けている。初めの方こそ戸惑っていた僕だったが、次第に彼女に対する心の障壁もなくなっていき、その日は夜更けまでラインのメッセエジを続けた。寝床につく頃には、僕は彼女のことをもっと知りたいと思うようになっていた。

翌日、道は糠漬けの如くぬかるんでいたが、雨はすっかり止んでいた。4月28日火曜。

昨日よりも教室に入るのが楽しみだった。


2
彼女について様々な事柄が明らかになった。互いの家が徒歩圏内で近いこと、僕と同じ夜型の人間であること、学校行事は真面目に取り組むこと、そして音楽が好きなこと。

「SEKAI NO KIGEN、好きなんだ」

互いの好きなアアチストが一致した悦びから、直ぐにシイデイを貸した。

今思い返すとベタなやり取りだ。青春恋愛漫画など、あまり好きではないが、自分がその主人公になるのは意外と愉しいのかもしれない。僕と彼女はすっかり仲良くなっていた。気が付けば、同性のクラスメイトを差し置いて、一緒に居る時間が一番長いの彼女になっていた。

「今度、カラオケ行こうよ」

彼女の方から誘ってきた。異性に対する免疫が未だ乏しい僕は一瞬たじろいだが、困惑が悟られないように、その提案をクウルに承諾してみせた。

5月24日。

日曜はやはりどこも混んでいる。特にカップルが多い。カラオケ店に入った僕らは、2人には広すぎる部屋に案内された。

「広いね」

他愛のない会話を仕掛けてみる。

「ほんとに……」

僕はテエブルを挟んで、彼女の向かい側に座った。彼女は何か言いたげな表情をしていた。

異性と密室で2人きり。

高校1年生の僕を緊張させるには充分すぎるシチュエイションだった。恥ずかしいことだが、少し震えていた。それを室温のせいにしてみた。

「確かに、エアコン効きすぎてるかもね」

平然とした彼女は設定温度を上げる。あまり深く考えない性質なのだろうか。自分だけ緊張していることが、なんだか馬鹿らしくなってきた。少し話した後、早速一曲目を入れた。言わずもがな、SEKAI NO KIGEN。2人で歌っているうちに、緊張も解れ、大いに盛り上がってきた。

膝が触れ合う。

いつの間にか、僕らは隣に座り、歌うのをやめていた。

これはカラオケという場所の特性だが、どんなに無口な個室であっても静寂というものは有り得ない。隣の部屋にも高校生が居るのだろうか、大きな歌声がこちらにも嫌という程聴こえてくる。何の曲を歌っているのかも明瞭なくらいだ。それは決して雰囲気の良いビイジイエムとは言えなかったが、隔絶された密室の中で2人の距離は次第に縮まっていった。心理的にも、物理的にも。僕は精一杯の勇気を振り絞り、右腕を彼女の肩に回した。

それが僕の限界だった。

きっとその時の僕はマントヒヒの如く赤面していただろう。

彼女はどんな顔をしていたのだろうか。

ちゃんと見れなかった。


3
その日を境に、明らかに2人は互いを異性として認識するようになっていた。千佳は僕の卓球部の合宿中にも電話を掛けてきてくれた。それを同部屋の仲間にからかわれたのは良い思い出だ。

「千佳に対して、はっきりしなよ」

千佳と仲の良いクラスメイトの一人に言われた。あまりに真っ直ぐなその子の態度に足がすくんだ僕は、その時曖昧な返答しか出来なかった。しかし、兎に角、これで千佳が僕に気があることは確定した。それを知りながらも、自分の想いを直接千佳に打ち明けることはなかなか出来ない。

というのも、当時の僕は失恋に対して或る種の恐怖感を抱いていたからだ。中学時代、僕は或る女子生徒と仲が良かった。2年間、友人としての期間を経て、ようやく僕と彼女は付き合った。しかし、恋愛観の相違から 1ヶ月も経たないうちに別れてしまい、それ以来、以前の関係性が戻る事は二度となかった。

この苦い恋愛経験が僕を奥手にした。

恋愛というものは、人間関係の中でも特殊な関係性だ。友人や家族といった関係性ならば、一度や二度相手に失望したからといって、それで断ち切ってしまうことなど、滅多にない。しかも、相手の欠点に対して比較的寛容で居られるものだ。恋愛関係は違う。一度崩れると、恋人としてやっていけなくなるどころか、友人ですらなくなってしまうということが往々にしてあり得る。その上、経験の未熟な若者ほど、恋人に対してあれもこれもと様々な理想を求めてしまう傾向にある。友人のままで居れば、もっとずっと仲良くできたのに、なんてことも珍しくない。恋愛関係は、殊の外、安定性を欠いた人間関係なのである。

確かに僕は千佳と恋人になりたい。だが、それと同時に今のこの良好な関係性も続けていたい。この葛藤の為に、なかなか次の一歩を踏み出せずにいる。しかし、本当にこのままで良いのだろうか。僕は漸く、焦燥に駆られて来た。

6月8日。

月曜。文化祭の予備日で学校は休みだ。この頃になると、僕は文化祭を存分に楽しめる程には、クラスに馴染んでいた。しかし、6月8日の僕の脳内を占領していたものは、文化祭の余韻などではなく、当日の予定の方だった。その日、僕は千佳の家を初めて訪れることになっていたのだ。昼食は一緒に家で食べようという話になり、2人でマックドゥナアルドへ行ってテイクアウトすることになった。ハンバアガアを購入して外に出ると、雨が降っていた。一つしかない傘を2人で使う。雨は嫌いだ。でも、この日だけは少しばかり雨に感謝した。

千佳の家に着くと、家の中はしんと静まり返っている。誰もいないようだ。2人で階段をそろそろと上がり、千佳の部屋に行った。異性の部屋に入るのは小学生以来、久方振りであった。部屋の中を一通り見渡すと、小窓の付いたロフトが目に入った。

「ロフトあるんだ」

「うん、あそこで寝てるの」

本棚の上から僕をあざとく見つめるアザラシのぬいぐるみとそのロフト以外、千佳の部屋には特筆すべき要素がなかった。シンプルな部屋である。ポテトを片手に様々な思いを複雑に張り巡らせる僕を横目に、千佳はハンバアガアを美味しそうに頬張っていた。その姿はまるで無邪気な子供のようだった。

最初、僕は彼女のことをクウルでミステリアスな人物だと思っていた。しかし、一緒にいるうちにそうではない側面── 寂しがって夜に電話をかけてきたり、甘いものに目がなかったり──が次々と明らかになり、彼女に対する恋慕の情は愈々大きくなっていた。

無警戒な姿を見せられると人は親しみを感じてしまうものなのかもしれない。男なら尚更だ。ともあれ、普段教室では絶対に見せない顔を僕にだけ見せてくれるのはやはり嬉しかった。

ハンバアガアを平げた後、食べ掛けのポテトをロウテイブルに置いたまま、僕らはロフトに上がった。壁を背に2人横並びに座った。カラオケの一件以来、どこかに腰掛ける際の距離感は自然と近くなっていた。

暫く話した後、唐突に2人の間に沈黙が訪れる。

その沈黙を先に破ったのは千佳の方だった。

「……ねえ」

薄灯に照らされた色白い豊頰が、普段より一層艶やかに感じられる。

「ん?」

「…….私のこと、どう思ってるの?」

好きだと僕は正直に言いたかった。しかし、喉まで出掛かった告白の言葉は、直ぐに中学時代の苦い思い出と共に身体の奥底へ沈んでいった。

「……どうって、話しやすくて一緒に居て楽しい人だと思うよ……」

「そっか……」

長い沈黙が続く。雨の中を歩いて帰って来たせいで少し憔悴していた僕ら2人は横になった。真っ直ぐに顔を見られたくない僕は、千佳に背を向けた。ぐいっと千佳は細く長い指で僕のシャツを引っ張る。

「こんなに一緒に居て優しくしてくれるのは、私のことが好きだから?」

「……」

彼女の静かながらも積極的な物言いとは対照的に、僕の方は失語症に陥っていた。

激しさを増す雨の音がその沈黙を切り裂く。

「……好きかどうかと言われたら、勿論好きだけど……」

心臓がシャツを打ちつける。ついに言ってしまった。しかし、この言い方では千佳に対して恋愛感情を抱いていない、という誤解を招きかねない。それは駄目だ。ちゃんと伝えないと……考えが上手くまとまらない内に僕は次の言葉を発する。

「……でも、もし、恋愛関係になったとして、……今のこの関係が終わってしまうのは……」

雨で湿気た空気のせいか、思考が鈍い。

「もし付き合ったとして、今みたいな関係で居られなくなったとしても、……千佳はそうなっても大丈夫?」

何が言いたいのか、自分でもよく分からなくなってきた。

千佳に対して、はっきりしなよ

頭の中であの声が響く。しかし、僕は最後まで明確な言葉で伝えられなかった。

「付き合うことで、2人の関係性が大きく変わるとか、そんなことはないんじゃないかな」

千佳が後押ししてくれた。僕は、薄暗い部屋から窓の外を見ようとした。しかし、滴り落ちる無数の水滴が外の景色をはっきりとは見せてくれない。

僕には相手の方から恋愛感情の告白をされた経験が幾度かあった。しかし、僕の方から直接、意中の相手に好きだと告白した経験は全くなかった。そのため、告白というものをどうすれば良いのか、皆目見当も付かなかった。しかし、それはおそらく、彼女も同じだったのだろう。雨の音が未熟な僕らの沈黙を許してくれた。

結局、典型的な告白の言葉はどちらの口からも出なかった。しかし、その日を境に僕と千佳はただの友人ではなくなっていた。

6月8日、沈黙の中、僕らの新たな関係が始まった。

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