【完結】『あなたの知らない永遠』エピローグ「三人娘のそれから」

初回

前回

本文

 ステラは今年で八十歳になる。彼女はこの国ではかなりの長寿といえる年齢ながら、耄碌することもなく、優しく気さくなご老人として人々から愛されていた。
「ステラおばあちゃん、昔話を聞かせてよ!」
「あたしも聞きたーい!」
「ぼくも!」
 彼女はしばしば村の子どもたちから昔話をせがまれた。子どもたちは、彼女の柔らかい語り口で綴られる寓話が大好きだった。もっともそれらのうち少なくとも二つは、寓話ではなく実話だった。
「いいよ。何がいいんだい?」
「あたしね、あたしね、『三人娘のそれから』がいい!」
「そうかい。じゃあ『三人娘の悲劇』から話そうかねぇ」
 ステラは二十年ほど前、自分自身の体験を基に『三人娘のそれから』という話を作った。体験を基にしたといっても、自分の名前は別の名前に差し替えていたし、非現実的な話でもあったので、誰もそれを実話とは思わなかった。村の大人たちも、『三人娘の悲劇』を嫌う子どもたちのためにステラが考えた創作だと思っていた。ともあれ『三人娘のそれから』は、勤勉や仲直りの大切さを説くのに都合がよく、子どもたちのうけもよかったため、子を持つ親たちからも歓迎された。

 その年の雨季。ステラは気圧の変化の影響で酷く体調を崩し、老体も祟って急速に衰弱していった。村には子どものころ彼女の世話になった人たちが、入れ替わり立ち代わり見舞いに訪れていた。しかしそれもむなしく、ステラはそのまま老衰で静かに息を引き取った。村の子どもたちは一日中泣き、彼女との別れを悲しんだ。
 亡くなる少し前、薄れる意識の中、ステラはジェシカに別れを告げるため、久しぶりに彼女の家に自身を転送した。

 ステラはジェシカの家のベッドで目を覚ました。南側の窓からは日の光が差し込み、ヒヨドリの鳴き声が聞こえてくる。ベッドから起きて窓の外を見ると、そこにはあの頃から変わらない、新緑に彩られた、よく手入れされた庭があった。
(初めてここに来たときも、たしかこんな感じだったかねぇ。いや、あれが初めてでもないか)
 外を見ながら物思いにふけっていると、庭の隅に人影が見えた。
「ほら、あっちへ行きなさい。勝手に食べたらだめよ」
 ジェシカだった。彼女は作物に群がるヒヨドリを追い払っていた。
(ああ、そうそう。たしかあのときもこんな感じだったねぇ)
 ジェシカは数十年前と変わらず、その佇まいはお淑やかで育ちのいい娘のようだった。ステラにとって、それはもはや見慣れた姿だった。

 少しして、向こうから扉の開く音が聞こえた。どうやらジェシカが家に入って来たようだ。ステラが部屋のドアを開けて覗き込むと、それに気付いたジェシカは何かを悟ったような顔をした。
「ステラ……」
 彼女が手に持っていた籠には、ヒヨドリの朝食にならなかった野苺やすももが入っていた。
「ジェシカ、お別れの挨拶に来たよ」
「……そう。ついに行ってしまうのね」
 ジェシカは残念そうな顔で、持っていた籠をテーブルに置いた。
「まだ時間はあるんでしょ? そこにかけて。いま紅茶を淹れるから」
「ええ、ええ。ありがとねぇ」
 ステラはテーブルに添えられた椅子に腰かけた。使い込まれたウォールナットのテーブルと椅子は、あれからさらに年季が入り、色と質感に深みが増していた。変わらないのはジェシカだけだった。

 しかしその様子は以前とは少し違った。ティーポットに茶葉を入れ、湧いたばかりのお湯を注ぐジェシカの背中は、以前のように寂しそうではなかった。
「この椅子とテーブルも、ずいぶん長く使ってるねぇ」
「そう? そうだったかしら?」
「あたしがステラとしてはじめてここに来たときからあったよ。たしかそのときで二百年か三百年の年季物だって」
「そうかもしれないわね。もう馴染んじゃっていつからあるか忘れたけど」
 ジェシカは昔ほど身の回りのものに頓着しなくなっていた。もう寂しさに囚われなくなったのだろう。つい数年前にサラが亡くなったときも、一週間の服喪で立ち直っていた。

 ジェシカは銀のトレイにティーポットと二人分のティーカップを乗せ、テーブルまで運んだ。
「もうちょっと待ってね。果物とビスケットを用意するから」
 そう言って戻ると、彼女は戸棚からビスケットを取り出し、先ほどの果物と一緒に皿に盛り付けて持ってきた。
「はい、お待ちどう様」
 洒落た柄の描かれたティーポットとティーカップ。綺麗に盛り付けられたビスケットと果物。ほどよく発酵させた茶葉から得られる、深みのある紅茶の香り。それに気品と可愛らしさを備えた家主。変わらない。あの頃と変わらず、ジェシカは素敵な女性だった。

 二人は思い出話をしながら、紅茶の香りを楽しみ、ビスケットと果物の味を嚙み締めた。
「これがあなたとの最後のお茶会になると思うと寂しいわね」
 ジェシカは口ではそう言っていたが、そこまで寂しそうでもなかった。ステラはその理由をよくわかっていた。
「これで最後じゃないよ」
「え?」
「あたしゃ何度も生まれ変わってここにいるんだよ? 魂はずっと同じ。ってことはだよ? 生まれ変わって、五千年後か一万年後かわかんないけど、また三人で集まれるってことだよね?」
「わかっていたのね……」
 あの日、井戸の中でステラとニナの記憶が一つになったとき、彼女は気付いていた。ジェシカがなぜ、独りで永遠を生きる覚悟を持てたのか。
「約束通り心にしまっておいてくれてありがとう」
「あたしゃ野暮なことはしないよ」
 二人は互いに笑みを浮かべた。
「私はあなたの知らない永遠を生きる。そういう定にある。でもいずれまた会えるわ。あなたにも、サラにも」
 いつになるかはわからない。しかしいつかまた会える。永遠に生きるとはそういうことだ。これからも三本の道は、枝分かれを繰り返しながら何度も収束するだろう。
「次人間に生まれ変わったときも会いに来て、大切な思い出を蘇らせておくんなよ」
「ええ、もちろんよ」
「犬や猫に生まれ変わったら、飼ってくれてもいいんだよ」
「実はこれまでも何度かそうしたことがあるわ」
「そうかい。どうりでジェシカの家は居心地いいと思ったよ。ああそれから、羽虫や害虫に生まれ変わったら、そっと見て見ぬふりをしてね」
「わかってるわ」
「あとなにかあったかねぇ」
「言い残したことがあれば、また次に出会うときに教えて」
「そうだね。焦ることない」
 二人が言いたいことを言い尽くしたところで、窓の外から日光とは別の、温かい光が差し込んできた。
「おっと。どうやらお迎えが来たようだねぇ。あたしもそろそろ彼岸の世界へ行くとするかね」
 ステラはゆっくりと立ち上がった。ジェシカも立ち上がり、足腰の弱ったステラの手を取った。
「行きましょう」
 ステラは黙ってうんと頷いた。

 家の扉を開けると、彼岸の世界から来た白装束の使者が二人立っていた。顔は布で隠され、声も発さなかったが、それがあの世へのお迎えであることだけはわかった。
「それじゃあジェシカ、また会う日まで」
「ええ、待ってるわ」
 ステラは手を放し、使者たちの方へゆっくりと歩き出した。
「ステラ!」
 ジェシカが呼び止めると、ステラは立ち止まって後を振り返った。
「なんだい?」
「次また三人とも人として巡り合えたら、私、今度こそサラを振り向かせてみせるわ! あなたには負けない!」
「もしそうなったら、あたしゃ二人を祝福するよ」
 ステラの思わぬ切り返しに、ジェシカはくすっと笑った。
「ふふ。あなたには敵わないわね」
 それからステラは前を向き、二人の使者とともに柔らかい光の中へと消えていった。
「さよならステラ。次また会える日を楽しみにしているわ」


『あなたの知らない永遠』エピソード3 完

作者コメント
続編を執筆するかは未定ですが、本エピソードはこれにておしまいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?