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だから水戸。

新年明けましておめでとうございます。

元旦が誕生日である私にとって、年初めは人一倍気持ちが入るタイミングでもあるのですが、今年からNoteを書いていくことにします。

ブログという形では2005年から2020年までの15年間続けていましたが、Noteでまた、自分の思いや考えを発信していくことに挑戦をしようと決めたので、是非読んでいただければ幸いです。

なぜNoteを始めることにしたのかについてですが、私は目標設定したら、そこまでの過程を出来るだけさらけ出していきたいと考えているタイプの人間でして。

その過程で何を考え、何を感じ、どう舵を切ったからをリアルに記しながら目標達成していくことで、頭の中の整理もできますし、自分を律することができますし、読んでくださる方々にも勇気や共感を持っていただけると思っています。

不言実行するほどの強い精神力は持ち合わせていませんが、だからこそ有言実行していくという感じでしょうか。

そんな私ですが、2021年12月1日にJ2リーグに所属している株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックの事業戦略執行役員に就任しました。

既存の部署を請け負うのではなく、横串で全てのセクションに関わりながら、クラブを戦略的に成長させていくことがミッションとなります。

そこで初投稿となる今回は、水戸ホーリーホックに加入することになった経緯を紹介していこうと思います。

きっかけは現在クラブの取締役兼GMを務める西村卓朗さんから声を掛けていただいたこと。

7月31日に前職であったV・ファーレン長崎/リージョナルコネクト長崎を辞め、その報告を卓朗さんにさせていただいたところからストーリーは始まりますが、その前に彼と私の関係性を紹介します。

西村卓朗氏との出会い

私は2005年1月に渡独し、2020年7月に帰国するまでの15年半、ドイツに暮らしていました。

そのうちの13年間、フォルトゥナ・デュッセルドルフに所属していたわけですが(1年選手、12年フロントスタッフ)、その間に様々なサッカー関係者と知り合ってきました。

ドイツでの仕事については今回は割愛しますが(こちらも追々紹介していきます)、そんな中、2011年に卓朗さんと知り合うことに。

当時アメリカでプレーしていた卓朗さんが、次の新天地探しとしてドイツを訪れていたとき、ご縁があり相談に乗らせていただく形でお会いしたことが出会いとなったのです。

結局ドイツでのチーム探しは実を結ばずとなりましたが、そのとき色々な厳しい現実的な話をさせていただいたにも関わらず、非常に誠実に受け止めてくれていたことが印象的でした。

その後、卓朗さんは帰国し、コンサドーレ札幌を経て引退されたわけですが、私が日本に一時帰国するたびに連絡を取り合い、色々なドイツのサッカー事情を話す仲となっていきました。

ジェネラルマネージャー。

私は自分自身が三流のサッカー選手だったこと、またその上で引退後のキャリアをドイツで歩む決断をしてきたからこそ、サッカー選手のセカンドキャリアサポートを大きなテーマの1つと捉えてきました。

ドイツサッカー界もこれを大きなテーマとして長年向き合ってきた経緯があり、それについて中央大学から論文も書かせてもらっていますが、非常に参考になるものです。

ドイツサッカー界における人材育成の取り組みは実に合理的で総合的で、そして国家的であると言うことができると思います。

だからこそ私は、日本のサッカー界にもそういった取り組みを知ってもらいたいと思っていたし、それを参考にサッカー選手を夢見るタレントたちや、その夢を掴んでプロになった選手たちの人生を豊かにしていく仕組みを作りたいと考えていました。

正確には今もそう考えています。

卓朗さんは引退後、浦和レッズのハートフルクラブのコーチを経て、その後はボンズ市原に従事されていましたが、クラブマネジメントやセカンドキャリアについていろいろな話をしたことを覚えています。

水戸ホーリーホックの強化に係る役職に就いてからもその関係性は変わらず、定期的に近況報告を兼ねて会う仲でしたが、その中で私は常々、バランス感覚に優れた彼は強化部長というよりジェネラルマネージャー(GM)に適した人材だと感じていました。

私の主観ではありますが、日本のサッカー界には優れたGMは非常に少ないと思います。

もちろん優秀なSD(スポーツディレクター)はたくさんいますし、優れた事業部長も多くいらっしゃると思います。

しかしGMとはその言葉の通り、ジェネラル(総合的)なマネージャー(取りまとめ役)でなくてはなりません。

それは競技面、事業面の両方をよく理解し、総合的に回していくことができる人材である必要があります。

私が理想的だと思うGMは、クラブの中に存在するすべてのセクションに連結している唯一無二の歯車であり、クラブの様々な情報や取り組みを潤滑に回していくことができる人です。

日本のサッカークラブのGM職についている方は、SD(スポーツディレクター/強化部長)だった方が多いのが現状ですが、その多くは競技面に重きを置いてしまう傾向があり、事業面も含めたバランス感覚が伴っていないということが往々にしてあります。

当然プロサッカークラブなので、花形商品である存在がトップチームであることは間違いないのですが、クラブの経営や存在意義、地域との連携、財務的なことなどをいかにマネジメントし、プロモートしていくかも、GMの重要な仕事となります。

GM職に就かれる方は、まさにそういった総合的能力が問われるわけですが、私は、卓朗さんはその才能がある希少な方だ、と常々思っていたということになります。

彼は自分自身がプロ選手を経験しており、海外でのプレー経験もしていますが、それだけではなく、外国でトライアウトを受けて回る経験をしたり、日本でもアマチュアリーグのクラブで監督やGMの職を経験しています。

様々な立場でサッカーと向き合い、その中でサッカーを職業にしてきたからこその感覚と、そして彼本来の人間性の部分が、SDよりもGMに適していると感じたからこそ、卓朗さんには以前から早くGMをやるべきだと進言してきたし、2019年に彼がGMに就任したときは嬉しかったことを覚えています。

近年水戸ホーリーホックの注目されている取り組みとしてMVP(Make Value Project)というものがありますが、その礎を築いたのは紛れもなく彼です。

それだけではなく、毎年少ない予算ながら良いチームを作り上げ、J2でも中位に食い込む戦いを見せている水戸ホーリーホックの基盤は、やはり卓朗さんが中心となって作り上げているものであり、その評判も日本サッカー界ではすでに確固たるものと言っても過言ではないでしょう。

“水戸人”とのご縁

前置きが非常に長くなりましたが、そんな卓朗さんに長崎での仕事を辞めたことを伝えると、すぐに会いたいと言ってきてくれました。

ところがコロナウィルス感染の拡大もあり、8月に会う予定は一度キャンセルすることに。

そこからはキープインタッチするレベルでのやり取りでしたが、その間、私の元には国内外のいくつかのクラブからコンタクトがありました。

国外、というのは、長く暮らしてきたドイツのクラブだったわけですが、このコロナ禍で家族を連れてドイツに戻るのはなかなかのハードルであり、本音はドイツに戻りたいという思いもありましたが、決断は難しかったというのが正直なところです。

小さい娘の幼稚園のことなども考え、新天地が決まるまでは長崎にいようと決め、いろいろなことを考えて暮らしていた10月末、卓朗さんから会いたいとの連絡が入りました。

10月30日に行われるV長崎と水戸ホーリーホックの試合のため、卓朗さんが長崎入りするということで、そのときに会食をすることとなったのです。

その席ではこれまでの仕事のこと、日本のクラブでやりたいと思うこと、次の仕事探しの状況などを話しました。

久々の再会でしたし、以前同様、ざっくばらんなトークをしたのですが、その中で日本サッカーに足りないこと、日本でやっていきたいことなどの話もさせていただきました。

私の日本サッカーへの想いを聞いていた卓朗さんは最後に、一度水戸に来て首脳陣と直接会って話をしてほしい、と。

そう言われたら善は急げということで、翌週に水戸に飛ぶこととなりまして。

当日は水戸ホーリーホックのホーム試合を観戦することとなったので、水戸駅からバスでスタジアム入り。

スタジアムでもぐるりと視察して回り、ホーリーホックの様々な取り組みの現状の把握に努めました。

それを踏まえた感想も含めて、夜の首脳陣との会食では色々な話をさせていただきましたが、小島社長はじめ、タスクフォースのメンバーの情熱と柔軟性には大きな好感を持ったことは間違いありません。

「一緒に働きたい」

そしてこの会食の翌週、正式にオファーをいただくこととなったわけです。

卓朗さんは私の元には他のクラブからもいくつか話が来ていることを承知で、すごく誠意ある誘いをしてくれました。

その時点で実は私の中では95%くらい心は決まっていたし、あとは条件面の部分と家族にどう説明しようか、くらいのことしか頭にはなかったというのは正直なところです。

卓朗さんとは条件面でいくつか交渉させていただき、その上で2回目の提示をいただいた時点で、お受けしますという返事をさせていただきました。

卓朗さん的にはもう少し長引くと思っていたようですが、私の中では他のクラブの可能性を考えるより、誠心誠意向き合ってオファーをくれた水戸ホーリーホックに魅力を感じていましたし、このクラブのポテンシャルを強く感じたことも決め手となりました。

早速リモートでジョイント

仕事のスタートについては1月からという話もありましたが、リモートでスタートできるのなら、ということで12月からとなりました。

新シーズンに向けての準備は始まっていましたし、少しでも早く状況把握する必要もありましたので。

そこで早速色々な資料を送ってもらい、それらを読み込みながら、現存スタッフとオンライン会議を進めてきました。

水戸ホーリーホックはアジア戦略としてベトナムとの繋がりを作ることに成功していただけではなく、廃校を活用したクラブハウス化であったり、農業事業に取り組んだりと、とにかくチャレンジを続けているクラブ。

様々なメディア媒体でも取り上げられてきた話題の取り組みも、その背景を知るとまた次々とアイディアが溢れてきます。

今はまだコロナ禍であり、クラブ経営的には苦しいところも多々ありますが、このピンチをチャンスに変えるためには、仕掛けていくことが不可欠です。

そのために水戸に来たわけですし、それを求められていると自覚しているからこそ、今は非常にワクワクしています。


すでに水戸にマンションを見つけ、引っ越しも完了しています。

2022年、水戸ホーリーホックに新たな風を吹かせていきますので。

そしてクラブプロミスである“この街に新しい原風景を”もたらしていけるよう尽力していきますよ。

新チームも昨日、始動しました。

喜怒哀楽がいっぱい詰まったシーズンになることでしょう。

ということで2022年、キックオフ!


頑張るときはいつも今
瀬田元吾

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