見出し画像

私の人生 (消えない強い気持ち)

急に思い立ったから書く
わたしの人生のこと。

15歳の頃に描きたい絵を自由に描いて表現できるようになりたいと、すごく強く思ってた。40代で叶ってた。20代の時は人前で話す時に顔が赤くなるのが嫌で、誰とでも自分のままで意見変えずに話したいと思ってたら、30代で叶ってた。40歳頃モデル(?)の仕事が来て、すごく楽しくて突き抜けたんだけど、その時に「自分が画家なのを忘れられるのが怖い」と思ってまた、何でもかんでも描きたいものを探して描いてとにかく前に進もうとしてた。あの時本当に辛かった。今度は、2018年に買ったギターを自分風に弾けるようになりたいと強く思って、絶対にそれを叶えるためにFacebookのプロフィール写真にしました。


....................
(もう、人生折り返してると思うので)
自分と戦うのを少し緩めて生きて行けたらいいなと思います。
....................
6歳からピアノを始めた。よく、ひとりで紙芝居を作っていた。音楽も絵も両方やりたいってのは6歳頃からあったけど、目立つとかお金とか練習とか順位とか普通とかで、全然わかんなくてものすごい抑えて、内緒にしてた。絶対音感で音が聞けちゃうことや、色が好きすぎてなんでも再現できることを、もっともっとやりたかったのに、変な人扱いされるからと、相当苦しんでめちゃくちゃ隠して、しっかりした大人になろうと地味に目指して、なるべく自分から出てくるインパクトを消していった。小さい頃から、勉強も普通に好きだった。やりたいことがこの世にこんなにたくさんあるのに、それを中途半端に薄めたり軽くして行うのが、本当に、最も嫌で、誰にも言えなくてすごく自分と戦ったし、社会のいろんなものに怒りを感じたりがっかりしていた。中学生になると吹奏楽部にはまっていった。フラッグをやって打楽器もやって2年生からはクラリネットをやった。筋トレもチューニングも準備も大好きだった。無気力な時は、家で隠れて漫画を描いたりしていた。母が、『でも、芸は身を助けるって言うから』と、美術やりたい気持ちを見つけて拾ってくれたのが17歳の時。あれが転機だった。美大を目指す訓練の塾が私には天国だった。絵を追求していいし、もっともっと描かなきゃっていう思いを渡せる場所ができて、初めて「これは生きる場所をみつけた!」と思った。すごく感動した。うまくかけているわけではなかったけど、未来があるなと思っていた。楽しかった。でも、大学を出るとみんな何処かに消えちゃったみたいになった。一気に人生から色が消えていった。目立たない大人を目指そうと思ってたら、引きこもりになって病気になった。私は25歳のときに広告代理店で電話番の予定で時給で雇われた。片隅で目立たないように働いたけど目立ってしまって、カメラからデザインから宴会の段取りからwebデザインの原稿作成からテレビ撮影の現場まで、興味があってなんでも行きたくてついていってやった。そのあとは、まちづくりの事務局に入った。仕事が少ないからそこで絵を描いていていいよという感じで入ったのに、仕事はどんどん広がって抱えられないほどになっていった。その時にたくさんの人脈にも恵まれた。ほとんどがイベントの仕事だった。でも、絵がかける事務局員さんみたいな感じになってて、戦ってた。それが終わって37歳過ぎた頃も、画家だけど売れないから今ニートかもしれないと、バイトの誘いが来ただけで落ち込んで泣いたりしていたけど、バイト先の人はむしろそういうこともわかっていてくれて、そこでバイトするのは絵を描いているのと同じ感覚だった。役に立ちたいからといろんなことを手伝った。でも、世の中にはお金にはならないことで必要なことがいっぱいあることを知った。この頃、何個も、イベントの立ち上げを手伝った。絵を描いていると遊んでいると思われるのが嫌で、書類の仕事や会議の議事録がわかりやすく素早く出せるような仕事をして、企画してみんなで看板描いたりパレードしたり、人と人をつなげたり、本当にできることはなんでもやってた。絵を描いているだけより、役に立つことをしに出かけた方が心も楽な時があって感謝した。飲みにいくと絵が描けなくて、でも、人と話すことは好きで、時間がいつも足りなかった。
それも辛くなった頃から、少しずつニューヨークに来るようになった。全然大人になれなくて、43歳。いまここにいる。絵は休んでも、やめることは一度もなかった。

全然大人になれなくて、いまここにいる。
かろうじてここまで繋いできた強すぎる自分の気持ちを今たくさん思い出してる。ニューヨークにいたら、その気持ちがある場所に、もう、半分無理矢理に連れてこられた。ニューヨークという人格のような塊は、ぼんわりと、わたしに、「もっとやりたいんでしょ?」「まだあるでしょ?」と話しかけてくる。元気な時より、落ち込んで戻れない時や、一人でずっと歩いてる時にそんな自分のカケラが見つかる。まだまだ途中なんだ。失敗しても壊れそうになっても傷ついてもいいから、トライしていいんだなということを知る。やっていけば簡単に叶うこともあるよってこともわかってくる。

今回また何かの蓋が取れちゃった。わー。
この気持ちに来るところまでに出会ってくれた全ての皆様にめっちゃ感謝で死にそう。生きます。

....................
Tomoko Kouda 2019 NYC

あと5日で帰ります〜〜〜〜〜

#こうだともこ
#全身芸術家
#げもげもコーポレーション
まだ続いている↓
#わたしがかわいきゃそれでいい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?