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個性を押し出す、突破

〜はじめに〜
やっぱり、突破だ!うん。
どんどん書いていこうって思いました。ここに。
 (でも、あくまでもこれは、私個人の今の意見で、
 (みんな全員がそうなればいいと思っているわけではないですので。


〜本文〜
わたしは、物事をうわべだけで見ないことを訓練するのが好きでした。
20才の頃、美大で教わったことは、
美術の情報や教育や色彩論だけではなく
むしろ、この観察力と表現力を奥へ奥へ行く訓練。
奥の発想を観察力と表現力で叩き込んで作品に出すという性質
そして、自分は、出せてないと落ち込む繰り返しの、筋トレのようなもの。

物事の中身や、そのもう一歩奥の内容を見る観察力、自分風の想像力
後ろから、反対側から見たりその感想を文章化したり表すこと伝えること
(合ってる合ってないはどっちでもいい、奥の直感を表に出すことが訓練)
これがもう、ずっとずっと、好きな訓練でした。

わたしは、この訓練で
見たい知りたい話したいそして表現したいと思ったものが
どんどん楽しくなるので。(今も)

そうするとですね、
悪く言うわけではないんですが
逆に、
うわべだけのテキストの会話や、サービス、
薄っぺらい中身で奥行きのない写真や絵、など、について
やっぱ、アラあざとさって、すぐ、透けて見えてしまう。

(見る人は見てるよって言葉あるけど、それ。)

うわべだけのものって
理解しやすいし、そもそもの全貌が軽くて少ないから
短い時間で理解しやすくて、使いやすい
というか、すぐ手を出しやすいし
使い捨てするにも罪悪感ないんですよね〜。
なんというか、うわべのものだったら、失礼でもいいし。

あと、作風に遠慮が混ざると、薄まるの。

え???
私は何の話しをしてるんだっけ?

まぁ、つづけます。

その違いを見抜いて自分に課せて
自分自身オリジナル感性を突破して押し出し、
自分の中身が見えて、自己開示できてることに気づいていく。
自己表現っていうのかな。やってくやってく。
表現者として。

概念や設定を奥行きに向ける。そして
自由ってのは、そこから突破してはみ出していく。
この感覚を焼き付け、瞬発力でさらに突破してはみ出していく。
その連続が、表現になり、作品になり
人生を豊かに彩ることになっていくはず。

厄介なのは、
この奥行き部分って、わかりにくく
すぐ数字に現れないことが多いので、
たまに、急に、他人という集合意識とか社会のようなものから、
数字にしろとか、(数字が結果)
流行ってるの?とか
どういう意味?とか、意味わかんない!っていう
またこれ、すごく下品で簡単で強い言葉によって、
素早く追いやられてしまうんです。

でた、他人軸。

それ、社会と同じ意見とか多数派の意見で、見ないで、話さないで!
表現は、商品でもなく、消費じゃない〜。(例外あり)

それはまぁ、そうだとして、追いやられてもいいんですけど

追いやられたことがあるからと、やめてしまう人がおる。多い。
その、感性として大事な奥行きの部分を
大切にできなくなってしまうクリエイター
私のところに話しに来るクリエイターっぽい人、そういう人が最近多くて。

わたしは、そういう瞬間に遭遇した時が、本当に悲しい。
突破して表現がせっかく突き出たのに、
傷ついたり説明できなかったりすぐ結果でないからってやめてしまう悲しさ。
これが、今日書きたかった本題。

作風や趣旨をわかんない人のが多いからと、
作品の奥行きやセンスのオリジナリティに気づいても
それを磨いて出して出し続けていくことを、おろそかにして、
(わかりにくいし、簡単に傷つくし、威力や体力や精神力いるしね)
で、クリエイターなのにも関わらず
多くの人にウケるもの、時代に合うもの、売れてるものに似てるものを
マーケティングして生産することに力を入れ始めて
その「他人軸」や「外側の多数の感想」を取り入れて
そのほうがクリエイトがうまくできると安心しはじめるなんて。
そんな人が増えたら、芸術ではなくて、ただの大量生産!!!

おい!
悲しい。悲しくてもったいない。

シンガーも、デザイナーも、写真家も、ライターも、絵描きも
料理人も、ダンサーも、俳優さんも、パフォーマーも
みんな、気にするのは外側意識じゃなくて
本当に始めたかった気持ちや、その人が動くからこそ出てくる感性を
つまり、オリジナリティを
気づいて温めて大事に、磨いて、どんどん出して行って欲しい。
すぐ伝わらなくても、すぐに認められなくても。

全人類にウケることよりも、数字を稼ぐことよりも、自分がやりたいって気持ちに近いことをやっていくことの方が、とっても大事だし健康的。
完全かどうかばかり気にするよりも、不完全でも出していく感覚で走り出して。

例えば、飛んでくる全意見を受け入れて、
大量生産で芸術に取り込んで行けば、
当たり前だけど、オリジナリティは減ります。減るどころか、抑えちゃう。
オリジナリティが減っただけならいいけどさーーーーーーー
オリジナリティを楽しんだり追求したりする時間が減って、
世間がどう思うかばかり考え出す。
これが、悪循環。

もーーーーー、そのマインドが、勿体無いし悲しい。

例えば、その分野で成功してる人と比べると
自分のレベルとか、違いが多少わかるんでしょうけど、
その、レベルっていう基準じゃないところで、
その人それぞれの個性!を押し出す!
まぁ、最初は特に、個性って何?って思うんだけど
個性!は、当たり前すぎて気づいてない時が多いし
集団教育でつぶされたり直されたりしてる場合が多々あるので
その部分に気づいて発信して伸ばすのは、一見、至難の技かもしれないけど
そこを大事にしていく人が、これからたぶん増えていく。行って欲しい。
どんどんひとりずつが豊かになっていくと思います。

うわべじゃない奥行き。
あと、自分風の出し方。
売れてるからいいとか、その職業だからいいってのではなく
今やりたいことをやってるかどうかがだいじというか〜。うーん。


ここに必要なのってなんなんだろう。
覚悟と勇気かな?この話、まだまだ私の中心にあるので
また、続きを書きます。
タイトルもこれでいいのかわかんないけど。

Tomoko kouda 2019 NYC

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