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三春大神宮祭礼1日目①厳かに執り行われた神事

2023年10月7日(土)、8日(日)に執り行われた三春大神宮の祭礼を見てまいりました。

後日詳しくレポートしますが、8日に町内をめぐった長獅子がすごい迫力でした! 

馬場の坂で暴れまくる長獅子!

地域の鎮守様に「今年の収穫に感謝を捧げる」昔ながらのお祭りという感じがとてもよかったです。地域の老若男女が秋祭りを楽しんでいる姿も印象的でした。
だけど、ちょっともったいない気も…。

神楽や祭囃子などのレベルも高いし、もっとたくさんの人に見てもらってもいいんじゃないかな?などと考えてしまいましたが、「お祭りを観光化しない・商業化しない」というのも、なんとなく“三春っぽい”感じがします(どういうのが、“三春っぽい”のかうまく説明できませんが(;^_^)

神職・氏子総代はじめ、祭り関係者が神事に集う

神職や氏子総代がそろっておこなう祭礼は7日(土)10時から開始。いつもは大鳥居から参拝しますが、今回は祭礼に向けて整備されたらしい馬場からの参道登り口から参拝しました。

大鳥居をくぐり、二の鳥居へ。大鳥居には祭礼を知らせる幟が立っていました。

手水舎には真新しい杉が。これも神事の一つなのかな?

紅葉がすばらしいと噂の鎮守の森。

三の鳥居をくぐり、茅の輪もくぐり、いつものように拝殿に参拝して

こちらは拝殿の背後に鎮座する本殿。あとから扉を開く神事がおこなわれました(そこは撮影せず…)

神職の皆さんが到着されました。確認したわけではありませんが、三春大神宮だけではなく、同じ町内(旧三春町?)に鎮座される神社の神職の方もいらしたようです。長獅子も各神社をまわったらしいので、三春大神宮を中心とした旧町内の秋祭りなのかもしれません。

さすがに神事の間は撮影をひかえました(;^_^
前述した本殿の扉を開ける神事や、祝詞奏上、(おそらくですが)神饌の献上があり、神楽の奉納へ。楽人の演奏もよどみなく、神楽もすばらしかったです。レベルが高い!

参加者全員が玉串を捧げます。

ミラーレスで撮影した写真ですが、なんだかこの日は全体的に白っぽい仕上がりになってしまった(だいぶ加工しています)天候のせいなのかなあ?

不思議なおじいさまに出会う

同じように神事を見守っていた年輩の方のお話に聞き入ってしまい、撮影を忘れていた…というのもあります(;^_^)
その方によれば、現在の神様の数は「1億2000万」なのだそうです。よく「八百万(やおよろず)の神」といわれますが、「880万」はその当時の日本の人口なのだそう。
神の御霊は一人ひとりに宿る。だから、人口の数だけ神様がいるのだそうです。神は人間だけでなく、草木にも川にも岩にも宿るというようなことをお話されていました。深い…。

白馬像を祀る宮の扉が開いていました!

神楽殿の隣には、時の三春藩主が彫刻師の伊東光運につくらせ、のちに郷土玩具の「三春駒(高柴木馬)」のモデルとなったとされる白馬像を祀る宮があります。いつもは閉まっているのですが、今回は開いており、白馬の全身を見ることができました。

顔のやさしい表情、均整のとれた体躯。とても美しい像でした。

内部の説明板によると、当時の藩主は秋田●季の奉納(●の字を読むために代々の三春藩主を調べましたが、該当する文字が見当たらず、断念しました)の奉納と伝えられ、作者は文殊村石森の仏師である伊東光運、藩駒奉行の徳田好展(二代目研山)が製作指導にあったそう。
明治40年に高柴村の橋本鶴吉、虎吉によって修理がおこなわれたようです。昭和42年に町の民俗文化財の指定を受けますが、風化損傷が激しくなったため、昭和62年に大修理を実施したとのこと。それが現在の白馬像のようです。

かつて三春藩は「三春駒」と呼ばれる優良な馬の産地として全国に名を馳せました。この白馬像は、美しい芸術品であるとともに、その当時の姿を今にとどめる貴重な歴史資料でもあります。

……以前は「白馬像を祀る祠」と書きましたが、祠はもっと小規模な宮を指すような気がして、今回は「宮」にしましたが、それでいいのでしょうか? そのへんよく分からず…。失礼があったら申し訳ないです。

……三春駒の説明が長くなってしまった(;^_^

後ろには由緒ありそうな能面も。

午後からは神楽殿で舞が奉納され、狐の種まき(お菓子撒き)がおこなわれ、子どもたち(大人も)の歓声が上がりました。

三春大神宮祭礼1日目②へと続きます

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