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山中先生の本を読み返して

「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」という本があります。
読んだのは6年以上前のことですが、久しぶりに読み返しました。
刊行日や内容から、ノーベル生理学・医学賞を受賞する前に書かれたもののようです。
山中先生が穏やかな語り口で、これまでの人生の事や研究について、その時々で何を考えていたのか詳しく話してくれています。

序盤で、自分の人生は「人間万事塞翁が馬」と思える出来事の連続だと述べられています。

人間万事塞翁が馬
人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
・故事ことわざ事典より引用(http://kotowaza-allguide.com/ni/saiougauma.html)

山中先生が研修医だった頃にジャマナカと呼ばれていたという有名なエピソードがあります。そのときの指導医の先生はとても怖い人だったそうです。
この研修医の頃、名医でも治せない難病で苦しむ人に接した事、そして、お父さんが病気で亡くなった事が人生を考え直すきっかけになったと回想されています。

その後、どうやって研究の道に進んだのか、どのように研究をして行ったのかが詳しく語られます。
大学院入試の面接で落ちそうになり、面接の最後に声を張って熱意を伝えた事、思わぬ実験結果に興奮したエピソードなど、山中先生の研究に対する思いが伝わってきます。

山中先生は柔道部やラグビー部に所属していたことがり、そして若い時からマラソンを走っているスポーツマンでもあります。今も全国各地のマラソン大会に出場し、完走しています。完走することで研究のために募金を募っているので、ご存じの方も多いと思います。
その辺りの事も本書で触れられています。

京都大学iPS細胞研究所の所長を務めていることは多くの方が御存じだと思いますが、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所の上級研究員を務めており、月に一度は渡米し、そこに構えている研究所で指導などを行っています。

終盤のインタビューでは、直ぐには実用化出来ない研究に対し、多くの人たちから成果を期待され、毎年数十億の税金を投じられている事は、研究者には重過ぎるように思える。と問われ、山中さんはこう答えています。

いや、iPS細胞と言う技術と出会ってしまったので、当然のことだと思います。それこそ、「なんで自分がこんな目に遭わなあかんのか」って言いたくなるのはALSなどの難病を患う方たちのほうだと思います。
ぼくはマラソンも走れるし、お酒も飲ませてもらっているわけだから、彼らの苦しみとぼくの苦しみはまったく次元が違います。でも、ぼくらががんばったら、彼らの苦しみを少しでも減らせる可能性がある。

もちろん重圧はあり、逃げ出したくなる時もあるそうです。そんな中、病気で苦しんでいる人たちやそのご家族が励ましてくれるそうです。
その気持ちが嬉しく、そしてこの仕事をさせてもらえていることに感謝していると。
医師になったからには、最期は人の役に立って死にたい。亡くなった父に会う前に、iPS細胞の医学応用を実現させたい、と述べています。

やっていることも立場も全然違うのですが、自分も頑張ろうと改めて思いました。

ちなみに、本書はノーベル賞受賞前にまとめられたもののため、ノーベル賞については触れられていません。
ノーベル賞を受賞されたときの以下の言葉は印象的でした。

「(メダルと賞状は)展示はしません。大切な所に保管しておきます。もう、見ることはないと思います。また一科学者として自分がやるべきことを粛々とやっていきたいと思います。」
(Wikipedia)

予算削減などで厳しい状況ですが、頑張ってもらいたいです。


読んでいただけるだけでも嬉しいです。もしご支援頂いた場合は、研究費に使わせて頂きます。