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好熱菌と温度応答性ゲル

好熱菌(こうねつきん)をご存じでしょうか?
温泉や海底火山付近の熱水噴出孔などの、高温環境でも生育する微生物です。
1960年代にその存在が明らかになり、研究が進められてきました。
80℃超の高温でも生存できる好熱菌の生命機構はとても興味深いものです。
なかでも、メタノピュルス・カンドレリという好熱菌は深海の熱水噴出孔に生息し、122℃の高温環境でも増殖することが出来ます。

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イエローストーン国立公園で発見された好熱菌(Wikipedia)

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深海の熱噴出孔(Wikipedia)

好熱菌は他の多くの生物同様、タンパク質で出来ています。
タンパク質は加熱すると変性して凝集します。
卵が分かり易い例ですね。加熱調理すると変性して固くなります。
ところが、好熱菌を構成するタンパク質は加熱しても変性しません。
正確には150℃くらいで変性するのですが、100℃程度では変性しないんです。

好熱菌を構成するタンパク質は他のタンパク質とは大きく異なる点があります。
それは、電荷を持つアミノ酸を多く持っていることです。
タンパク質はたくさんのアミノ酸が繋がって出来た高分子です。
アミノ酸は20種類以上ありますが、その中に電荷(カルボキシル基やアミノ基)を持つものがあります。例えば、グリシンとアラニンがそうです。

アミノ酸

電荷を持つアミノ酸が多いと、イオン結合を形成しやすくなります。
好熱菌のタンパク質は、このイオン結合によって変性を防いでいるんです。
もう一つ、好熱菌のタンパク質は疎水性の部位(芳香環など)が多いこともキーポイントになっています。高温では水素結合が切れて脱水されます。脱水に伴って疎水性部位が凝集して強固な構造を作るんです。
脱水と言っても、下図のように水を体内に保持したまま構造を変えているため、好熱菌が生命維持に必要な水を失う事はありません。

好熱菌のゲルモデル

好熱菌を構成するタンパク質の熱応答性は、微妙なバランスで成立しています。そのため、1つでもアミノ酸が違うものになると熱に対する安定性を失ってしまいます。

昨年(2019年11月)、100℃に加熱すると2000倍も硬くなるゲルが北海道大学から発表されました。
加熱するとゲルの構造が変わって硬くなるという、温度応答性ゲルの一種です。一定の温度(約50℃)を超えると、ゲルは瞬時に構造を変えて硬くなります。
このゲルは好熱菌の温度応答メカニズムをヒントに作られているんです。
以下の写真は公開された論文から引用したものですが、加熱することでとても強いゲルになることが分かります。
写真の上が柔らかい状態のゲル。下が加熱して硬くなったゲルです。

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PAAc / CaAc ハイドロゲルの熱硬化(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/adma.201905878)

ゲルに10kgの重りをつけて持ち上げても切れません!
公開されている論文によると、加熱して硬くなるゲルにガラス繊維を複合した材料で実験を行った結果、「交通事故やスポーツのアクシデントの際に発生する大きな摩擦熱に応答して硬くなり,身体を保護するスマートプロテクターとしての応用が期待できる。」とあります。

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熱活性化プロテクターとしての熱硬化性ハイドロゲルの潜在的用途(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/adma.201905878)

aの写真ガラス繊維と複合したゲルです。
このゲルをレーシングスーツに装着し、実際にサーキット(十勝レーシング)で時速80kmにおける摩擦試験を行っています。
bは、摩擦試験後のゲルを使った引き裂き試験の結果です。
ポリアクリル酸(PAAc)にガラス繊維(GF)を複合したゲルは、摩擦試験後でも試験前の82%の強度を保っています(PAAc/CaAc-GF)。
一方、以前報告された両性高分子電解質(PA)にガラス繊維(GF)を複合したゲルは、摩擦試験後に試験前の19.2%にまで強度が低下しています。
どちらのゲルも摩擦熱によって瞬間的に硬くなったのですが、大きな差が出ました。cの写真を見ると、PA-GFのゲルが大きく損傷しているのが分かります。
これは、ガラス繊維のシラノール基がポリアクリル酸のカルボキシル基と水素結合を形成し、より強固な構造になったためです。損傷が大きな方も、摩擦熱で硬くなっていなかったらもっと酷く損傷していたと推測されます。

熱で硬くなることを上手く応用出来れば、このような事も可能になるでしょうね。

このゲルは内部構造の変化に因って強度が変化しますが、大きさ(体積)はほとんど変化しないようです。
体積の変化する温度応答性ゲルも、収縮すると固くなり、強度が10倍以上になります。
ただ、体積変化するタイプは膨潤(膨らんでいる)状態だと弱いゲルがほとんどです。また、応答速度は数分~数十分を要します。そのため、前述したプロテクターのような、一定以上の強度と応答速度が必要な用途には不向きです。
逆に言えば、柔らかいから大きく体積変化するわけですね。
以下の写真は、PNIPAMという代表的な温度応答性ゲルの加熱による変化を示したものです。加熱によって大きく収縮しているのが分かると思います。

温度応答性ゲル2

通常、ゲルは加熱すると柔らかくなって溶けます。逆に、冷やすとゲル化して硬くなります(ゼラチン、寒天など)。
ところが、温度応答性ゲルの多くは加熱するとゲル化して硬くなり、冷やすと柔らかくなって溶けます(分子量の大きなものは溶けません)。
ゲルの中でも、温度応答性ゲルはひと際変わった性質を持っていることがお分かり頂けたかと思います。

好熱菌は加熱による変性を防ぐため、イオン結合でタンパク質の分子鎖を強く結びつけ、さらに一定温度以上で疎水性相互作用を利用して強固なゲル構造を作るという工夫をしていたんですね。
このメカニズムは複雑で、タンパク質の電荷や疎水性基の数などの絶妙なバランスによって成り立っています。驚くべきメカニズムだと思います。

ゲルと生命は不思議と謎に満ちていますね。

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