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久々に燃え尽きてイベントロス状態になったお話

去る2023.11.11(土)に音楽酒場ブギにて行われたDJイベント「スミヨシユーロビートナイト」に参加しました。結果、とても楽しいイベントで終わってから、ずっと抜け殻のようになっています。月曜日に有給を取っていたのは偶然だったのですが、休んでよかったと思いました。

実際、NOTEの更新も結構久しぶりで、このイベントにたどり着くまでに、いろんな紆余曲折があったのですが、そのことも含めて、いろんなことを書いていこうと思います。

選曲がぜんぜん捗らない苦悩

今回は「ユーロビートナイト」と銘打ったイベントであり、僕もユーロビートは好きなジャンルの音楽だし、割と自分でも得意だと思っていました。
ただ、DJをするにあたり、かなり迷いが出てきた部分がありました。
そもそも選曲をしているうちに、自分で得意だと思っていたユーロビートというジャンルに疑問を感じ、「果たしてユーロビートとは何ぞや?」という思いになったのも事実でした。
僕が好きで、ユーロビートと認識している音楽は80年代後半のPWLを代表格としたものですが、実際は87年くらいから、M/A/R/R/Sの「Pump Up The Volume」がUKでヒットしたあたりから、(この曲はRick Astleyの「Never Gonna Give You Up」の連続No.1記録を止めたPWLとは因縁の深い曲であり、SAWの曲も無断でサンプリングして使用されていたため訴訟されたことでも有名になりました。)PWLもハウスの影響が出てきていた時期ではあるし、それがカイリーの3rd「Rhythm Of Love」とかソニアの1st「Everybody Knows」あたりとかになると、ユーロというより、かなりサウンドのアプローチがハウス寄りになっているので、その辺を選曲に入れるか否か?という点で、かなり自分の中で葛藤がありました。
ただ、このイベント自体、ガチ勢とかライトユーザーとか、そういうジャンル論争的な議論をする人達を対象したイベントでもないし、「まず楽しくあろう!」ということが第一だと思ったので、実際、「曲かぶり」以外の面はあまり意識せずに、自分な好きな曲を選曲していこうと思いました。
…が、わかりやすさを意識し過ぎて、ユーロビートも「定番」の選曲が中心となってくると、かなり「曲かぶり」が出てくることは免れません。
実際、当日出演したDJ5人、2巡する構成で行われましたが、1巡目はウォーミングアップも兼ねてか、結構ネタの探り合いのような展開になっていた部分もありましたが、「曲かぶりなんて、どうでもいいや!」と吹っ切れだした2巡目からの会場のボルテージとDJの意気込みが一気に流れを変えた感じがしました。
僕はその「曲かぶり」対策の1つとして、自分の武器である「オリジナルトラック」と「ライブで歌う」という構成を入れたのですが、そうせざるを得ない事情を実生活の中で抱えていました。

物盗られ妄想の再発と筑後川マラソンによる体力と気力の消耗

10月の中旬くらいから、母の介護サービスに週2回のヘルパー訪問が加わりました。本当はこれで少し家族負担が楽になるはず…と思ったのが間違い、
いや、ある意味、僕が抱えていた不安が的中してしまい、自宅生活のストレスが倍増しました。
ヘルパーが訪問したことにより、一度は落ち着いた「物盗られ妄想」が再発し始めました。
実際、まだ母は身体機能としては、家事が十分にできる機能がありますが、誰もいないと家で寝てばかりいて、できるはずの家事をしないので、その機能を保持するために「身体介護の一環」としてケアマネージャーがヘルパーを入れてくれたのです。
新しく出会う人の顔と名前を覚えることができなくなっているので、いきなりヘルパーのサービスを入れても不審に思うのは仕方ないでしょうし、そのくせ、他者がいるときは外面だけはいいので、サービス担当者会議でニコニコ顔でヘルパーのサービス契約書にサインをしたこととか覚えている訳もありません。
やっと、最近少し外部のデイサービスやリハビリと言ったサービスを使うことに慣れてきた感じがあり、少しホッとしていたのですが、そこにヘルパーを入れたタイミングが悪かったのか、一気に状況が悪化しました。
そんな中、10/29(日)にあった筑後川マラソンに出場できたのは、奇跡のような出来事でした。そのイベント前に出場に必要なゼッケンとタグが事前に郵送されていたのを、間違えてゴミに日にゆうパックごと捨てられていたこともあっていたので絶望していたのですが、どうにか事務局の計らいで出場することができ、その日は母の状態も落ち着いていたので、走ることができました。
しかし、それ以後、僕の心身の状況が一気が悪化する事態が起こります。

パニック発作と慢性的な倦怠感の連続

実はそれ以前からも、少しずつ気になってはいたことではあるのですが、感情の面、特に「怒り」「悲しみ」に対するスイッチが壊れているのではないか?と思うくらい自制が効かなくなることが増えてきました。
それは自分の中である意味「年齢的なもの」と思って、そう深く考えてこなかったのですが、それがどんどん生活に支障を来たすようになってきました。

具体的にどんな例があるか、を書いてしまうと引いてしまう人もいるかもしれないので、そこは書かないようにしますが、感情に対するコントロールが全く効かず、あるいは突然ブチ切れたり、物に当たったり、大声を出して泣き出したり、過呼吸を起こしたり、動悸やめまい、振戦といった症状が露骨に出てくるようになり、身体が常に倦怠感が付きまとい、体にうまく力が入らない状況が続くようになりました。

特に11月に入ってからは、11日に向けての準備をしようと意気込んでいたのも気力の消失で、なかなかできませんでした。
この「ユーロビートナイト」は一度、今年の8/19に開催される予定でしたが、会場である音楽酒場ブギが建物トラブルで水没してしまうという事故に見舞われ延期となっていました。
実際、その8/19に向けて選曲して、音源をリマスタリングしたものと、過去のDJイベントで使ったユーロビートの曲のデータが残っていたのが救いでした。(DJに使う音源を自分でリマスターする、という云々については過去の記事「プレイリストを作ると萎えるお話|Yu Katsuragi (note.com)」をご覧ください。)

今回、歌うことにしたのは、少しでも、自分自身のこの最悪な状態から抜け出したい気持ちと、「選曲」の作業や悩みから抜け出したいための苦肉の策でもありました。

ユーロビート楽曲、特にPWL的なアレンジの曲の打ち込み作業は、もう30年以上やって、体に染みついて離れないものなので、DJの選曲をするよりも、ずっと精神的に楽で、自分のフィールドに戻ってきた感じがするのです。
ただし、キックの音作りやマスタリング作業が難航することには、全く変わりないのですが。

カバー曲を作りたくなった衝動

今回のイベントで初お目見えした音源の1つ、音楽酒場ブギのマスター、KUROさんが率いるバンドであるGuzzle Pittの2nd Album「Homeless」に収録されている「Always」という楽曲をユーロビートでリミックスしたバージョンは、8/19の時点では考えていなかったものなので、これは延期が決まった時点でブギの再開祝いも兼ねて制作したバージョンです。

参考にYoutubeの音源を貼っておきます。この曲のリミックスを踊れる大音量でかかったのを聴いて、自分でも自分の曲以上に感激しました。

あとは歌のパートで3曲、1曲はオリジナルはカイリー・ミノーグのカバーであるWinkの「愛が止まらない」。そして、自分のアルバム「Dialogue 1991」からのPWL的アレンジの曲である「Another Night」、そしてディスコ歌謡的な「秘密のロマンス」を今回のイベントのためにHi-NRGリミックスしたバージョンをライブで歌いました。

「秘密のロマンス」のリミックス自体も、本当は会場で歌うつもりはなくて、「Always」のリミックス同様にオンエアで行くつもりでしたが、結果的に、衣装チェンジをする動機づけにもなって、生で歌って成功だったと思います。

そして、「愛が止まらない」と同時に作ったカバー曲がもう1曲あります。
これはユーロビートナイトとは関係なく、以前から「カバー曲をやりたい」と思って、やっと実現した曲です。

オリジナルは村下孝蔵さんの「初恋」です。
これはオリジナルの曲やアレンジが好き過ぎるばかりに、あまり自分自身のオリジナル要素やオリジナルの解釈を入れたくなかったので、ほぼ原曲を再現したような作りにしてあります。特に曲のクライマックス部分にあるコーラスワークは、オリジナルのカラオケ音源を聴き込んで再現しました。(ただし音の定位は除く。)
ただ、Yu Katsuragiの持ち曲に近いイメージで音選びをしたつもりではあります。

しばらく、この「初恋」を含め、村下孝蔵さんの曲やライブ動画などにハマって視聴していた時期がありました。もし村下孝蔵さんが生きていたら、絶対にコンサートに足を運びたいアーティストの一人だったと思うし、ファンになったと思います。それだけに、「もうこの人は亡くなってしまったんだ…」と思うと、すごく胸が切なくなります。

このYu Katsuragiのカバーで、その思いが少しでも聴いた人に伝われば幸いです。

これからしばらくは、家族介護や仕事という現実に向き合いながらも、自分自身を療養させていかないといけないのですが、ランニングも音楽も、あまりペースを落とすことなく続けて行こうと思います。
やはり、今回ユーロビートナイトに出て、その瞬間だけでも、一気に最悪を抜け出し、最高の思いができたことを思うと、僕には音楽、そして音楽酒場ブギの存在が必要だし、その機会を失いたくない思いで一杯になります。
それはランニングに対する思いも同じです。出場を予定している年明けの1/28の行橋シーサイドハーフ、3/10の小郡ハーフ、3/24のさが桜マラソン(フル)に向けて、今年2月の北九州マラソン欠場のような悔しい思いをしないように、やれることを、しっかりやりたいと思っています。

そのためにクリアすべき問題は山積みですが、元気をもらえる全ての出来事に感謝しながら、毎日を過ごしていこうと思います。

あと、音楽活動については、提供曲作りの作業が滞っているので、その作業を少しづつ進めていきたいと思っているので、関係者のみなさん、よろしくお願いします。


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