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どんたく出演を期に気分が前向きに傾いたお話

2024年5月4日(土・祝)に博多どんたく港祭りに初めて参加しました。
何十年福岡県民でありながら、博多どんたくは参加するどころか、見るのも初めて。毎年、ニュースでどんたくに訪れる人の数を聞いて、驚くと同時に何が面白くて、そんなに人が集まるのか理解もできなかったのですが、いざ自分が参加する立場になって、会場を見ると、博多どんたくがどういうイベントなのかを理解できたような気がしました。

ただ、どんたく出演までの2~3か月の間、そこに至るまでの状況は順調なものではありませんでした。

体が重い…

昨年末にパニック障害、適応障害と受診されて以来、認知症の母の介護と家の家事を主軸に置いて生活を続けてきた訳ですが、その悪い影響が出てきたのが2月頃。
それまでは休職していても、なんとかランニングを続ける気力もあり、続けてこれていたのですが、気分の落ち込みや息苦しさ、体の倦怠感が強くなり、走るような気持ちになれなくなってしまいました。

3月10日ハーフマラソン、3月24日はフルマラソンの挑戦を控えて、楽しみにしていたはずなのですが、走ろうとしても、体が重くて動けず、すぐに動悸がしたり、そんな日々が続いて大会参加どころではなくなってしまい、結局、3月にエントリーしていた大会2つはスタートラインにすら着くことができませんでした。いわゆるランニング用語でいうところのDNS(Do Not Startの略)というやつです。

DNS自体は昨年の北九州マラソン前の膝の負傷での不参加を経験しているだけに、またフルマラソンへの参加を阻まれたことで、実際、自分自身が何のためにランニングをしたいのか考え直すきっかけになりました。

今は少しずつランニングを再開してはいますが、せっかく1月末の大会でキロ5分を切ってハーフマラソンを走れるようになっていたのに、今では、せいぜいキロ5分半くらいのペースで12~3km走るのが精いっぱいというところで、自分が主戦場だと思っていたハーフマラソンへの挑戦も危ういくらいの走力になってしまっています。

ただ、そこまで走力を落としてしまったことで、自分の中で走力や速さに対する執着みたいなものが、全く無くなった訳ではないのですが、それを大きく減らすことができました。今では、とにかく体型維持のため、運動習慣を継続するための目的に走るようにしています。
ただ、大会参加自体も楽しいので、大会に参加するのは、今の自分の状態が大きく改善してからにしようと考えています。

デイサービスに行かない母と抑うつ状態

走れなくなってしまうほどの体調不良があるにはあったのですが、母の行動の見守り、家事、と言った家のことをするには、かかったストレスは半端なかったのですが、隙間時間みたいなものは見つけることができました。

今もそうですが、一番ストレスになっているのは母がなかなかデイサービスに行かないことです。月・木に普通のデイサービス、水・金に短時間のリハビリ型デイサービスと契約してはいますが、せっかくそのような機会を与えても、「きつい」と家で寝ているばかりで、週に1度行ってくれたら、まだいい方です。

デイサービスには、家への閉じこもりを防いで、活動機会を増やすことで、少しでも認知症の進行を抑制したり、健康的に日常を送ってもらうための目的があるのですが、その他にも、家で介護する家族へのレスパイトケアと言って、家族への負担を大きく減らす目的があります。
僕自身、特に一日のデイサービスの利用に関しては、大きな恩恵を感じていたし、その間は本当に恵まれた隙間時間で、伸び伸び過ごすことができました。

しかし、デイサービスに行かず、家事もせずに寝てばかり居られた日には、相手が認知症だとか、それ以前に人の過ごし方として、見ていて苛立ちしか感じなくなってしまいます。

今思えば、前述した走る気力を失う気分の落ち込みや抑うつ状態は、その影響が一番強いと思っています。その中で1つだけ自分を救ってくれたものがありました。

イベントの参加が人生のモチベーション

母の介護と、自分の病状の悪化で八方塞がりになっていた僕の生きるためのモチベーションになったもの、それは音楽活動でした。
いつもお世話になっていて、懇意にしていただいている音楽酒場ブギさんの方から、イベントの参加の打診をもらうこと、夜の隙間時間でブギさんに伺うことができたことが、「自分」を維持できる唯一の方法でした。

イベントの参加を受けることで、そのための準備があることで、そのために新たに曲を書き上げたり、曲を編集したり、といった作業に没頭することができたことで、自分の抑うつ状態がどん底に落ち込むことを免れることができました。

その間に、1枚アルバムができるくらいの曲を制作できたことで、若い頃にできていた音楽制作や曲作りの作業のスピードを取り戻すことができたのも事実です。

そんな中、博多どんたくへの出演依頼を頂き、受けることにしました。
僕自身は音楽酒場ブギでの活動をホームとしていて、今回、久しぶりにブギの外であるアウェーで歌うことになり、若干の不安もあるにはあったのですが、そこは一緒に出演した慣れ親しんだメンバーにも大きく恵まれて、大きく不安を払拭することができました。

そして、もう1つ出演に関して、人知れず抱えていた不安が1つ。
博多どんたくはGW中に開催されるイベントでも全国有数の動員数を誇るイベントなので、元々、人混みが苦手なこともあり、その人の多さにパニックを起こしてしまうのではないか…という不安を抱えていました。

しかし、実際に参加してみると、その不安さえも杞憂に終わり、無事にステージを終えることができました。本当にブギの関係者の皆さんや、来てくれた観客の皆さんに感謝しています。ありがとうございました。

今回のどんたくへの参加は、この記事では書けないことも含め、自分自身にとって大きなドラマを背負っての参加になり、終わった後数日、かなりのイベントロス状態になったのも事実ですし、そこから数日たった今も若干引きずっているかもしれません。

イベントロスをきっかけに立ち上がる

ただ、それがきっかけで、今の自分の状況を「早く元に戻したい」という気持ちが強くなりました。仕事をして、音楽をして、ランニングをして、自分の生活を自分自身のものとして取り戻したい前向きな気持ちが出てきました。

まず、それまで適応障害、パニック障害のため「休職」していた職場を「退職」し、新しい職場を探すことにしました。仕事については、介護との両立が不安要素ではあるのですが、今のように自宅で悶々とストレスを抱えるだけの生活を送るよりも、やはり、多少の不安に目を瞑っても、母と「別の場所」で動いて気を紛らわせることの方が大事だと思いました。
そして、母のグループホーム入所の目途がついてきたことも、仕事への復帰を考える大きなきっかけになったのも事実です。

休職する前は、あんなに辞めたいと思っていた、嫌で仕方なかった仕事に、一日でも早く戻りたい。そんな気持ちになったのは人生で初めてかもしれません。今は、もしかしたら心の焦りや、気持ちが急いている部分もあって、冷静さを欠いている部分もあるかもしれませんが、パニック障害や抑うつ状態の原因がわかっている以上、動けるときは動いて、その状況を打開しないと話は始まりません。

改めて、博多どんたくのステージを応援してくれた皆さん、その後の打ち上げに参加してくれた皆さん、お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
今後も一緒に楽しいことを続けていけるように、一日一日を大事に過ごしていきたいと思います。

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