「目眩」と紐解く「Yu Katsuragi」の正体
以前からライブやイベントなどで小出しにして歌ってきたけど、正式に音源としてリリースできていなかった曲について、リリースできる機会をうかがっていたのですが、現在、配信に使っているTuneCoreさんのシングル配信無料(1年間)の恩恵を無駄なく使おうと思い、シングルをリリースすることにしました。
「目眩」にまつわる自分自身の話
この曲は前回4月にリリースした「Reminiscence」同様、個人的に自分が作って歌う曲の中で思い入れの深い曲で、「Reminiscence」と同じくらい大切に歌い続けたい、正調・葛城節の代表曲のうちの1曲です。
曲自体は94年の年末。最初にカセットテープを使った4trのMTRを使ったレコーディングしたのが、95年の年明けになるので、もう28年くらい前に書いた曲になります。
生まれたきっかけは、当時、通っていた満員電車の中で、本当に目眩を起こしたことがきっかけで、頭の中に降りてきた曲です。
そのときのことは、はっきり覚えていて、僕が目眩を起こして、その場にしゃがみ込んだのを、通勤しているスーツ姿の中年男性が声をかけてくれて、近くに座っていた若い女性客の席を変わるようにまで言ってくれたのです。
もちろん変わってくれた女性客の、いかにも関わりあいたくないように、嫌そうだった表情もしっかり忘れてはいませんが、実際、社会の現実なんて、その女性の対応や、その周りにいた全く関わることもなく僕の記憶にも残らなかった人達の反応の方が「普通」な訳で、声をかけてくれた中年男性のような人に巡り合う方が「不思議」なのだと、冷静に考えると思う訳です。
そう言えば、今年、北九州マラソンに出られなくなった忌まわしい転倒事故のことを思い出しても、膝を強打して、4~5分立ち上がれずにうずくまっていたのに、誰も助けてくれなかったっけ…などと思い出しました。
その場で人が倒れても、無視して通り過ぎて、誰も助けてくれないのが、「世の中」なのだ…と割り切る一方で、逆にそんな「割り切り」を反省した出来事もありました。
今年、3月12日に小郡市で行われたハーフマラソン大会で、ゴールまであと500mくらいの地点で、突然、ランナーが倒れました。
僕は、もうその時点ではゴールしていて、駐車場に行こうとしていたのですが、まだゴールしていない、周囲を走っていた人も、協力して救護を呼んで、救急隊が来るまで、その倒れたランナーのことを案じて、必死に助けようとしていました。
実際、僕自身もランナーとして人命救助などの講習を受けたことが初めて役に立った事例ではありましたが、改めて介護職で良かったとも思いました。
そして、今回改めて「目眩」をリリースしようと思ったいきさつは、以前のNOTE記事に書いたように1月に難聴を発症し、めまいや耳鳴りの症状が、ほぼ日常の付き合いになってしまったことで、「めまい」と隣り合わせの生活を送ることになってしまい、名実ともに「めまい」が自分の物になってしまったからこそ、今歌える「目眩」があるのではないか?と思ったからです。
「Yu Katsuragi」の人格設定
「目眩」「Reminiscence」ともに正調・葛城節と言いましたが、この曲に共通するのは、実際、Yu Katsuragiの中の人とは別であることを区別して欲しいのですが、歌い手の「Yu Katsuragi」の設定として「ノンバイナリー」的なキャラクターという設定があって、それを作品の中で一番再現できているのが、この2曲だったりします。それはレコーディングされている声を聴けば、なんとなくわかるのではないか、と思います。
ただ、悔しいのは、これらの曲を作った当時には、「ノンバイナリー」という言葉の知識や語彙が自分の中になく、それを表現したり、説明する手立てが全くなかったことです。
今回、実はリリースの前にジャケット用写真を撮ったのですが、正直、この時は「目眩」の他に、もう1曲候補曲があって、どっちの雰囲気にも合う画像にしようと思って撮ったのですが、ほとんど気持ちは「目眩」の方に傾いていたこともあり、結果、「目眩」の雰囲気を画像に再現できたかな…と思います。
実際、ジャケ写が、その実体がよくわからないくらい、ぼやかしているのも、「中の人」を素材としながら、「中の人」とは違う、「中の人」がわからないように、あくまでも「設定」に近づけた想像上、あるいは創造上の人物であることを表しているからです。
ただ、その「Yu Katsuragi」の設定もブレるときがあって、先日、3/15にリリースされたアルバム「Dialogue 1991」では、上述した設定とは違うキャラクターになっているのですが、それは、また後日書くつもりであるアルバムの話で書きたいと思います。
(Radio Edit)????
4月にリリースした「Reminiscence」もそうですが、今回リリースする「目眩」も(Radio Edit)というバージョン名が付いています。
本当は(Single mix)、あるいは(Single Version)としたかったのですが、そのバージョン名は配信の事情により使えないので、他に「シングル」を意味するところであろう(Radio Edit)というバージョン名にしました。
なぜ、そういうバージョン名がついているか?というと、もちろん、それはシングル用に作ったバージョンだから、という当たり前の回答が真っ先に出てくるのですが、そこで、なぜシングル用のバージョンを別に作るのか?という話を少しだけ。
それは、あくまでも僕自身の作り手としてのエゴに過ぎないのですが、シングルとアルバムに収録されるバージョンが重複する同じトラックだと損した気分になるというか、シングルを切る意味がわからなくなるのです。
僕の好きなKylie Minogueの3rdアルバム、「Rhythm of Love」で、そこから切られた3枚目のシングル「What Do I Have to Do」4枚目の「Shocked」は、アルバムトラックと違って、大胆にリミックスされて、個人的にはアルバムバージョンを凌ぐ出来のカッコいいミックスになってシングルカットされていたことがすごく嬉しかった記憶が今も鮮明に残っていて、僕のシングルへの希望やコダワリの部分というのは、そこに影響されているところが強いと思います。
あとJ-popのアルバムによく見られる手法ですが、オリジナルスタジオアルバムでも、収録曲中、既発曲のウェイトが多すぎて、アルバムのために作られた曲が数曲程度という、ほとんどベストアルバム的な内容のものが少なくないことに、せめて自分のリリースだけはそうしたくない、という反発したい気持ちが先行しているのが、手間をかけてでもシングルバージョンを作る理由です。それは食っていくための仕事が別にあって、売上とか採算とか利益とか考えずに、好きなように音楽がやれる立場だからこそ言えることなのですが、確かの商業的な部分で見ると、ヒットシングルが入っているアルバムは売れるし、いいPR材料になることはわかるのですが、それでアルバムの半分以上を既発の曲、既発のバージョンそのまま、というのは…。これ以上はちょっと口を結びたいと思います。
なので、「Yu Katsuragi」や「Willie2400」に関する中の人、つまり自分自身が関わる楽曲リリースに関しては、間違い探しのようなミックス違いでも、必ずトラックが重複しないリリースをしたいと思っています。
ただ「目眩」「Reminiscence」については、オリジナルのアレンジにも思い入れがあったりするので、わざわざバージョン違いを作る必然性があるのか疑問に思ったことも確かですが、今回、シングル用のバージョンを作ってみて、それはそれで良かったと思います。シングルバージョンでない本来の「目眩」や「Reminiscence」がいつお目見えするかわかりませんが、いつかは必ずリリースします。
長くなりましたが、書いた結果、アルバム「Dialogue 1991」の話をするためのいい導入部分になった、というか伏線になったと思います。
今回の記述で、初めて自分の頭の中だけに留めておいたイメージや設定を公表したりもしましたが、それはNOTEを読んだ人だけの記憶の中に閉じ込めてもらえると嬉しいかもしれません。
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