何周も読むわけ 佐々木実之歌集『日想』を読む 丸地卓也

 佐々木実之歌集『日想』は何周も読んでいる。結社の先輩なのだが二〇一二年に亡くなっているので会ったことがない。二〇一二年はまだ筆者は短歌はおろか、文学にも疎く職場と自宅を無為に往復するだけの生活であった。会ったことがないから何度も歌集を読むのかもしれない。

一夫多妻の教へはありぬ男らは戦ひに死んで数が減るから
仏堂を出づればいつも癖なのか君は両手で帽子をかぶる

 連作「つばめの眠り」は二〇〇五年かりん賞受賞作である。ちょうど自衛隊のイラク派遣の年であるためそれを踏まえているのだろう。一夫多妻に戦争の原理があるかどうかはわからないが、そうかもしれない。サラリーマンとして都会で働く佐々木は、企業戦士を見て兵隊に重ねていたような気もする。脱構築の時代のなかで保守的な思想もある佐々木の歌は、あえて保守的な視点を提起することで、その中にある不条理や生きにくさを炙り出しているようにもみえる。そんな、ニヒルで理屈っぽいところに妙な親近感を覚える。次の歌は瑞々しい相聞歌で、彼女の細かい所作にも気付く感性がある。序文で坂井修一が佐々木のことを才人、知性と感性を感じると評している。そして思想的にも激しさがある人だったようである。もし、たら、ればというのは不毛と思いつつ、もし佐々木が生きていたら、ぼんやりとしている筆者のことを歌会などで厳しくも鋭い評をしてくれたかもしれない。

「そのときはおまへひとりで決めろ」といふ父は人工呼吸器のこと
左手の効かぬ父ゆゑ冬に着るインバネス吾は形見と狙ふ

 延命治療が必要なときに自分自身はなかなか決められない。そんなときに家族に事前に話しておくことが昨今推奨されている。人生会議などと名付けられるが、そんな風潮よりも前に自分の延命について考えている。われと父はときに反発したり、距離を置くことがあったようだが、価値観を共有している部分も大きい。筆者の生業である医療ソーシャルワークの現場でも延命だけではなくどのような最期を望むかの相談が多くあり、在宅医療や病院以外の施設でも看取りを希望するなど多様な選択肢がある。多様な選択肢は人を迷わせることでもある。潔いことが良いことかどうかという議論は別として、父の決断は潔い。われと父の関係は親子のようでもあり、悪友のようでもある。インバネスは文学好きにとってはロマンあふれるアイテムである。形見と狙ふというのがユーモラスであり、また、温かでもある。佐々木は父を通じて戦争、昭和を詠い、また西行にも心寄せしていた。歌人らしさ、文学らしさというロマンを感じた。

電子政府のページより「労基通」を読むインターネットはかく使ひをり

 佐々木はきっと仕事が出来るが、嫌いだ。ワーカーホリックをみると「手段を目的をはき違えている」と言いそうである。尤も他の歌を読むとハードワークでもあるようだ。労働へのニヒルな態度は共感できる。労基通だけではなく、投資や転職活動もいまはインターネットだ。〈かく〉のアイロニカルな感じが会社(社会?)への冷めた目線を表現している。インターネットブラウザのプライベートウィンドウなどを開き、仕事と並行して「労基通」を読むのもスリリングだろう。

「緑なき都会」と恵比寿のことをいふつくばみらいに棲まふをみなは

 このつくばみらいに住むをみなというのはもしかすると結社の先輩歌人のことかもしれない。歌会のときに恵比寿に込められた意味を読み解いたのだろう。佐々木はそれに対してどのように対応したのだろうか。都会は少し歩くと下町のような景色が広がることもあるので、恵比寿にも緑があると少し反論したい気持ちがあったのだろうか。この一首でかりん東京歌会の一場面を想起できてしまうほど親しみを感じた。

 歌会後の飲み会(コロナ禍の前のできごとです)で、たまに佐々木の話が出てくる。先輩方以上に佐々木のことを知ることはできないし、会ったことのないため作家の人間性に裏打ちされるような深い読みもできない。しかし、何か気になり読んでしまう歌集だ。

2021.1.2 gekoの会 丸地卓也

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