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ゴジラの夢

台風がきて、去っていった。それが奪ったものはあまりにも多すぎて、でも、翌日にはラグビー日本代表の勝利に湧き、PUNPEEは星野源の曲をフューチャリング、寒すぎて明るすぎる太陽がまた昇ってきて、そして沈んだと思えば、また昇ってくる。そして沈んだ。台風がきて、去っていった。

人生は納得のいかない散髪だと思うし、納得のいかない散髪は人生だと思う、という話。先日、フィリピン人に1,260円で髪を切ってもらったところ、やはりフィリピン人になってしまった。悶々と退店してから次の日友達と会うまでの時間の、嫌さ。でも次の日、友達は、髪切ったね、と言い、私はウス、と言った。それだけ。その次の日になれば、なんか急に秋だよね(笑)、ウス(笑)、となる。それだけ。

自分が思っている以上に他人は自分を見ているものだが、自分が思っているほど他人は自分を見ていない、という不思議な言葉を聞いたことがある。自分の思いと実際に起こることは、あまりにも乖離している。結局捉え方の問題で、しかもどう捉えても時間が、残酷にも全てを解決していく。それだけ。

台風がきたとき、いろんな人が、いろんなことを言って、いろんなことを聞き、いろんな感情をもった。私としても学ぶところが多かった。でも、台風がきて、台風は、去っていった。人は、あまりにも忘れすぎる。でも、いいと思う。だけど、その中でも忘れてはならないものを忘れないでおきたいし、忘れてしまったことを忘れないでおきたい。忘れてしまった自分を、許せたら、と思う。

忘れることを、諦めること、にも置き換えられる。生きることは諦めること。小学生のころ、たくさんの友達がサッカー選手になりたがった。なのに、不思議なもので、彼らはもれなくサッカー選手になれなかった。私はそこに、とてつもないロマンを感じる。形や思いはどうであれ、一度見た夢を、諦めた瞬間が、彼らの人生には、ある。諦めた日の夕焼け空。隣にいた友達。晩ご飯。お母さんの声。いつもの枕。諦めてしまった自分を、愛せたら、と思う。

マーフィーの法則、というものがある。「失敗する余地があるなら、失敗する」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」をはじめとした、先達の経験から生じた数々のユーモラスで、しかも哀愁に富む経験則をまとめたものである。

この法則と、忘れることというものは深く関係していると思っております。電車の時間を調べずにホームに駆け込んだ瞬間、電車がいってしまった、という場合、チッ(笑)つって、その嫌な印象が記憶に刻まれちゃう。一方で、ギリギリで電車に乗れた場合は、シャッ(笑)つって、ラッキー(笑)つって。了。それらを五分五分で体験してたとしても、より強いイメージのことだけが、記憶に刻まれるから、いつも電車ギリで逃す😭、となる。そういう風にできている。チッ(笑)。

つまるところ、大人になるということは忘れることとあきらめること、だと思う。印象の強いことや都合のいいことだけ覚えておいて、あとは忘れて、諦めて、忘れたことや諦めたことまで忘れて、これまで敏感だったものにいつのまにか鈍感になっていたりする。

21時までに寝ないとソワソワしていた少女が、数年後には朝の9時にそろそろ寝るかと言ったりしている。タバコやお酒は死んでもやらないと言っていた少年が、数年後にはタバコとお酒に生かされている。子どものときに抱いていた感性や思い、夢こそ、あるべき姿、というか、どこか輝いているものであることが多い。しかし、環境が、社会が、時代が、それを忘れさせ、諦めさせた。

でも、21時に寝て、タバコとお酒は悪だと信じ、将来はバルセロナの10番を夢みていた過去を、愛してあげたいと思う。忘れてしまった自分を、諦めてしまった自分を、忘れないであげたいと思う。どこか鈍感な人も、冷たい人も、強がっている人も、きっとどこかで、21時に寝ることを、禁酒禁煙思想を、サッカー選手になる夢を、パティシエになる夢を、人を傷つけたことを、傷つけられたことを、世界中の誰よりも優しく、強く、かわいく、かっこよくありたい、という理想を、諦めて、そして忘れた。それでも今を生きている人は、どこか愛おしく思える。

人間の課題は利己心の克服、と後輩が言っていた。なるほど…と思い、なるほど…と言った。しかし、他人のことを考え始めると、いつのまにか自分への評価に焦点が集まっていて…利己心を克服しようとする態度そのものも利己的で…やらない善よりやる偽善という言葉もあり…となってしまった。でもまずは、自分のこれまでを愛してあげたい。そうすれば、利己的に何かを求めることも、少しだけ少なくなる、と思う。

とにかく考える時間を大切にしたい。若いときの苦労は買ってでもしろ、とか、たくさん失敗しろ、とかいう言葉は嘘で、苦労したいと思ってする苦労や失敗してもいいと思ってする失敗には、あまり意味がないと思う。なんとなくいろんなことを経験するより、絶対にいけると思ったのにいけなかった、みたいなどうでもいい小さなひとつの挫折が、初めて心の奥を触る。そのときの悶々としたエネルギーを、忘れることに昇華したりしないで、必死にこの感覚を覚えようとすることに注ぎたい。それでも闘った自分の過去を、バカにして、後悔して、そして慰めてあげたい。

マンションを見ると、あの中にたくさんの人がいて、起きている人も、寝ている人もいて、今日が特別な日だっていう人がいて、今日こそ死んでやると思っている人がいて、と思う。そして、ゴジラが来たら一発じゃんね、と思う。未来はないかもしれないけれど、過去は確かに、あった。挫折も、喜びも、諦めも、出会いも、別れも、一人一人が確かに経験してきた。ゴジラにも決して奪えないことが、ある。そのゴジラにも夢が、あった。

過去の意味は変えられる。今を生きる、出会いに感謝、何事にも挑戦、の前に、もがきながら、つまづきながら歩いてきた足跡を、時々振り返り、それを、愛おしく思えるようになりたい。

台風がきて、去っていった。

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