わにゃ〜

言葉ってあるじゃないですか。
めっちゃ種類あるやつ。
基本的に、何かを発信したり、他者と意思疎通しようと試みるときには、これを使うことが多いと思うんですけど。分けたけど、何かを発信することをオレは他者との意思疎通と呼んでいる。
気持ちってあるじゃないですか。何かを見聞きしたときに自分の中に生まれるとされる、不定形の感情の塊。
今回の登場人物はこの2人ですね。やっていきましょう。

言葉、言語でもいい。
「自分の考えていることを相手に伝える」ことを、感覚的には「自分の中にある形のない気持ちというものを加工して"意味"が詰まったパッケージ化されている言葉というハコに詰めて渡す」と捉えている。たまにね。たまに捉えてる。
このハコの持ってる種類のことを語彙と呼んでいる。

え〜〜〜言葉で伝えるのが限界なので図解します。意思疎通の手段は言葉だけじゃないんだぞ。わかってるか?持てる手段全部尽くせよな。

とてもわかりやすい図解

伝わるか?これ。
伝わるかどうかを考えていることが、noteを書く上で読者を意識しており、とても良いこととされる。

実際はもっと似たような形のハコがたくさんあり、どれが一番ハマるかな〜〜と選ぶ感性のことを言語センスなどと呼ぶ。
似たような形のハコというのは、喜怒哀楽の怒だけでも何種類も表現があるみたいな話ね。
い、怒り……ふ、憤怒……ブチ、ブチギレ‥‥(おわり)
本当はもっとあるらしいです。weblioで検索してください。
踏まえた上で、こう。

このときの場合、ブチギレてますわ〜〜〜!!!と叫ぶことで、自分の気持ちをうまく表現できたと言える

こういった言葉という意味の詰まったハコを連ねたり、組み立てたり、重ねたりしたものを文章といい、なるべく正確に伝えようとするとどんどん量が増える。
量が増える理由は、結局のところ気持ちを言葉に加工する際にこぼれ落ちてしまう部分がどうしてもあり(図の左下)、同じ気持ちを複数の言葉に詰めて補完していくことで、量が多くなる。
もう一つあり、同じ言葉でも人によってハコの形が微妙に異なるから、それの擦り合わせのための材料として色々補足すると増える。
言葉を尽くす、みたいに表現するとかっこいいね。

オレはかなり自分のことが好きなので、どの気持ちをどういうハコに詰めたかの、選択の残り香みたいなものが好きなので、長い文章を書いた後はよく読み返す。
自分で書いた文章のリズム感とかが好き、の方がわかりやすいんじゃない?選択の残り香って言うとカッコいいだろ。カッコよくはない。

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