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7月某日 流行り病に倒れる夏、自分の欲求に気づく

 もう今年も半分過ぎ去った。早い、早すぎる。半分過ぎたと思った瞬間、流行り病にかかってしばらく倒れていた。実は2回目なのだが、1回目は無症状だったので実質初めてである。
 まず喉の違和感から始まった。エアコンの影響で乾燥したのだろう、と軽く見ていたら夜、発熱と関節痛で眠れなかった。文字通り七転八倒し、唸って寝不足。発熱外来で検査したら、案の定陽性である。とはいえ、5類になってからは発症から5日間でもう外出していいらしい。インフルエンザと同じくらいの療養期間だ。案外早く復帰できる、そう思っていた私は甘かった。
 療養から4日目の夜。息苦しさで目覚め、常に息が上がっているような感覚で眠れず。翌朝、相談ダイヤルと検査してもらった病院、救急相談ダイヤルに問い合わせた結果、救急車を呼ぶまでの事態になった。え、本当に救急車呼ばなきゃだめですか??
 救急車に乗りました。徒歩で乗り込んでシートベルトして……。こんな運ばれ方あるんですね。このときは本当に現実味がなくて、ずっとふわふわした気分だった。結局何も問題は見つからず、帰宅。レントゲンの機器が可動式だったこと、研修医の先生がめちゃめちゃ優しかったことを覚えている。帰ってきて気づいたのだが、この息苦しさの理由は気管ではなくて副鼻腔炎のようだった。鼻が通っていなかったから苦しかったのだと思う。鼻にくるなんて聞いてないよ!!
 現在、なんとか声が出るようになって職場復帰している。療養期間5日間は結構短かった。症状が長引いたら遠慮なく休んでいいと思う。私の場合同居人に言われなければ無理して行っていたかもしれない。「大丈夫」な基準が低いのはよくないとわかっているのだが……。
 一番つらかったのは喉の乾燥と痰、副鼻腔炎らしき症状だ。鼻で息ができるって素晴らしい!と体感している。呼吸器官をやられると日常生活はままならなくなる。今回は同居人が買い出しや料理を担ってくれたおかげで事なきを得たが、一人だったらかなりしんどいだろう。二人でよかったと思える出来事の一つとなった。

 さて、前置きが長くなった。久々に熱を出して、いくつか思うことがあったのでここに記す。
 欲張りな私は勉強も創作も読書も交流も料理も……と時間があったらやりたいことがたくさんある。しかし、普通の暮らしもままならない状態になると「元気になったら何がしたいか」というシンプルな願いを抱くようになる。そこで私が一番に思ったのは”小説を書きたい”であった。
 よりよく生きるためにはやらなければいけないことがある。それはそれで楽しいものだが、本当にやりたいことがどんどん埋もれていく。生活をとっぱらって初めて見えてくるものもある。ないがしろにしてしまっていた創作欲に気づかせてくれた点では、病に感謝したい。
 私にとって小説とは何なのか。不満をぶつけてストレス解消する手段? 承認欲求を満たす手段? それとも自己表現の一種だろうか。どれもしっくりこない。私と小説は切り離されていて、私はただ頭に浮かんだ物語を整合性がつくように並べて付け足して差し引いて出力しているだけのように思える。確かに私の頭から生まれているのだが、生み出している感覚はあまりない。無意識に始まって意識的に終わらせている、ような気がする。小説とは何なのか、を突き詰めるために書いているのかもしれない。自分でもよくわからなくなってきた。書きたいという衝動はあるのに、目的と言われると何も思いつかない。主題が定まらないのはそのせいかもしれないな。伝えたいことがないのだから。小説を通して何かを伝えたい、というより、物語自体を伝えたいのかもしれない。日常を過ごしている中で「こんな面白いことが起こったよ!」と話したい気持ちに似ている。その”面白いこと”は現実ではなくて、私の頭の中で起こっているのだが。小説を書いているときの私は、私であって私ではない。
 これからも小説とは、を考えながら書いていくのだろう。いつか答えが見つかるのだろうか。それもよくわからないが、小説を書いて暮らせたらいいなとぼんやり思い始めた。こんなふやふやした気持ちで職業作家になれるものなのか。まあ、なれなくても書くことはやめないだろう。思考している限り、きっと私は書き続ける。そんな予感がしている。

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