まずは、日本が『お金のいらない国』に  なれたらいいな〜って、考えてみた^^v

『お金のいらない国』という著書を書かれた長島龍人さん。

ご本人自身は、以前に務めていたお仕事の経理的な部分で、お金のやり取りってば、どうしてこんなに ややこしくて 面倒なんだろう〜というご不満から いっそうの事、お金なんて無ければいいのに〜 という腹いせから、元々は、もしも、それがなかったらどんな世界になるだろう? という空想が、広がって、執筆に至ったとか。 

なので、別に 現実的に 実際に『お金のいらない国』を望んでおられるわけではなくて、こういう世界だったら、お金に関するトラブルや 犯罪が無くなるし、一気に いろいろな問題が減る よね〜。お金が得られなくて生活に困窮したり自殺までに至ってしまう事もある一方、大金を持ったら持ったで盗まれる不安や失う恐怖から自ら過剰防衛な窮屈な暮らしに陥ってしまう事も無くなるよね〜 というヴィジョンから。『お金のいらない国』にて描かれている様な 世界観を まずは知ってもらって、どんな世界だったら、本当に 誰もが 幸福に暮らせるのかを それぞれ意識してもらうきっかけにしてもらえたらと、『お金のいらない国』について、マネージャーの あおき ゆうさんと共に、ご本人自身も趣味の落語のお題として『お金のいらない国』を 自ら演目として語られるなどして、広める活動をされている。

そうしたご本人たちの活動のひとつに、マネージャーさん主宰クラブハウスでの お話会があり、先日 8/14(土) 20:00〜 に、私も参加してみました。

ちなみに、クラブハウスでは、録音は、禁止なので、いちリスナーとして、参加していた自分の記憶からレポート的に執筆してみています。なので、実際にその場で会話された内容からは、若干ズレて、自分の耳からインプットされて自己解釈された話になってますので、どうぞ ご了承を。

ここ数日の大雨お天気の雑談などから始まり、リスナーさんから龍人さんへの質問。リスナーさん それぞれが、自分が考えている事などを語りあってみたり、私も途中で、発言したくなって手を挙げました。

⭐️ 発言したくなったきっかけは、他に発言中のリスナーさんからの質問で、生活保護を受けている人や障害を持っていて働けない人は、どうなるのか?という問いに対して、龍人さんが、心配ありません。すべてが タダなので、誰でも必要な物を その人に必要なだけもらってくればいいだけなので、誰も生活に困ることはありませんよ。 という感じで、説明されたのですが、交換する何かを提供できない場合でも、 そもそも何も、何かと交換する必要がなくて、何もかもが、お互いにタダで 供給されている〜という事が、おそらくイメージできなかったのでしょう。 噛み合っていない質問を 繰り返されては、龍人さんもなんとか世界観を伝えようと試行錯誤されているご様子だったので、私も手を上げさせていただいて、分かりやすく言ってみれば、すべての人が ボランティアで 働いている感じになると思います。と述べてみた。

補足すると、私が、龍人さんの『お金のいらない国』について、自分が イメージ出来ている世界観を述べてみると。人々は、自分の得意な事、好きな事を自由意志で、社会貢献の意識から働いている感じ。あるいは、たまたま自分が好きで 趣味として楽しんでやっている事が、誰かに喜んでもらえて、それが 自然と仕事になっているイメージです。

先日のクラブハウスのその場では、補足の部分まで話してみるまでには至りませんでしたが、とりあえず、ボランティア感覚という面では、イメージしてもらえた… のかな? という印象。

そこから更に 質問で、供給の数が 要求の数に満たなかった場合は、どうするんだ?というのの、例えば〜の話で、あちこちへと ちょっとヒートアップ。

私自身の感覚では、要求の数に満たない場合は、次の機会まで待ってもらうとか、他での生産場所から 代用となる何かを 回してもらう〜という発想なのですが、そのリスナーさんご自身の感覚では、足りなければ、じゃあ飢死するしかないんだな? という発想をされていました。 北極や砂漠に住んでいる人は?〜という話まで 飛び入りあったので、私が発言させてもらったのは、現実世界としても、ボランティアで、日本から砂漠に植林をしに行ったり、自然環境を取り戻そうと ボランティアで、水質改善に何かできる事は、ないか?と微生物の力を借りる事に取り組んだりといった活動をされている人も結構いらっしゃるというか増えて来ているので。その感覚で、現地からはインターネットで 要望を出し、それに応えたボランティアの人によって、ドローンで、物資を運搬したりもできる時代になって来てますし。〜と述べた箇所で、要求の数〜の質問された リスナーさんからの発言『 無駄にお金を持っている人から税金を徴収して、砂漠の植林などのボランティアで働いている人を支援できる政策が必要だ』的な。そこで、思わず、『それ、お金のいらない国になるまでの前段階で、有効だと思います。』と思わず 答えてしまった自分が居たんですけれども。後々になって、よくよく考えてみれば、持ってる所から取る的〜発想は、奪う意識からの考え方なので、その考え方よりは、お金を持っている人が、自らの善意もしくは、矛盾しているかの様ですが、無償の愛の意識表現の一つとして、与える意識から、地球環境を良くしたいという活動や災害によって困窮している現場に対して、支援金もしくは、必要物資の提供に動ける〜という事の方が 大切だなぁと思うのでした。

根本的に 本質的に必要なホニャララに気付けるのって、災害が起きた時とかに顕著になったりするんですけど。 誰も困らない世界観を考えた時ですね個人個人の生活が、おのおの個人個人の無償提供に支えられて、互いに売る必要が無くなれば、自分たちが食べる為の 農作物でオッケーなんですが、〜全国の農家さん、自給自足をしようという一般の人、昔から家庭菜園をなんとなくやって来てる人などが、ネットワークで 繋がって、まぁ地域地域で、繋がりたい所どうしでいい〜と思うんですけどね、日本全国に住んでいる全ての人の食卓をまかなえる様に協力し合う事も決して不可能な事ではないというヴィジョンを想い描いてみています。 

卵が先か?  鶏が先か? 究極的に お金システムの撤廃を望むか? 

無償提供が広がって お金の存在自体が 自然消滅していくか?

    『 持ち寄りご飯現象 』

もちろん政治的に世の中の仕組みを改善する方向性も大切な活動だと思います。総合的にいろんな方面からアプローチ、個人個人が、自分自身で考えついた事、個人個人にできる事、自分がこれならできるしやってみたいと思える事。なんでもいいと思うんですよ。

お金に関するトラブルや 犯罪が無くなるし、一気に いろいろな問題が減る こと以外に、互いに無償提供の世界観に目覚めて動き出したら、互いにギフトを贈られて、売る必要が、だんだん無くなって来て、互いにできる範囲で与え合うから、ゆとりが出てくる部分も徐々にできて来て、更に与え愛から与え合うこと(無償の需要と供給のマッチング)が可能になって来る。 

単純に、シンプルに、欲しい に対して どうぞ って事なんです。   あるいは、これ誰か要らない?〜 に対してあぁ〜要るぅ。って事なんです。


人類が 貨幣経済から卒業できるまで、パートで 清掃のお仕事も愉しみながらの合間の創作活動ですが、少しでも有希輪の創作活動も応援したい!って思っていただけましたら〜 💝 ありがとうございます。^^ちょっとした御支援の投げ銭💕=活動&生活のサポートして頂けると励みになります ♪