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夏休みに乾杯!

お盆休み、実家に帰ると近所の温泉宿で仕事を手伝う。

「今年はチバさん来られないって。旦那さんの介護とかあるから、色々心配みたいよ。」

チバさんはおばさんだ。
おばさんというより、おばあちゃんと言う方がふさわしいかもしれない。私がチバさんくらいの歳になったら、こんな肉体労働なんかしないで、家で猫と一緒にまったり過ごしていたい。梅干しを干したり、お茶を飲んだりなんかして。

でも、チバさんはチャキチャキと動き回り、宿の仕事を私と同じようにこなす。お皿洗いの速さときたら、私が1枚洗う間に5枚は洗う。

そんなチバさんがいないと寂しい。寂しいけれど、チバさんの分も一生懸命働かないと。お客さんは少ないけれど、消毒やなんやと仕事はたくさんある。

「今年はお客さん、少なくてね。」

事前に言われていたけれど、思っていたよりもずっと少ない。いつもの3分の1くらい、いるか、いないか。皆ニュースやSNSをチェックしながら過ごしているから、直前になって予約が入ったりキャンセルになったり、凸凹な日々だ。

遠方から来たお客さんとの接触は怖い。こんな時に旅行なんて、正しいのか正しくないのか、働いているこちらもよく分かっていない。それでも、ここで働く人々にとっては、これが日常だ。外から来た人をもてなし、金銭を得る。来てもらえることは単純に嬉しい。当たり前だけど、来てもらえないと商売にならないのだ。暮らしていけない。

だけど、旅館業って不思議なもので、金銭に関係なく、「来てくれてありがとう」の気持ちが、まず根底にある気がする。外から人が来てくれる、それが単純に嬉しいのだ。この気持ちがなかったら、もっと宿賃を釣り上げないと嫌だ。やっていられない。

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「食堂ではお静かに」

なんてことは、誰も言っていない。言っていないのに、皆気を使っているのか、しんと静まり返っていた。食器が擦れる音がうるさい。

私の目の前で、ある家族が静かに食事をしている。

7・8歳くらいの男の子ともう一回り大きな男の子、静かにビールをグラスに注ぐお父さん、お母さんとその隣で世話をされる小さな男の子。なんと言って聞かせたら、こんなに静かにしていられるだろうか。黙々とご飯を食べて、部屋に戻って行った。

大丈夫だろうか。旅を楽しんでいるだろうか。

不安に思いつつ片付けをすると、グリーンピースとキャベツを除けばしっかり食べきっている。自論だが、グリーンピースを丁寧に避けるのは元気な証拠だし、お腹が満たされれば大丈夫。考えを巡らせ、自分を安心させる。

帰り道、川辺に花火の灯りを見つける。街灯の少ないこの田舎では、遠くからでもすぐに分かった。緑や赤に光る煙たい灯りを手に持つ男の子。さっきの家族が楽しそうに、でもやはり静かに花火をしているようだ。楽しそうで何よりと、改めて安堵する。

ご飯を食べて、お風呂に浸かった。たまの肉体労働は身体に堪える。ぼんやりしていると、外から「キャッキャッ」と猿のような声。さっきの男の子たちに違いない。露天風呂に入っているのだろう。私の家はその露天風呂がほど違い。

あ、これ、お母さんがめっちゃ恐い(厳しい)ってこと・・・。

独り言ち、お風呂から上がると、「ちょっと」と呼び止められる。あ、こちらのお母さんも恐いってことを忘れた・・・。

お母さんの夏はいつも通りのようだ。

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送り盆の昼下がり、ばあちゃんと作ったおはぎをチバさん家に届ける。

「今年は手伝い行けなくてな。こき使われなくて済んだわ。」

なんて、憎まれ口を叩く。チバさんもちょっと寂しかったようだ。


皆、それぞれの思うように、考えて、それぞれのやり方で夏をしのぐ。

来年の夏は、この夏を笑い飛ばせるといいな。

そんなことを願わずにはいられない。


帰っていく男の子に「また来てね」と声をかけ、

「うん」

と言ってくれた、その返事を頭の中で何度も重ねる。


「来てくれてありがとう」

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