旧友 is dead

ふと、小学校時代の親友の事を調べてみた。
【訃報】という文字と合わせて、追悼イベントの告知が目に飛び込んできた。
イベントは約一年前、僕は彼の一周忌が過ぎていたことすら知らなかった。

イベントの名前は〇〇 is dead
ちょうど5年前にも同じ名前のイベント
(彼が掛け持ちしているバンドが一堂に会し、過労死するほど演奏するというイベントらしい)を実施していたので、
リバイバルかなと思ったら、本当に死んでしまっていた。

彼はバンドマンだった。
彼はセンスのいいバンドマンだった。

彼は大学生じゃないのに有名な大学の軽音楽サークルに入り浸り、
いくつかのバンドを掛け持ちして、
バンドコンテストでは賞をよくとっていた。

最後に会ったのは多分成人式の日だったけど、
彼が曲を出せばSoundcloudもバンドのHPも訪れていた。
地元を離れた僕が故郷を懐かしむつぶやきには”いいね”をくれたし、
地元を揶揄するようなつぶやきにも”いいね”をくれた。

最初に出会ったのは僕が小学校四年生のころ。
都会から田舎に引っ越してきた僕と席が近く、
なんとなく雰囲気が似ていたのだろう
どっちがともなく話しかけ、すぐに仲良くなった。

当時、野球クラブに参加していた僕は今でいう陽キャグループと
遊ばないとおかしいという変な風潮があったが、
正直あまり馴染めていなかった。

野球は土日だけでいいし、ドッヂボールも休み時間だけでいい。
夕方はメジャーじゃなく、ギャラクシーエンジェルを観たいし、
休日は運動よりも家でアニメを見ていたかった。

そんなインドア全開の僕にとって、彼と遊ぶ時間が何より楽しかった。
学校が終われば彼の家に直行し、遊戯王カードやデュエマで遊んだり、
漫画を描いたり友人らとキッチンでチキンラーメンを作ったりしていた。
クラスメイトがコロコロコミックに夢中になっていた時に、
浦安鉄筋家族を読んでいたのは彼だけだった。

彼と遊んでいるときには野球クラブでの悩みや、
自分の好きと親から求められる姿のずれも気にならなくなった。
分かりやすく言うとオタクである自分を肯定できたし、
さらけ出せるようになった大きなきっかけの一つだった。

余談だが、一時期、彼の家の中でかくれんぼをするというのが流行った。
家の中に様々な楽器があった。
恐らくご家族の趣味だが、環境は人を作るとは本当だと思う。

ただ悲しいことに、小学生の6年頃になると、
なかなか遊ぶ時間が取れなくなった。
彼の周辺にいる友人たちとそりが合わなくなり、
中学2年生のころには遊ぶ機会がなくなってしまった。

それでも学校で時間があれば話していたし、
お互い高校は電車通学だったので、
希に帰り道で会ったときは一緒に帰っていた。

いつまでもこんなシコシコオナニー記事を書いて
感傷に浸っていてもしょうがないんだけど、
今の自分を形成している
大きなきっかけになった旧友の死を
まさかこんな形で知ることになるとは思わなかった。
涙を拭くつもりでティッシュを用意したわけじゃないんだけどな。。

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