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自分自身を理解する

しばらく間が空いてしまいました、すいません。
実は、子どものないおばが救急で搬送され、それに付き添ったりしてバタバタしており。
noteを書く時間を取ることができませんでした。
100日間、休まず書くぞぉ!などと言っておきながら…。
初志貫徹できず、残念な思いもありますが。
たいへん勝手ながら、不測の事態が起きたこともあり。
自分を、こころよく許してあげようと思います。
しかも、もう100日連続とか興味なくなっちゃったんで、やめようと思います。
ただ、毎日ではないかもしれませんが、書けるときには書いていきたいと思っているので。
これまでどおり、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、おばの異変で私、いろんなことを学びました。
というのも私、普段はひとりが基本で、あまり人と関わることがないので。
今回、兄をはじめ、数人と久しぶりに関わってみて。
いちばん、身にしみて理解したのは、自分の繊細さっていうのかなぁ…。
まぁ、こんなこと自分で言うようなことじゃないのかも知れないけれど。
周囲の人たちに比べて私、感受性が強すぎるというか…。
別の言いかたをすれば、極端な「気にしい」なんだなぁっていうこと。
でもねぇ、残念ながらこれまでまったく、そのことに気付いてなかったんですよねぇ。
みんな、そうなんだとフツーに思ってました。
だけど、今回よくよく分りました。
人と関わるときに私、特にメンタル的な部分で「相手からないがしろにされてないか」って、ムッチャ気にしてるんです。
これもまた、子どものころの周囲の大人たちからの影響ですよねぇ。
残念ながら、誰からも尊重されず、大人の都合で振り回された記憶しかないので。
「私は人から大事にされない」ってブロックが、かなり強く入っちゃってるらしいんです。
なので、知らずしらず「この人も私をないがしろにするんじゃないか?」って疑いの目で、相手を見ちゃってるんですよねぇ。
人と関わるときにはいつも、そこにフォーカスしちゃってるから、残念ながら自らの手で「人から大事にされない現実」をつくりだしてきちゃった。
そのことに、ようやく気付くことができたわけです。

ただねぇ、同時に強く反発を感じたのは…。
兄から言われた「波風を立てるようなことを言うな」って意味合いの言葉でした。
つまり、ちょっとくらい腹に据えかねるようなことがあったとしても、胸に留めて口に出すなってことですよね。
これねぇ、かなり日本人の奥深くに突き刺さっちゃってる教訓ですよねぇ。
でも私、この意識がいまのこの、デタラメな日本社会をつくり上げちゃったと思ってるんですよ。
政治が宗教と一体化し、大企業と一体化し、メディアと一体化して。
巨大な利権構造をつくりあげてきた、根本の大元が、そういった日本人の意識だと思ってるんです。
いわば「見て見ぬフリ」ですよねぇ、感じたことを飲み込んで、なかったことにしちゃうって習慣。
さらにねぇ「昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くはず」っていう、変化を排除し、停滞を良しとする風潮も影響してると感じます。
これって私には、成長を放棄し、現状に甘んじている姿勢としか思えないんですよねぇ。
最後にもうひとつ、付け加えさせてもらえるのなら「みんなしてることをしてりゃいい」って意識も悪くはたらいてるんじゃないかなぁ。
これが正に思考停止を生み「長いものに巻かれてりゃラク」って短絡思考に通じてる感じがします。
いや、私もそうでしたよ、かつては。
だけど、そうだったからこそ、思うんです。
それをやってたら変化は生まれず、新しい経験もできず、停滞したまま時間だけを消費して、終わってくだけだって。
だから私は「波風立てない停滞人生」から、卒業することにしたんです。
そして、その場では言えなかったとしても、後になってからでも自分が腹に据えかねることだけはしっかり相手に伝えようと決めました。
たださっきも書いた通り、私の受け止めはかなり特殊なので、相手に伝えたところで理解されないこともあります。
でもそれでも、人から大事にされなかったやるせなさを伝えられるだけでかなり、気持ちはラクになるんです。

…なんて言いつつ、今回ようやく、自分が相手からのどんな反応に対して腹が立つのかがはっきりしたので。
これからは、ちょっとずつでもいいので、自分の中だけで感情を処理できるようになってゆきたいなぁとは思います。
カウンセラーと話したところによると、親に対して求めていた「共感」や「受容」を、関わる人すべてに求めてしまっているらしいので。
ここであえて、私にそれらを与えてくれる人は、残念ながら「存在しない」とあきらめて。
代わりに自分が自分に対し、ふんだん与えてゆけるようになりたいと思います。
いやね、ホントに私、これまでよく生きてきたよなぁと思うんですよ。
孤立無援のなか、よく生きてきたなぁ、って。
しかも私のしてきたこと、いまなら大方、間違ってなかったなって思えるんです。
だからね、もっと自分を大事に、自分に対して甘々に生きようと、たったいま決めました。
だから、100日間チャレンジに失敗したって、いいんです。
失敗という結果が、いまの私に取って、最善の経験だったんだと思います。

では、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。

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