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大事なメッセージ

「私はすべての一部であり、すべては私の一部である」

これは、いまは亡き大好きな愛犬の散歩中に下りてきた言葉だ。

あのころはまだインスピレーションを受け取ることなどあまりなかったので、たまたま歩いている最中に頭が空っぽになって、運良く受け取ることができたのだろうと思う。

受け取った当初は「何のこっちゃ?」という感じだったのだけれど。

それでも、とても大事なメッセージだということは分ったので、忘れないうちにと慌ててメモったのを覚えている。

時期としては、七年前くらいだろうか。

以降、私はこのメッセージを腑に落とし、使いこなせるようになるためにいろいろな経験を積んできた。

とはいえ、未だしっかりとした説明ができる自信なんてないのだけれど…。

なんとなく、説明を試みる時期がすでに来ているような気がするので、挑戦してみようと思う。

私は子供のころからなぜかフラクタル図形や、フィボナッチ曲線など、一部と全体が相似形(入れ子構造)になっているものに惹かれた。

またマクロとミクロとが互いにつながり合っているイメージを、かなり幼いころから持っており、なぜかそれを当然の真理としてとらえていた。

ミクロの一部の、さらにその一部の、さらなる一部の…と、極限までディティールへと入っていくと、やがて宇宙に放り出されることになる。

もちろん逆もまた然りで、宇宙の外のそのまた外のその外の…と、マクロ方面にどこまでも行くと、やがて“一部”の最深部へと放り出される。

どういうわけか私はそれを、最初から信じられていたわけだ。

なので自然と冒頭の言葉も、このような理屈でとらえた。

つまり、部分(私)と全体は入れ子構造になっており、ディティールへディティールへと入っていくと、やがて“すべて”へと放り出される。

さらに噛み砕いて言えば、自分の奥の奥の奥へと潜ってゆくと、やがて“すべて”(宇宙)へと至るということだ。

これってよくスピリチュアル界隈で言われる「すべては自分の中にある」というのと、同じことだと思う。

また、解釈の幅を広げれば「ワンネス」ともつながってくる。

すべてが同一の存在であるならば、冒頭の言葉は至極、当然のことを表していることになるからだ。

そして、ついこのあいだ強烈に思い知った、「人から大切にされないのは、自分を大切にしていないせい」というのも筋がとおる。

だって、他者も世界も、私の内側の奥の奥の奥にあるわけだから。

私たちは様々な存在が影響し合ってつくり出している、この世界に生きているけれど。

同時に、無限の宇宙を内包してもいる。

だから自分をないがしろにすることは、すべての他者やすべての生きものや自然や地球や太陽や…、あらゆる存在をないがしろにするのと同じことなんだよ。

私は七年前、そんなようなことを教えられたのだと、いまでは思っている。

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