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精神性の時代

三年前にパートナーの死に向き合って。

なんとなく、感じた。

「ああ、いつ死ぬかは自分で決めるんだ…」

そして、いまになって振り返ってみると、とても納得がいく。

パートナーが亡くなったのは、2019年の3月10日。

その後、4月1日に元号「令和」が発表され、5月1日から施行。

さらに、その年の末には、武漢で新型コロナがはじまっている。

この大転換時代がはじまる、まさに直前に息を引き取ったわけだ。

そこに意図がはたらいていないとは、私にはどうしても思えない。

もちろん私がそう感じる、ということでしかないけれど…。

ところで前にも書いたとおり、私はいまスピリチュアル的な、ものごとのとらえ方がしっくりきていて。

つまり、私たちの本質は“魂”であり”ワンネス”であって、死んで身体を脱いだら元の状態へと戻るだけだと思っているので。

いまはもう、“死”が恐いものだとは感じていない。

元いた場所に戻るだけ、飽き足らないのであれば、また新たに生まれてくればいい。

そう信じられているから、本気で、いつ死んでもいいと思っている。

「でもまぁせっかく生きてるんだから、最後の最後まで楽しもうかなぁ」っていうくらいのものだ。

だってこの”地球ゲーム”はいま架橋に入ってるから、実際いつ、何が起きたっておかしくない。

つまり私たち、恐がったり不安に思ったり、しようと思えばいくらでもできる時代を生きているわけだ。

だからこそ、いまは「精神性の時代」だと言われるのだと思う。

自分の本質を、自分なりの理解で腑に落とし、それを疑わないことによって…。

はじめて、不安や恐怖から解放される。

自分だけを見つめ、自分の好きなこと、やりたいことに向かって脇目もふらず邁進できるようになる。

そして自分の奥の奥の奥は、外側の世界へとつながっていて、潜って潜って潜ることで自分が好きになることができてはじめて、人のことも好きになれる。

「自分を変えることでしか、人は変えられない」というのは、そういうことだ。

こういったことを知ることができて、体感できて、本当に良かったと思う。

そして、いまのこの私へと至る道を、私が歩き出すきっかけをくれたのが…。

あの、ピンポイントのタイミングでの、パートナーの死だと思っている。

大事なものをくれて、ありがとうね__。

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