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「心配」は攻撃

ひー、すごいことに気付いちゃいました。
正直あんまり、気付きたくはなかったけど。
気付いちゃったものは仕方ないので、結論から言いますね。
実はエネルギー的な観点から見ると「心配」って、攻撃なんですよ。
向ける相手の「生きる力」を削ぎ落とす、武器と呼んでも過言ではないくらいの、立派な攻撃なんです。
にも関わらず、いまの日本社会ではむしろ、美徳に分類されてますよねぇ?
特に、子どもへ向けた親の心配は、尊いものという印象すらあります。
でも、考えてみてください。
もしもその常識のほうが間違っていて「親なのだから子どもを心配するのは当然」と、野放図に子どもを攻撃してしまっているとしたら?
ゾッとするとともに、妙に納得しちゃいませんか?
ね?
だから日本は、これだけ「毒親育ち」さんたちで溢れ返ってるんですよ。
そして世代を超え、いまなお親から子へ、子から孫へと引き継がれているわけです。
いつからか常識をたったひとつ、履き違えてしまったばっかりに…。
これって、由々しき事態だと思いません?
一刻も早く認識の修正をしたほうがいいと、私は思うんですよ。
なので、伝わるかどうか自信はありませんが、説明をこころみてみようと思います。

まず、どうして「心配」が攻撃になってしまうのか?ですが。
これ、いくつか要因がありますので、ひとつずつ上げてきますね。
ひとつ目は、心配というのは無意識のうちに、する方がされる方の上に立ってしまうからです。
飼い犬が家族のみんなを順位付けするように、相手より自分を「上の存在」として定義づけてしまうんです。
なぜなら心配というのは、「目上の者が、目下の者に対してするもの」という印象付けがなされているからです。
ところが実は国語辞典を見ると、そんなことは一言も書いてないんですよ。
なのに不思議なことに、心配って「上から目線」でするもの、という印象が付いてしまっていますよね。
あれ?もしかして、そう感じてるのは私だけでしょうか?
いや、そんなことないはず、みなさん多かれ少なかれそれは感じてるはず。
…ってことにして次いきますね、とりあえず私が感じたことをみんな、書いちゃいます。
ふたつ目は、心配って、する側がされる側の力を信頼できてないから成立するもんなんですよねぇ。
だって、相手を信頼できてれば、心配なんてしないでしょ。
「この子には、できないかもしれない」と思うから心配するわけで、それって子どもの力を信じられてないってことじゃないですか。
そして、みっつ目は心配って往々にして、する側にエゴがあるからです。
たとえば子どもの授業参観に行った親が、先生に指名された子どもを心配するのって、「間違えたら恥ずかしい」って自分自身のエゴがあることがほとんどだと思うんです。
つまり、自分自身が恥ずかしい思いをしたくないから、心配しちゃうわけですよ。
ここまで書けば、伝わりますかねぇ?
そう、心配って、する側の「エゴのかたまり」であることが多いんですよ。

さらにねぇ、自分がそうだったからよぅく分るんですけど。
子どもって、人の無意識をムッチャ感じ取っちゃうんですよ。
つまり、上の例でいうと先生に指名された子は「ママに心配されてる」ではなく、「私ができないことをママは望んでるんだ」って受け取っちゃう。
これねぇ、子どものうち(特に7歳まで)はまだパソコンでいうメモリの領域が育ってないので、やっかいなことに直で潜在意識に入っちゃう。
そうすると無意識のうちに、子どもは親に望まれていることをしちゃうんですよ。
つまり、自ら進んで失敗しちゃう。
で、そういうことが日常的に続いてしまうと…。
親の側は「この子は失敗する」って確信を強め、子どもの側は「私はできない子」って認識を強化して自己肯定感を下げちゃう。
しかも「確信」っていうエサを与え続けちゃうと、エゴってどんどん、肥大化してくんですよねぇ。
結果、どうなるかというと、親は子どもをコントロールしようとするようになるんです。
これで、立派な「毒親」の誕生ってわけです。
ところが、これで終わりじゃないんですよぅ。
子どもはねぇ、親のやることを「正解」として記憶しちゃうわけですよ。
なぜなら前にも書いたけど、7歳までの記憶は、直で潜在意識に取り込まれちゃうから。
潜在意識って、パソコンでいうところのOS(オペレーションシステム)で。
その深層部に深ぁく「正解」として取り込まれ、以降それを基準にして、ものごとをしたり、受け止めたりしちゃう。
だからねぇ、毒親に育てられた子どもが親になると、自分の子どもに同じことしちゃうんです。
そうやって親から子、子から孫へと、世代を経るごとにエゴが強化されてっちゃう。
しかもそれと共に、エゴにとらわれた状態が基底状態にもなってゆくので、親の側は自分が子どもにエゴを押し付けてるって気付くこともできなくなってしまうんです。
これが、いまの日本ってことです。
どうですか?
ゾッとするでしょ?
だから特に7歳までの子供に対しては、親は「心配」しちゃいけないって。
私たち、認識を変える必要があるんです。

あと親は、子どもに「失敗させまい」として心配しちゃうわけですけど。
失敗は、していいんです。
なぜなら私たち、失敗から学ぶ生き物なんですから。
そしてねぇ、これは私、確信持って言いますけど。
私たち、不必要な失敗なんて、そもそもすることはないんです。
失敗は、その人に必要だからもたらされるものだってことです。
どうか、まだ小さい子を持つ親御さんたちはこれ、覚えておいてください。

では、長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、どなたでも共感していただけましたら、拡散のほどよろしくお願いいたします。
私、発信力ないので、お手数お掛けして申し訳ありません。
では、年末で何かと忙しい時期ですが、新地球を楽しみに、みなさん元気にお過ごしください。

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