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“喜び”って?

なるほど、なるほど、ちょっと自分のやりたいことが分ってきた。

まだ、おぼろげに見えてきたばかりなので、詳しくは書けないけど。

私の中の何が変化したのかって、“喜び”に対する捉えかたが変わってきたんだ。

自分と他者が混じって、それに世界が溶けて、一体化して。

個としての私の“欲求”は、相変わらず存在してるんだけど。

そこに、喜びは付いてこない。

う〜ん、なんて説明したらいいかな?

自分の体調や感情に意識を向けて、いい状態を維持することはもちろん大切だし、何より優先事項として捉えないといけないんだけど。

その条件を満たしたうえで、したいことにはやっぱりカウンセラーの言うとおり必ず、他者や世界が関与していて。

つまり自分以外の存在に、何らかの影響を与えてゆく、作用を及ぼしてゆくことが。

唯一、それだけが、喜びとなり得る可能性を秘めているってこと。

分るかな?

言いかたを変えれば、自分という個の中で完結できることは、何ひとつないわけ。

他者、あるいは世界との作用・反作用があってはじめて、自分が見えるし。

自分の御しかたが分るし。

こんどは自分が、外に対して作用を及ぼすことに期待できる。

それだけ自分って不確かで、把握しにくく、やすやすと実感できない、ホログラムみたいなもんなんだよね。

雨が降った直後に、この角度から見ないと見えません、みたいな…。

でも、そんな不確かな存在が、自分自身に対して期待を持てたとき。

その期待を伴った行動には、楽しみやワクワクが付いてきて。

その楽しみやワクワクが、“現実”と呼ばれるものをつくり出す。

いや、そうじゃなくても、自分が現実をつくってることには変わりないんだけど、ね。

自分が期待したとおりの現実ができたときにやっと、喜びや満足が生まれるんじゃないかと、いまの私は思っている。

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