自分で考えて行動する
カウンセラーに、「素直になれ」と怒鳴られたけれど。
私、名前に“直”は入っているけれど、性格は“あまのじゃく“で。
弱ってても強がったり、言われたことを言われたままに行動することに抵抗を覚えたりしてしまう。
三年前に亡くなったパートナーも、私以上のあまのじゃくだったし、落語を聞いていても好感を持つのは決まってそういうキャラばかり。
つまり私、どうやら好きなのですよ、“あまのじゃく“が。
だからあまのじゃくなところを捨てて、言われたことは何でもそのとおりに聞く、名前どおりの自分にはなりたくない。
でも同時に、私、カウンセラーに頼りすぎてるのかもなと思った。
どこかで依存的に、「この人が直してくれる」と思ってしまっているのかもしれない。
そうじゃないよね、自分で直さなきゃいけないのよ。
何でも自分で考えて、行動してかなきゃいけない。
先日も書いたけど、私、親に認めてもらったことがないから。
人に対して無意識に、承認や受容を求めてしまってるらしい。
でもそれって、自分の存在価値を、人にゆだねてしまってるのといっしょよね。
だから、それをやめようと思う。
自分の存在価値は、自分で決める。
そして人とは、同じ場面を「共有」しているだけだと意識する。
同じ場面を見たとしても、受け取りかたは人それぞれで。
フォーカスしてるものもそれぞれなら、とらえ方もそれぞれ。
そして、その場面に接したことで生まれる気付きも感情も、それぞれ違って当たりまえ。
それが、「人はそれぞれ自分の世界をつくり出してる」ってことで。
みんな見たいものを見て、経験したいことを経験してるわけだから…。
相手の見ている世界には干渉しない。
最初から「違うものを見てるんだ」と思って、接する。
それが、私なりの解釈の「共有する」ってことで。
それができるようになるためにはどうすればいいか、考えていきたい。
そしていまのところは、人とはそのときその場だけ、お互いに楽しめればそれで十分だと思う。
なので人との関わりに、“別の場面”や“他のタイミング”を、持ち込まない。
結局、過去も未来もない、“いま”だけの世界を私たちは生きてるわけで。
そういった意味でも、これは理にかなってると思う。
次なる“いま”を共有しようって流れが生まれたら、その場その場で、どうするか考えればいい。
とにかく人とは、リアルであれSNSであれ、「いまだけを共有」するようにしたうえで。
最大の課題は「自分の価値は自分で決める」こと。
そのためには、自己肯定感を上げていく必要がある。
だからやりたいことはとにかくやってみて、どんな結果であろうと、やった自分をほめてあげよう。
ということで、この方針でしばらく、一人でやってみます。