苦しみの正体
やっと、分りました。
私がずっと、全力で遠ざけようとしてきた苦しさって、執着だったんだ。
特に人との関わりにおいて、あまた感じてきた、この苦しみの正体は執着だった。
つまり私、関わってくれる人に対して、これまでずっと執着してきたってこと。
そうか、だから私に取って人と関わることは、苦しみでしかなかったのか。
それで本当は「手に入れたい」のに、同時に苦しみを生むから「遠ざけておきたい」って、アンビバレントを生んでた。
つまり、こころの中に絶えず葛藤が生じてたわけです。
こうやってメンタルって、どんどんこじれてくんですよねぇ。
ひとつ苦しみが生まれると、それを起点に、どんどん別の苦しみを上塗りしてっちゃう。
そして結果的に、ついつい私たち、三次元的なパッチを貼って回避しようとするんですよ。
つまり、なかったことにしようとするの。
そして同じような経験をするたび、まともに見ようともせずに、ブラックボックスに放り込んじゃうようになる。
これがプログラムですよ、オートマチックにはたらく神経回路。
ここまでいくと、つい数日前までの私みたいに、自分がどうして苦しんでるのかすら分らなくなっちゃう。
ところが、いちばんイヤでイヤでしょうがなかった、問答無用で遠ざけようと全精力を傾けてきた苦しみの正体が、執着だったんだってわかったことで。
自ずとその派生形も、見えるようになってきました。
まずは、何かしようとするとき「どう思われるだろう?」って、先回りして考えちゃう悪いクセです。
私の場合は、必要以上にこれをし過ぎる傾向があったので、ついつい行動を回避しようとしてしまう原因になってた。
やりたいことができない、好きなことであればあるほど回避しようとしてしまうっていう、私にとってはやっかい極まりないメンタル的な軋轢もこれが原因になってる部分が大きかったと思います。
でも人と関わるって相手の中にある「私にはない部分」を楽しむことなんだから、こんなこと考えるだけムダだし、いいことなんてひとつもないんですよね。
これって以前カウンセラーからしっかり説明してもらったとこなんだけど、系統だった理解ができてなかったので、完全には身になってなかったんですねぇ。
でも今回、根本原因が執着だって理解できたので、ようやく細胞レベルまで落とし込むことができるようになった気がします。
もうひとつ気付いたのは、自分のやってきたことの苦労が報われるような場面で、それを素直に喜べなくなってることです。
これって完全に、子ども時代に親の顔色見ながら生きてたことが原因で「私だけが幸せになっちゃいけない」っていう、いらぬ戒めを自分に課してしまってたわけです。
でも、これだってみんな一人ひとり、人生ゲームのプレイしてる場面が違ってるわけですから。
手に入れられる喜びが、違っているのも当然のことで。
私は私のゲームに集中して、喜んでいい。
なにも自分がポイント加算されているときに、周りの人たちのゲームの進捗を気に掛ける必要なんてないってことです。
そして何より、これまでは全力で回避しようとしてきた執着由来の苦しさを、これからはブラックボックスに入れなくてすむってことが大きいと思います。
いまも実際、感じてはいるけど、こうしてnoteだって書けちゃうくらい影響されてない。
やっぱりメンタルって、得体の知れないものが恐いんですよ。
正体が知れちゃえば別に、自分の中にあったとしても、何だってできる。
まぁもちろん、慣れてくことは必要だけど、これで徐々にやりたいこともできるようになってくんじゃないかって気がします。
ってなわけで、今日は結局、自分のメンタルの話に終始してしまいましたが。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。