夢中になる
相変わらず、自分を疑ってしまうクセは残っているけれど。
それでもだいぶ、自分を責めなくなってきた。
ああ、なるほど、自分を責めないって、こういうことなのか。
ようやくそれが分って、いかにこれまで自分が、あらゆるタイミングで自分を責め続けてきたのかも分った。
母親に受け入れられないって、たったそれだけのことが、これだけ人のこころを痛めつけ、自分への期待を削ぐんだね。
「母親の期待に応えられない自分になんて、期待してもがっかりするだけ」
そんな思いが幼いころからガッツリ、私の潜在意識に刻み込まれてた。
しかもいま考えると、その思いを裏付けるようなことが、次々と起こってもいた。
つまり私、盛大に、いわゆる“引き寄せ”をしてたのよねぇ。
それが、私が今回、求めてた三次元コンテンツだった。
うん、私それ、もう思う存分楽しんだわ。
体験したかった“苦しい”も、必要以上に引き寄せてきたし。
ちょっと大変な母親のもとに、生まれてこれてよかった。
だけど、もう十分。
思い出したんだけど、幼稚園のころの私は、なにかに夢中になると周りのことが何も見えず、聞こえず。
平気で、誰かに呼び掛けられても無視しちゃうような「ちょっと変わった子」だった。
でも、その私の特性は、周囲の大人たちから問題視されて。
身の周りのことに、常に注意を向けとくよう、矯正させられたんだよね。
けど、もう元の、「ちょっと変わったナオちゃん」に戻ろう。
何かに“夢中”になることを、自分に禁じるのはやめよう。
私の本質は、たぶんそこにあるんだと思う。
だから、そのとき気になってることに夢中になればなるほど、私らしさが発揮できるし。
私らしく生きることで、生きてゆく術も、きっと付いてくるような気がする。
エビデンスは、何もないけど。
きっと、そうだよね。
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