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話し方の上手い子どもへ


学校において、英語のスピーチ、何かのプレゼンテーション、クラスメイトの前で発表する機会というものがあると思う。

その際に、とても発表の仕方が上手い子どもがいるだろう。

導入で聴衆を惹きつけ、ポイントを整理して内容が詰め込みすぎず、絶妙なテンポ感で発表をしている子どもである。

発表の仕方、つまり、話し方が上手いということは目指すべき姿であり、そういった教育がなされるべきであるとは考える。

しかし、1つここで感じることは、発表がうまい子どもを周りの子がどう見ているのかということだ。普通はうまい子に対しては、すごいな、私もそうなりたい、参考にしたい、と感じるとは思う。

ただ、子どもの中には、例えば言葉悪くなるが、「まじめちゃんがまた何かやってるよ」「調子乗ってない?」「あいつは変人だから」と言ったような風に感じている雰囲気はないだろうか(あくまで私の生きてきた中での経験のみにそくしているが)。

つまり、話がうまい子どもに対して、冷たい眼差しを送っているのではないか、ということである。

はたまた、話し方が上手すぎて、わたしには到底難しい、というような諦めの心を抱いている子どももいるだろう。

冷たい眼差しの方はどういう感情からくるのだろうか。本当は自分もそうなりたいけど、自分が劣っていることを出したくないと言った嫉妬心かもしれないし、自分がジェスチャーなどを使って発表することが恥ずかしくて、自分が発表していないのに他の人がそのようにしていることで、恥ずかしく感じてしまうのか、さまざまではあろう。

そこで、考えられることとしては、みんなが上手い話し方になればそのような感情は抱かなくなるのではないか、ということである。

簡単に言えば、話し方が上手い子どもはそこまで多くなくて、上手い子どもが目立っているということなのではないか。目立ちたくないからそのような感情を抱くのではないか。

そのため、しっかりと教育として話し方の練習を具体的に取り入れることで、多数派が話し方が上手くなれば良いのではないか。その際に、難しいから無理だと感じている子にも、簡単な技法で話し方は上手くなるということも実感してもらいたいところである。そして、話し方を学ぶことは、授業内の発表にとどまらず、日常会話でも応用ができるということも伝えることがてきる。

話し方が上手くなるということが、練習次第で簡単にできるということをぜひ教育の一環として取り入れてほしいものである(ただ単に話し方も評価するよ、だけじゃなくて、その練習もするということである)。

そして、子どもが話し方の達人になってもらえれば!(私もそうならないと💦)

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