見出し画像

2人展という残酷さ  芳幾・芳年(三菱一号館)感想

概要

質量共にとても見応えがありました。美術館が長期休館する前の最後の展示として、華やかなものだったと思います。

歌川芳幾(1833-1904)と月岡芳年(1839-1892)は、幕末を代表する浮世絵師、歌川国芳の門下でともに腕を磨き、慶応2-3(1866-67)年には、幕末の風潮を反映した残酷な血みどろ絵を共作しています。
良きライバルとして当時は人気を二分した両人ですが、芳幾はその後発起人として関わった「東京日々新聞」の新聞錦絵を描くようになります。一方の芳年は、国芳から継承した武者絵を展開し、歴史的主題の浮世絵を開拓しました。

三菱一号館美術館ホームページより

どんな展示だったかは多数のレビューが既に存在するのでそちらを。

感想

①比較困難なところも多い

2人展というのはそれぞれの違いを際立たせ、より個性と共通性を強調するという点でスリリングかつ、豊かなものがあると思います。比較して初めて見えてくるものがあるわけです。

例えばファン・ゴッホとゴーガン展(2016年)はまさにその試みが炸裂していました。三菱一号館ならレオナルド×ミケランジェロ展(2017年)もありました。

2017年夏のレオナルド×ミケランジェロ展
素描メインで玄人向けだったがとても良かった。

では今回はそれが可能だったか、といえば難があったと思います。もちろんキャプションに誘導されれば、腑には落ちます。しかしどうしても全体において偉大な国芳の影がちらつくのです。しかも互いに浮世絵という分野にこだわり続けたこともあり、違いは正直作品からではなくキャプションの中から伝わる類です。最後の方にようやくそれぞれの個性がはっきり出てきますが、中盤までそんな感じです。

なぜそのように思うかは「浮世絵」という強い様式のもつ規則だけではなく、その「小ささ」によるものです。要は一点一点が小さいので連作を量並べる必要があるのですが、それ故に比較が物理的に難しいのです。油彩画なら隣にふたりの作品をドンと置けばもう比較が完了します。浮世絵ではそれができません。

さらに三菱一号館のひとブースごとに狭く切られた構造上、芳幾の作品がずらり並んだ後に、芳年の作品がずらり、という感じの比較なので、前の印象を受け止めて観ると、その前の作品の印象と混ざり、比較が頭の中で明瞭になりません。しかもこのふたり以外の作家の作品も途中にあるのでなおさらです。

類似主題なら、芳幾の作品の隣に芳年の作品をおいてもいいとは思いましたが、シリーズごとの一体感があるからこそ、尊重するならそれは不可能ということで、2人展だから見えてくるものをキャプション以外からは感じにくいものでした。

②最後の投票コーナーの冷酷さ(笑)

最後のブースを出ると「芳幾と芳年どちらがよかった」みたいな投票コーナーがありました笑。色のついた付箋を貼ることで投票可能でしたが、私が見た時は大差で芳年が勝っていました。最後に芳年および日本の浮世絵の有終の美とも言える『月百姿』が並んでいたこともあり、事前の知名度も加味すると妥当だなとは思います。

芳年『藤原保昌月下弄笛図』

「ライバル」という風に展覧会を組み立てているので、この取り組みをするのは分かりますが、やらせでもいいので拮抗させてあげてください。審査員のほぼ全員が白玉を投げた紅白歌合戦のような気まずさがそこにはありました。

ネタはさておき、実際見ると芳年の作品の方が「新しい感覚」で満ちていますし、これはいいというものが多いのは事実だと思います。個人の好み以上に。芳幾で個人的に印象深いと思ったのはシルエットの自画像くらいでした。

落合芳幾・柴田是真『くまなき影』 芳幾の像

ゴッホ×ゴーガン、レオナルド×ミケランジェロくらい並び立つものだと相乗効果という感じはするのですが、バランスが少しでも傾きがあると、ちょっと可哀想に思います。意図せず引き立て役として捉えてしまうのです。

もちろん芳幾という優れた浮世絵師の紹介という主目的があったにせよ、ひとりで展覧会としてまとめられないからビッグネームの芳年と組ませたのか、と思わせてしまう残酷さの方を私は感じてしまいました。

まとめ

・長期休館前を飾る展覧会として華やかで素晴らしかった。
・浮世絵の比較展示の難しさ、2人展の秘めたる残酷さなど、展示の難しさを教えてくれるものでもあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?