「回答選」ゲルハルト・リヒターはなぜ人気かについて (8月24日 2022年)

2022年8月24日、Twitterにて回答したものです。質問は「ゲルハルト・リヒターはなぜ人気なのでしょうか?」以下答え。

存命の画家としては高額で取引されるので、注目を浴びてさらに人気、という他に要素としては①出自保守のオアシス論評の土台提供、がとりあえず思い浮かびます。

ゲルハルト・リヒター 2017年

①出自

ゲルハルト・リヒターほどやかましいくらいに出自の説明がされる画家は珍しいです。普通何年生まれ、〇〇美大卒後〇〇を拠点に活動、くらいの経歴紹介なのですが、リヒターは1932年「ナチス政権下」の「ドレスデン」生まれ、親族にナチ党員がおり死者もいる、戦後は「東ドイツ」で絵画を学び、社会主義的な「写実絵画」を学び発表、「ベルリンの壁」ができる寸前に西ドイツへ渡る…というようにやたら詳しく述べられます。無論この出自がその後の表現に関わるので無視できませんが、ヨーロッパ人ばかりか日本人の琴線にも触れるテーマばかりです。

ナチスはもちろん、ドレスデンは戦争末期に大空襲があったことはヨーロッパ人なら常識ですし、東ドイツ、社会主義、ベルリンの壁など、戦中戦後のドイツ史の激動を一身に背負っていることから、少し歴史的なことをテーマにするだけで特別な「重み」があるように鑑賞者は勝手に思い込むのです。彼の作品は彼の出自によってブーストがかかっています。西ドイツのブルジョワ出身ならこうは見なされませんし、リヒターは自分の出自の悲劇性や異質性をある種「武器」にしている自覚があると思います。

元日本兵の「戦争は良くない」というコメントには皆丁寧に耳を傾けますが、戦後出身インテリ・ブルジョワ左翼の平和活動には夢想家だとか、現実が見えていないと批判が殺到するのと同じです。リヒター作品の説得力の根源はその出自にあります。もちろんそれを使うこと自体何も悪いことではありません。

②保守のオアシス

やはり絵という媒体は人気があります。長く親しみがあるからです。「絵画の死」と呼ばれて久しい中、抽象画やポップなものとて、よくわからないノイズや奇妙な装置、秘教的なインスタレーションに比べれば人気があります。絵画を愛しまだ可能性を信じている、今日の前衛たる国際芸術祭の傾向と比較すれば保守的な感性の人たちが、リヒターを旗印として支持しているのだと思います。

もうひとつ深い意味での保守性を考えるなら、リヒター作品の政治性は常に「歴史」に紐づけられていることを念頭に置く必要があります。どういうことかというと、リヒターは強制収容所などドイツの過去に焦点を当て続けることで、政治主題を多く扱っているとみなされ評価されてきた画家です。しかし肝要なことは今日的な問題を描いている訳ではないことです。今ならジェンダーや人権、紛争や環境破壊というような意味での政治的表現ではないのです。その点現代人のアクチュアルな感情や素朴な党派性を害しないので、距離をとって安全に鑑賞・思考できるという意味での保守性があります。若い世代の人気の理由はリヒターの扱う「歴史」への距離感があることだと回答者は解釈しています。

ドイツの現代美術史に詳しい方なら、リヒター自身が、ドイツのアート界における2つの陣営の構造について語ったことがあります。60年代から70年代にかけて、ミヒャエル・ヴェルナーとともに展覧会を開いていたバゼリッツのようなアーティストと、コンラッド・フィッシャーのようなギャラリーに集まっていたリヒターやポルケなどの一派がいたのです。ヴェルナー派は大胆で過激、その同時代人にとって挑発的な作品を続々と発表していましたし、アーティストもある種のスターとして露出していました。

リヒターは彼らとは一定の距離を保ちつつも、常に競争的な態度をとっていたようですが、後にアルベルト・オーレンやマルティン・キッペンベルガーなど、その後のドイツの画家の世代からは、ブルジョワ的な「ミスター・クリーン」タイプとみなされるようになったのです。

ブルジョワ的な「ミスター・クリーン」という称号はまさにリヒターにぴったりの言葉だと思います。ひたすら絵に打ち込む寡黙な芸術家というイメージは、社会活動に勤しむ活動的・挑発的な現代アーティストと比べて保守的であり、一般の鑑賞者からすれば馴染みのある、信頼できるスタイルだと思います。資本主義的リアリズムというものかもしれません。

③論評の土台提供

リヒターは自分でカタログ・レゾネを作ったり、自作の管理をちゃんとしている芸術家です。そして対談や芸術論をこまめに出していますから、批評家やキュレーターには非常にありがたい芸術家でもあります。色々素材を提供してくれるので語りやすい→たくさんの批評が出る→この人は有力な画家なんだなと認知が広まる→現在の人気、は確実にあるでしょう。

2002年のMoMAの展示はアメリカで初めて大々的にリヒターが紹介された記念碑なのですが、批評家のロザリンド・クラウスが、アメリカのジャスパー・ジョーンズやラウシェンバーグらと何が違うかはっきり示せておらず「失敗」と酷評しています。それはアメリカにリヒターの評論や研究の蓄積がなかったことに起因するものです。故にクラウスはリヒターをアメリカのモダンアートがヨーロッパ化した亜流のように捉えてしまったのです。(正直このアプローチは一理あるのではと思う時はあります)

ゲルハルト・リヒター「黒・赤・黄」
ジャスパー・ジョーンズ「星条旗」

リヒターはアーティストでありながら自作のアーキビストでもあります。まとまったデータもありますし、自ら芸術論を出版しています。日本語訳もありますね。そのあたりの蓄積から批評家が彼を題材にして書きやすいことにより、知名度や価値が拡散的に広がったのではないでしょうか。

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