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フラナリー・オコナー『全短篇』(ちくま文庫)読書会まとめ

【日時】2019年11月23日(土)13:00~17:00
【場所】カフェ・ミヤマ 渋谷東口駅前店
【参加者】8名(主催者含む)

 難病に苦しみながらも、39歳の若さで亡くなるまで精力的に書き続けたアメリカ南部の作家、フラナリー・オコナー(1925-1964)の作品は、日本では書簡集や評論集まで含め、ほとんどすべてが翻訳(書簡集は抄訳)されています。
 今回の課題本は『全短篇』でしたので、オコナーの作家としての人生を、ある意味で包括するものであったといえるかもしれません。そのため、読書会では話題が拡散してしまうのではないかという危惧があったのですが、意外にも議論の焦点はいくつかに絞られていたように思います。すなわち、

① キリスト教の教義やモチーフについて、どのような部分が、どの程度まで作品に生かされているのか?
② オコナーはこれらの作品で「悪意」を描いているのか? あるいは悲惨な目に遭遇した登場人物たちの「恩寵」を描いているのか?
③ 小説の方法論、テクニック的な側面について

 ①から順に振りかえってみたいと思います。
 今回の読書会にはキリスト教の信仰、教義に詳しい方たちが参加してくださったおかげで、この部分の議論が充実しました。主催者の貧しいキリスト教知識ではカバーできなかった箇所について、蒙が啓かれる瞬間が多くありました。
 まず非常におもしろい指摘として、オコナーの小説にはいくつかの型があるとしたうえで、基本的には、登場人物たちの「目の中の丸太が取り除かれる」構造を持っている、とする意見がありました。要するに、思い込みや偏見によって霞んでいた視界がクリアになる瞬間を描いており、その覚醒の契機になるのがオコナー作品に横溢する暴力や悪意なのではないか。
 更にオコナーの短篇には「『聖書』の挿話や『黄金伝説』などに収められた聖人伝説、より民俗的な宗教説話などのテンプレートが使われている」との指摘も何人かの参加者からなされました。これについては③の方法論的な問題とも重なるあたりです。
 また一方で、カトリック信者としてのオコナーについて「人間の悪ばかりをピックアップし、善の部分を見ようとしない、その点がよくわからない」あるいはまた「実際の罪より内面的な罪(たとえば傲慢)のほうがフィーチャーされるのはキリスト教的」という意見がありました。たしかにオコナーの小説でひどい目に遭うのは、富や知識を所有している(と本人は思っている)側の人間で、つまるところ「オコナーは現世利益をもとめる人がきらい」なのかもしれません。オコナー自身はカトリックとしての意識を強く持っていたようですが、彼女の信仰がそのまま作品に反映されているとはかぎらないのが、小説のおもしろいところでしょう。

 続いて②について。
 ここは参加者のあいだで見解が分かれました。先述した「人間の悪意を描くばかりで、善の部分を拾っていかない(という意味で『闇金ウシジマくん』に似ている笑)」という意見が出る反面「偏見や思い込みに固執している人でもイエスと同じ振る舞いをする瞬間があり、それこそ彼らにとっての恩寵である」と読む人も。
 また非常におもしろかったのは、多くの人が「オコナーを読むと共感性羞恥をおぼえる」と主張していた点。ある参加者曰く「いままさにオコナーの小説を読んでいる私自身の偽善的な部分が、登場人物たちのそれとなにもちがわないという事実を突きつけられる」
 これは読者に与える効果としてはものすごく強いと思います。自分の最も見たくない部分、秘匿したい部分が、何十年も前に死んだ作家の手によって丸裸にされているのです。オコナーの小説が普遍的な奥行きを獲得しているのはこのあたりに起因しているのではないでしょうか。「オコナーを読むとマゾヒスティックな欲望が刺激される」との名言が飛び出すにいたっては、参加者全員、殉教者の笑みを浮かべるほかありませんでした。

 頻出する悪意に辟易していた参加者たちも、③については異口同音に「上手い」と絶賛していました。
 具体的には「ある個所では映画を観ているように視覚的(オコナーはもともと漫画家志望だった)」「色彩感覚が特徴的で、太陽や森の描き方は宗教画を思わせる、また色の使い方で物語のテンションを決めている節がある」「テーマの設定が局所的ではなく、現代にも通じる問題が多く扱われている」「(作者にとって)身近な、目の届く範囲にあるものを深めていくスタイルが突き詰められている」など。
 特に「グリーンリーフ」や「森の景色」のクライマックスは息を呑むほどのすばらしさで、これらの描写を読むと、オコナーのテクニカルな面がいっそう際立つと思います。

 その他、①~③以外の意見を箇条書きでまとめると、

・正直『スリー・ビルボード』にはあまり似ていない。
・『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン)、『ヘンリー』(ジョン・マクノートン)、『狩人の夜』(チャールズ・ロートン)、『ファニーゲーム』(ミヒャエル・ハネケ)などの映画にはちょっと似ているかもしれない。
・『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のある台詞の元ネタは「田舎の善人」では?
・現代の暴力表現に慣れていると肩透かしかも。
・続けて読むと辛いので、なにか「善なるもの」を同時摂取し、バランスをとる必要がある。
・わりと作者自身のこと(家族構成、経歴、孔雀…etc)を書いている。
・血のつながりがある身内(母親や孫)に対する暴力的な感情を多く描いている。
・子供と老人が多く出てくるが、前者は暴力的だし後者はまったく成熟していない。
・フランク・オコナーと名前が似ている(⇒こちらもとてもいい)。

 また今回はせっかくの『全短篇』読書会なので、参加者それぞれの推し短篇を集計しました。

 結果としては「田舎の善人」が圧倒的に強く、「障害者優先」「森の景色」「すべて上昇するものは一点に集まる」がそれに続くかたちです。が、話しているうちにあれもこれもと増えていくあたり、ほんとうに上質な短篇が揃っているのだな、と思いました。未読の方や苦手意識を持っている方は集計上位の作品から読んでみるといいかもしれません。

 次回の読書会ですが、来年1月には、ふくろうさん&友田とんさん共催の鈍器(ロベルト・ボラーニョ『2666』)読書会があるため、3月か4月頃の開催を予定しております。課題本についてはまたTwitterにて告知いたしますので、みなさまこぞってご参加ください。

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