島尾

【短篇小説千本ノック12】思い込みの作法――島尾敏雄「夢の中での日常」


 私たちはふだん、眠りについてあまり意識せずに生を経ている。
 それは今日と明日の狭間にあるインターバルであって、毎日の終わりにかならず訪れるものと信じて疑わない。今日が終わる。入眠と覚醒。明日が来る。
 しかし、なにかのきっかけでこのルーティンが崩れるとき、すなわち不眠に陥ったとき、人は、眠りというものを、意志のちからではどうにも太刀打ちできない、自己から独立した現象として認識するようになる。見知ったはずのもの、これまで呼吸も同然に反復していたことが、身体と精神に反旗をひるがえす。フロイト言うところの<不気味なもの>が顕現する。眠りを他者として感受し、それに心底追いつめられた経験を持つ者(私もそのひとりだが)の実存は、それ以前とは相貌を異にするのではないか。統御不能な<不気味なもの>と、生存の要件として同居せねばならない、そのことに、私はおそろしさを覚える。
 夢日記をつけた経験のある人は案外多いかもしれない。そして、あれもやはりひとつの統御の方法ではないかという気がする。つまり夢とは因果律を持たないイメージの叛乱であって、夢日記はそれを文章化する。
 文章にするということは、バラバラに散らばったビーズをかき集め、紐に通していくような作業だろう。そこに書きあらわされたモノ・コトがいかに支離滅裂であろうとも、すくなくとも文保構造上は整備されている。
 たとえば、エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵の『夢の操縦法』など、斯界に関する本を、私は浅学にして読んでいないけれど、夢をコントロールすることは、古今東西を問わず、人類に共通する願望であったはずだ。
 であるが、それとは別に、世の中には変な人もたくさんいて、ただそこにあるものを、あるがままにとらえ、描きたいという芸術的欲望に駆られ、夢の世界を活写せんと目論み、そうして残された作品のいくつかを私たちは手に取ることができる。

 島尾敏雄はすごい日記魔で、妻(島尾ミホ)との有名な破滅の危機のただなかにあっても、中腰になって日記をつけていた。その執念たるや尋常のものではない。
 人はなぜ日記をつけるのか。もちろん、そのときどきの自分が、なにを見、聞き、感じ、考えたかを記録するためであり、記録とは物質化の謂である。これは私の偏見だが、もし島尾敏雄が私たちと同時代に生きていたとしても、日記は紙に書いていたのではないかという気がする。SNSとかブログは、まあ、利用はするかもしれないけれど、真にプライベートな記録は、モノとして手元に置いておきたかったのではないか。
 長篇小説『死の棘』に、隠していた愛人の写真について妻に詰問される場面があるが、おどろくことにそれは長大な狂いの過程たる小説の、比較的後半部にあらわれる挿話である。語り手は実に一年近くのあいだ、妻の執拗な疑惑と詮議、感情の爆発に悩まされていたにもかかわらず、彼女の発作をひきおこす火種となるに相違ないそんな写真を、いまだに所持している。
 この男、莫迦じゃないだろうか、と私は思った。
 無論、『死の棘』は虚構だから、作者である島尾敏雄と語り手は区別されるべきだが、すくなくとも島尾の戦略として、小説『死の棘』のエピソードと作者の生活とは、読者の眼前にイコールなものとして展開されている。
 ほかにも島尾は、自著について書かれた新聞や雑誌の切り抜きはもちろん、尋常小学校時代の作文まできちんと保管していたそうで、客観、主観を問わず、そのときどきの自分に関する記録を細大漏らさず蒐集したいという、こう言ってよければ、ちょっと偏執的なまでのこだわりがあったらしい。
 そんな島尾だから、その一瞬を逃したが最後、すぐと記憶からこぼれおちてしまう夢を記録するのは自然のなりゆきで、彼には膨大な量の夢日記が残されている。そうして、その夢日記が島尾の創作活動のなかで重要な位置を占めており、『死の棘』以前に多く書かれた幻想風の作品は、彼が見たであろう夢の感触をリアルに伝えている。

 短篇小説「夢の中での日常」は、島尾敏雄のキャリアのなかでも最初期に位置する作品(1948年発表)であり、実質的な作家デビュー二作目ということになる。
 小説は語り手が「スラム街にある慈善事業団の建物の中にはいって行」くところからはじまる。彼はその建物で集団生活を営む不良少年グループに入団し、そこでの生活の記録を小説化せんと目論んでいる。
 語り手は自身をノヴェリストであると称しているが、まずはそこの部分に奇妙なしこりがある。

 ただ私は最近自分を限定したので、いわばその他の望みがなくなってしまったように錯覚していた。つまり自分はノヴェリストであると思い込むことに成功した。所が世間で私がノヴェリストとして成功することは出来なかった。私はまだ一つとして作品を完成したことも発表したこともなかったから。(略)そこで一つの作品を完成することに着手した。すると表現ということが重くのしかかって来て、私は自分の技術を殆ど見限った。然しそのことについて絶望ということを時には口にしながらも食事をとり睡眠し排泄して、その間にペン字で埋めた原稿紙を重ねて行った。そういうことに一年間がまんした。そして出来上がったものはたった百二十枚しかなかった。(島尾敏雄「夢の中での日常」以下、言及のない太字部分は同作の引用) 

 彼の手になる作品がなんらかの媒体に発表されて、はじめて人は小説家を名乗るものだが、語り手の場合、その順序が逆転している。彼はまず「自分はノヴェリストであると思い込むことに成功し」、そのうえで作品を仕上げる。原稿は売れた。けれども、いまだ作品はどこにも掲載されておらず、そのうえ、次に書くべきものがなにもない。困った。そこで先に述べた語り手の企みだ。

 私のつもりでは、私も不良少年団の一員となって、すりや強盗なども実際にやってみ、戦争後に一番思い切って悪くなってしまったと言われるはたち前後の少女たちとも仲よくして、彼女の酢っぱい思春期を無理矢理もぎとってしまおうなどという悪どい趣味も抜目なく用意して行った。私自身はノヴェリストという仕掛を施したのだから、どんなになっても傷つきようがないという安心感が持てると思い込んだ。そうやってむき出しの両刃にして置けば、逆にヒューマニズムの実践者にされそうな陥穽も用意してあったのだ。そしてその生活の記録とフィクションは私の第二作となるであろう。

 島尾敏雄にはこういうところがあるなあ、と思う。
 『死の棘』においてふるまわれる、一家総出の狂いのしぐさは、間違いなく鬼気迫るものだ。とはいえ、なんだかあまりに度が過ぎて、演劇を見ているようだ。そもそも『死の棘』の語り手は、当初、妻の発作から逃避するために発狂したふりをしていたのだった。戦略としての佯狂。要するにプリテンドしていたわけで、それがいつの間にか本気になって、生きるの死ぬのやっている。
 『死の棘』は夫の不実と妻の狂気という文脈で語られがちな小説だが、それはちがうと私は思う。あれはもう、妻と夫、夜毎おたがいに狂うては高め合い、そうして次第にのっぴきならない次元に突入してしまったプレイのごときものであり、妻・ミホと同程度には、夫・敏雄も役者なのだ。狂うては責める妻と、妻の狂気に追いつめられていく夫というロール・プレイ。潮時を見失い、気付いたときにはもう、後戻りできないところにいる。
 ことほど左様、島尾敏雄という人は、「思い込むこと」の技巧に長けている。そういえば、第十八震洋(魚雷艇)特攻隊隊長として、奄美諸島は加計呂麻島に赴任していた若き日の島尾は、品行方正、精錬恪勤、島民からはあたかも守り神のように崇拝されていたという(いまはどうか知らないが、加計呂麻島には戦後しばらく「シマオタイチョー」という地名が残っていたのだとか)。入隊前までは、生活能力のない、病弱な学生だったのだが。
 私事で恐縮だが、私もどちらかといえば何事もかたちからはいる性質だから、島尾敏雄という人の身の処し方には、特別な共感をおぼえてしまう。形式主義者、スタイリストといえば聞こえはいい。ほんとうは、用意された鋳型におのれを嵌め、馴致させていくことでしか、生きていけないのである。
 そうしたタイプの人間は、つねにある種のオブセッションを抱えている。いま・ここでそこそこ上手くやっている自分とは、実のところ、単なる張子の虎なのではないか。そうしていつかは、贋物であること、空っぽであることが、周囲の人びとに見破られてしまうのではないか。

(インチキインチキインチキ) 
 私の気分がささやいた。
(君はね)
 又気分がささやいた。
(当って砕けろではなくて、砕けてから当っているんだ)

 スタイルとはすでに完成されたものであって、スタイリストとは終わったものに同化しようとする人だ。イの一番から自分をこうと規定していしまえば、なるほど、憂き身をしのぶに容易くはあるが、ここから裸一貫、というはじまりの奮起がない。最初から終わっている以上、あとはどこまでそれを続けるふりをするか、という区切りの問題である。
 島尾敏雄はいくつかの童話風小品をのぞいて、ほとんど物語に興味を示さなかった作家だが、とっくに終わっているものを、いまさらどうしてきれいにまとめることができようか。考えてみればあの『死の棘』も、夫の不倫発覚、という凡百のドラマであれば最大のクライマックス=カタストロフとなるべき場面からはじめられている。あとはもう、終末の残響が、ひたすらに反復されるだけ。こんなおかしな小説はほかにない。
 
 ここまで書いて、これでいいのかな、と思う。
 
 この【短篇小説千本ノック】では、小説のあらすじをある程度重視してきたのだったが、しかしこの「夢の中での日常」という小説の場合、あらすじを追うことには、ほとんど意味がない。
 こういう小説を読むのは、私にとって、かたちも大きさも不揃いのごろた石のなかから、宝石を見つけ出すような楽しみがある。けれどまあ、小説の鑑賞なんてものは千差万別、各人、好き好きに読めばそれでいい。すると今度は、私はなんのためにこんな【千本ノック】なんかをやっているのかという、あまり考えたくない問題にぶちあたり、うわッやばい、と目を伏せる。いつまでも、逃げ切れるわけないのに。
 つまるところ私は、「夢のなかの日常」について書きたいのか、『死の棘』について書きたいのか、島尾敏雄について書きたいのか、短篇小説、ひいては小説という形式について書きたいのか、文学について書きたいのか、それともそれらはすべて口実に過ぎず、ほんとうは、私自身について書きたいのか。
 正直、書いているこちらもわけがわからない。ただ漫然と、妄念のほとばしりに身を傾けているだけで、読まされるほうもたまったものではないはずだが、しかし私は、書いているこの人自身も、どこに向かっているかわからないのだな、と感じられる文章が好きだ。
 筋道だった文章、上等な文章が、すなわち上等な文学ではない。島尾敏雄の文章なんて、理屈ではわりきれないことだらけだ。ではそれを感性のおもむくままに鑑賞しましょう、考えるな、感じろ、とは私の最も嫌悪する態度だ。なぜかというに私はセンスとか感性が貧困な人間だからで、要するにただのやっかみである。
 かといって、わからないものを、わかるという枠組みにあてはめてみたところで、それはきっとよくできた絵解き以上のものにはならない。そのように考えてみると、私はきっと、書くという行為によって、小説を読むという行為を、記録として、モノとして残したいのだと思う。つまりは島尾敏雄の記録癖に近い妄執が、私をして【千本ノック】を書かせているのである。あッ、やっと島尾敏雄が戻ってきた。今回は、なんとか逃げおおせたね。

 特攻というその一回性に賭けた爆発の機会は失われ、悲歌にもうたわれるはずの恋愛は、戦後のあきたりない生活に疲弊していく。先にも述べたように、島尾敏雄において、小説はそのはじまりと同時にもう終わっている。カタストロフの瞬間が描かれることはない。前と後ろを接続する、決定的な一瞬が欠けている。そんな小説をどう終えられよう。
 「夢の中での日常」の語り手は、突然、頭にできた「カルシウム煎餅のような大きな瘡」をかきむしっているうちに、今度は「猛烈な腹痛」に襲われる。

 それは腹の中に石ころを一ぱいつめ込まれた狼のように、ごろごろした感じで、まともに歩けそうもない。私は思い切って右手を胃袋の中につっ込んだ。そして左手で頭をぼりぼりひっかきながら、右手でぐいぐい腹の中のものをえぐり出そうとした。私は胃の底に核のようなものが頑強に密着しているのを右手に感じた。それでそれを一所懸命に引っぱった。すると何とした事だ。その核を頂点にして、私の肉体がずるずると引上げられて来たのだ。私はもう、やけくそで引っぱり続けた。そしてその揚句に私は足袋を裏返しにするように、私自身の身体が裏返しになってしまったことを感じた。頭のかゆさも腹痛もなくなっていた。ただ私の外観はいかのようにのっぺり、透き通って見えた。

 先鋭化されたふりの意識は非常な痛苦をともなう。ここにおいて語り手は、はじめておのれの核を意識する。彼はそれを「頂点にして」自分の身体を「足袋を裏返しにするように」反転させるのだが、その結果としてあらわれるのは、「いかのようにのっぺり、透き通って」いる奇怪な外貌だ。表も裏もない、薄っぺらな身体。小説は、小川の流れに身をひたした語り手が、一本の古木にたむろしている無数の鴉を眺めるところで唐突に打ち切られる。
 私は巷間言われているほど、この時期の島尾敏雄の小説をシュルレアリスティックであるとは思わない。そこには彼なりの夢の論理がたしかに存在しており、その中心部にあるのはやはり周到なプリテンドによって隠匿された自意識であるはずだ。注意深く小説を読めば、島尾敏雄が抱える強迫観念が、たしかに浮き上がってくる……。
 ほんとうにそうだろうか。
 たとえば、小説を書く、労働をする、酒に酔う、異性と交遊する、【千本ノック】を書く……そんな自分をどこか醒めたまなざしで見つめるもうひとりの自分がいる。日本でいえば、太宰治、石川淳などの小説に顕著だと思うが、それを書いているそばから、書いている自分に茶々を入れたくなる。すると今度は、そんな風にもごもご言っている自分のことをまた別の自分が批評する。際限のない分裂。
 そんなことを考えながらこの文章を書いていたら、たまたま読んでいた本のなかで、詩人の野村喜和男がおもしろいことを言っていた。以下、抜粋する。

 だいいち、自分なんか探してどうなるのだ。いまここにある愚かな自分、そのことの確認で十分である。さらにそういう自分を観察してみれば、分裂している。二重あるいは多重である、そのそれぞれが言葉を発している。しかし、それが詩人であるということなのだ。分裂してないより分裂しているほうがスリリングだし、一重よりは二重あるいは多重のほうが豊かだ。そう考えればいい。(野村喜和男『ランボー「地獄の季節」 詩人になりたいあなたへ』みすず書房)

 一読、一人称の単純な語りとも思える島尾敏雄の夢小説や『死の棘』が、自己を眺める距離のパースペクティブにおいて、奇妙に複雑な視点を獲得しているのは、いままさにおのれの手によって紙面に書きつけられている自分自身を、分裂した他者として認識、観察しているからではないだろうか。
 『死の棘』以降の島尾敏雄は、書き上げた原稿のほとんどすべてを妻の検閲にさらしていたという。書き直しの指示にも従順に応じていたらしい。無論、おのれの仕出かした罪の贖いという側面もあったにちがいないが、島尾からすれば、この検閲のルールは、自己を観察するまなざしがもうひとつ増えたということに過ぎず、そもそも斯様な創作作法を旨としてきた者には、さしたる躊躇も不満もなく受け容れられる事態だったのかもしれない。自分のなかに棲まう他者を描いてきた作家は、ここにおいて、ついに真の他者の視線を獲得したのだった。

 最近、どうもあまりバタ臭い小説を読む気がしません。次回は、そうそう読んだことのある人もいないのではないかな、と思う秋山正美の短篇集から一作取り上げる予定です。えぐいですよ。多謝笑覧。

☆ 今回読んだ本
島尾敏雄著 / 種村季弘編『島尾敏雄 孤島夢(日本幻想文学集成24)』(国書刊行会)

☽ おまけの一冊
島尾敏雄『死の棘』(新潮文庫)
⇒ 今回は例外的に同著者の小説。読んでない人はなにを優先しても読んでください。こんな小説は日本以外では絶対に書かれません。日本近現代文学の最高傑作です。





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