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レポーティング(報告やブログ等)との付き合い方について

Salesforceやってるとよく聞くのが、高級な報告蓄積ツールになっているといった話しで、蓄積されるだけマシではあるのですが、蓄積された情報を誰も読んでないみたいなことが起きているという話しをたまによく聞く。そんな中でタイムラインに流れてきたX(ホントはTweetって書こうと思ったんだけど、なんて書くのが正解なんだろうかw)

めっちゃ分かる。そして、そう思う人が大多数だろうということもわかっている。世の中で最も読まれていない文章が週報だと(個人的に)思っているのだが、これも普通の人は読まれていない状態を放置しておくと、何の意味があるのこれ?だるくない?という方向性に行くので、弊社では簡単にレスポンスがつけられるような方法を実装している。

Slackに流れてくる週報ブロック

Salesforceで週報を登録→SlackにBlock Kitを使った形式でPostされる。
週報にはボタンが付いていて、「いいね」「相談乗るよ」「その話聞きたい!」という形になっている。
Slackはこういう場合デフォルトだとスタンプを付ける運用になるのだが、僕みたいにpushしたあとを振り返らない人だと、わざわざ自分のpostを見たりしないので反応に気づかない。そこでボタンを押すとスレッドに誰が反応したのかを流すようにしてある。ボタンが押されると、投稿した本人に通知が行くので確実に反応がわかるのだ。
読んだ本人も、コメントまで入れるのがダルいなと思っても、ボタンくらいは押してくれる。そんな感じで誰と誰がコミュニケーションをしているのかを可視化できるし、当人同士も繋がりを実感できるという形だ。

ただ、僕自身は割りとそんなことはどうでも良くて

こういった報告を書く事も、このnoteやQiitaのようなものを書くことも、反応は比較的どうでもいいと思っていたりする。
文章を書くということはそれすなわち、自分の頭の中を整理する事だ。その文章が完成した時点で、自分に向けたフィードバックは完璧に完了することになり、他人様がどう感じるかなんてどうでも良い些細な事なのである。頭の中は整理され、記憶として定着する。忘れちゃったとしてもキーワードさえ覚えていればググれば出てくる。
他の人からあれ読んだよ、良かったよと声かけてもらうとかフィードバックくれるとかはちょっとしたオプションでしかない。なんならちょっと小っ恥ずかしさすらある。(もちろん読まれるということが査定につながる環境であれば、きっちりと通達するだろうけれど)
そんな感じでtextingに日々励んでいるのでした。

textを書き続けるということは、どういうことか

そういった訳で、第一の目的は自分の為なのだけど、それだと良いことがある。続けられるのだ。だって自分の頭の整理のためにやってるんだもの。日々色々な仕事をしていれば、頭の整理は必須な事。ネタは増えこそすれ、なくなることは無い。
続けていると何が起こるかと言うと、自分がGoogle検索したときに自分の文章に当たったりする。自分の手癖で書いているので、自分にとっては最も読みやすい文章だ。しかも一度過去に整理しているじゃないか。天才なのか俺は?と思ったことは一度や二度ではない。(言い過ぎ

そうこうしているうちに、2014年10月からはじめたこのnoteも、あと少しで9年目を迎える。書いた記事は240記事程度だが、文字数もそれなりにあるんじゃないかなぁ。色々書いていると、あれ読みましたと言われることも増えていくし、知らないところでこれ読んでね!って使われていたりみたいなことは沢山ある。
2019年から蓄積しているプレゼン資料蓄積所 https://lne.st/geeorgey も、気づけばスライド数は1800を超えていた。これもよく参照されてるっぽいが、Googleスライドはアクセス解析入れられないのでよくわからない。

でもね、結局は物量なのだ。最初のうちにフィードバックがかからないからといって心折れる人が大半な世界の中で、自分に向けて情報の整理をしていただけで物量が担保される。担保された物量はパワーとなって自分を動かしていくみたいな事が起こるんだよね。
最初からその見えない利益に向かって走るのはまた本末転倒だったりもするのだけど、そういうこともあるんだなぁと思ってまずは自分に向けて資料作成するみたいな心持ちで行くのはいかがでしょうか。

noteにはこれまでの経験を綴っていこうかと思います。サポートによって思い出すモチベーションが上がるかもしれない。いや、上がるはずです。