「五輪が原因で感染拡大してないから良かった」ではない

既に「五輪が直接感染拡大には寄与してないから良かったじゃないか」と「五輪開催は間接的に感染拡大に寄与したから悪かったじゃないか」がぶつかりあっているが、論点はそこじゃないと思っている。

感染リスクを最小限にするためのリソースを平等に与えずに五輪にだけ与えることを、政府が勝手に決めたことをこそ問題にすべきだ、と主張する。

実際に今回の五輪から直接出た感染者は、国内の感染爆発状況に比して悪いものではなかったと思われる。

大会関係の感染者は計430人
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内訳をみますと、選手はいずれも海外から来日した人が29人で、選手団の監督やコーチ、IOC、競技団体といった大会関係者が109人。メディア関係者が25人、組織委員会の職員が10人、大会の委託業者が236人、ボランティアが21人となりました。
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大会の管轄下で行った62万4364件の検査では138人の感染が確認され、陽性率は0.02%でした。

この間東京都の検査はおよそ20万件で新規陽性確認はおよそ5万人で陽性率25%。えっ概算とはいえ陽性率高すぎないか……とはいえ、都内の方が圧倒的に拡大スピードおよび陽性率が高く、現状で五輪からの感染がその原因とまでは言えない。むしろ今後その影響が出るかどうか、といったところ。

無観客・パブリックビューイング無しの決断は正しかった。これが無ければさすがに感染拡大の影響も大きかっただろう(とはいえ、「延期して来年有観客でやる」が一番正しかったと今でも思っているが)。

自粛しなくても良いためのリソース

もちろん、感染者はいたしクラスターも一部あったしバブルも完全ではなかった。しかし、その論点で戦ってしまうと良くない。「結局お前達が自粛しなかった事の方が大きい」と言われて反論できるだろうか。そうではない。五輪関係者は自粛したから成功できたのか?違う。五輪関係者は「自粛しなくても良いためのリソース」を優先的に与えられたのだ。

ご存知の通り(何を聞いても首相が繰り返し同じことしか答えないので)五輪関係者はワクチンを優先的に接種されたり、毎日検査して陰性だった人とのみ試合ができたり、移動もバブル形式で東京の感染者から守られたり、とにかく多くのリソースを投入して守られた。

それに対して東京都民は未だワクチンが十分に行き渡らず、検査は都全体より五輪内部の方が多く、日々出会う人は陰性証明も何もないので常にリスクに晒される。これは「国民を捨てて五輪関係者を守る」という政府の「選択」の結果ではないのか。

安心して帰省するためのリソース

帰省に対して五輪の政府答弁をかけたブラックジョークが流行った。

これも、政府が公平な対応をしていればジョークにならずに済んだかもしれない。「無料の検査で陰性証明できます」「ワクチン接種済みです」「休業補償で2週間ほど引きこもってから帰省するので安心できます」など、五輪関係者に与えられたようなリソースがあれば、コロナ禍の最中でもある程度は安心して活動ができたはずだ。しかし、その権利はアスリートとその関係者にのみ特権的に与えられた。

もちろん、頑張ってワクチン接種と検査と引きこもりを実行できる人もいるだろう。しかし五輪はなぜか政府がそれを補償してくれる

もちろん、他のイベントも同時に開催できたかもしれない。しかし、感染拡大状況によっては常に自粛要請されるリスクがある。政府が開催を補償してくれたのは五輪だけだ

なぜ五輪だけ政府が安心、安全を保障するのか。

「安全だったから良かった」では済まされない

「安全ではない」ことを突っ込む人が多かったけど、私は「他の活動はなぜ同じレベルで守られないのか」、その公平性の欠如とリソースの勝手な配分が問題だと以前から指摘してきた。

そして、この問題は忘れられがちだ。世論としては、タイトルにあるように、「五輪が感染拡大に寄与したかどうか」が論点となっているように見える。これが非常に危ういと思う。

無意識に「五輪に対して検査・ワクチン・隔離などのサービスが提供されるのは当たり前だ」と刷り込まれていないか。ここに「他の国民ではなく五輪関係者に」提供しよう、という暗黙的な選択が当然とされていないか。

結局、守られない市民はこんな中でもリスクを冒して働く必要があり、五輪アスリートとの待遇の格差を見せつけられても自粛だけで身を守る必要があった。しかもデルタ株のせいでもはや普通に働くと自衛すら難しい状況だ。

私は、開催自体は選手のために正しかった可能性があると思っている(何度も言うが延期が一番だった事は未だ譲れない)。しかし、例えそうだとしても、上記のようなリソースの簒奪を暗黙的に行うようなコミュニケーションには大きな問題があったと言わざるを得ない。

五輪は「安心・安全だから開催された」のではない。

「五輪だけが安心・安全に開催できる権利を優先的に与えられたので、他の活動を差し置いて実行できた」のであり、この事を正直に丁寧に伝えていれば、「ワクチンや検査などのリソースを与えられない国民の皆さんは帰省を自粛してください」という、論理的には通った説明が可能であった。感情的にそれを受け入れられるのかはまた別だが。

なぜアスリートの一生に一度は守られて、国民の様々な一生に一度の機会は守られなかったのか。それに答える責任があるはずだ。私の価値観ではこれを正当化するような答えは思い当たらない。一体どんな価値観で判断が下されたのだろうか。

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