Outer Wildsで「宇宙の法則に触れた」感触がこの手に残っている
本ブログは、Outer Wildsという傑作SFアドベンチャーゲーム(人によって「Portalに並ぶ」とか「Undertaleに並ぶ」とか「グノーシアに並ぶ」とか、とにかく人生で最も衝撃を受けたタイトルに比肩すると表現される)をクリアした私が、既にクリアして他の人の感想を漁ることしかできない所謂「Outer Wildsゾンビ」の方々に向けて自分の感想を記すもので、未プレイの方にネタバレを読ませる気は一切無いため、有料設定にしてあります→無料化しました。が、未クリアの人は読まないで下さい。
未プレイの方は有無を言わずプレイして(クリアまで20時間くらい、らしいです。私はコンプリートしてたので40時間かかりましたが)、それから戻ってきてください。世に出ている記事とかも、何がネタバレになるかわからないので、読まないほうがいいです。すべて自分で確かめてください。
ネタバレまったく関係ない超序盤のところだけで魅力をお伝えすると、音楽も良いです。ゲーム内時間に合わせていくつかのトラックが同期的に再生されており、違和感なく一つの音楽として重なっていくような部分にもこだわりを感じました。
それ以外のことは何も言えないのでプレイしてください。
ではネタバレ区間に入ります。
ルールとしてのSF表現
Outer Wildsの魅力とは何と言ってもSF的な世界観の奥深さだが、実際の所、これがSFとして「精緻か」というとそういう意味ではなく(星と星の距離がせいぜい数キロメートルしか離れていないこともそうだけど)、ゲーム的な様式化はそこかしこで行われている。
制作元のMobiusへのインタビューにもあるように、彼らはたしかに「Player CentricではなくSimulation的であること」を重視しているが、それは現実をシミュレートするという意味ではないのがポイントだ。量子的な挙動やブラックホール表現などは現実の科学からインスパイアされているが、あくまでそれを「ゲームとして面白いアイデア」に昇華した上で表現している。
ビデオゲームのシステムというものは多くの意味で抽象化されているわけだが、抽象化の目的としてはまず第一に「遊べるようにすること」であり、次に「カッコいいこと」とか「実装しやすくするため」などが基本的な考え方であると思う。誰だって銃弾一発でリアルに死んだり弾痕をずっと気にしなければならないようなゲームをやりたいとも作りたいとも思わない。
抽象化されたシステムの多くはプレイヤーにとっても製作者にとってもありがたいものだ。生死がHPという値で抽象化されることで、わかりやすく遊べるものになる。
一方で、ゲームの世界にとって抽象化は一種の綻びでもある。もちろんゲーマーたるものそんなことにケチは付けない。「そういうこと」として合意の上で遊ぶことが楽しいとわかっている。
Outer Wildsは違った。
Outer Wildsに実装された抽象的な物理シミュレーションは、プレイヤーにとってもクリエイターにとっても「本当に世界がこのルールで動いているのか」と目を疑うようなものばかりだ。これは遊びやすさや作りやすさを考えたものでないことは明白だ。
目を離した瞬間に忽然と消える量子の月
すべてを吸い込むブラックホール
島ごと吹き飛ばすトルネードで埋め尽くされた海
砂とともに重力加速度も交換し続けていく双子星
次元が折りたたまれて座標という情報が意味をなさない亜空間
愛をこめてこの言葉を送ろう。「クレイジーじゃないか?」と。
いずれも現実に即しているかというとそうではない。それでいてゲームが遊びやすくなるわけでも作りやすいわけでもない。こうしたクレイジーなルールはすべて、この世界が本当に目を疑うような仕組みで動いているという、このゲーム世界の中ならではの真実性を確たるものにするためだけに実装されている。
たしかにその世界は面白そうだ。ゲームジャムで作る実験的な作品としては十分挑戦に値するような気がする。だがそのアイデアで、本当に何十時間もプレイヤーを熱中させるような世界が作れるかと問われると、どうだろう。プレイヤーにとってもクリエイターにとっても未だ体験したことのないストレス(それ自体は悪いことじゃない、少量なら……)を与えながら、どうやって結末まで見届けたいと思える世界が作れるのか?
私はすぐにこう思ってしまいそうだ、この作品には「第一欲求が無い」と……(最終的に、知的好奇心が第一欲求になっていると思うが)
Outer Wildsは元々学生のプロジェクトとしてIGFを勝ち取り(その時点で凄い事だが)、その時点では「第一欲求」が足りない実験的な作品だったかもしれない。そこから社会人になって投資を得てさらに数年をブラッシュアップにつぎ込んだ結果、出来上がってしまったのがこの傑作なのだと思い知らされる。興味深く挑戦的なアイデアの上に、それを伝えるためのアートやサウンド、テキストを含めた凄まじい量の改善が加えられている。
自分がどの時点で、何に魅力を感じて、どうしてこの「次々に未体験の新しいストレスを与えてくるワイルドな世界」に没頭していったのか、ここからは順を追って思い出していきたい。
この宇宙は常に重力が働いている
まず最初に驚いたのが「重力が本当に容赦なくかかる」という事だった。これは当たり前と言われればそうかもしれないが、私にとっては最初の洗礼として印象的だった。
思えばこの時はまだ、「宇宙空間に出たら、無重力だからゆっくり目的地を選べるんだろうな。星の重力に捉えられるモードと、無重力のモードがあるのかな」と、無意識にプレイヤーとして丁重に扱われることを期待してしまっていた。
浅はかだった。コックピットは深宇宙の闇しか写していないのに、重力加速度は常にかかり続けていた。壮大な冒険に旅立ったはずの私は、物語の主人公としては考えられないほど醜いコースを描いて墜落した。
ワイルドじゃねぇか……
古代文明を感じさせるアート・サウンド・テキスト
序盤は世界と物語に引き込むためのトリガーが近場に無数に散りばめられていた気がする。
博物館はまさにそれを直接的に達成しており、Nomaiという種族が高度な古代文明(これだけでもフックとしては十分だ)を持ち、さらに、枝分かれする多次元の文書方式を用いているらしい(これもどこかのSF作品で見たような気がするが、実際に視覚化されて読めるとなると小躍りしてしまう)。
手始めにアトルロックに着陸する。そこでいきなりNomaiの古代技術が動いている様を目の当たりにする。このシーンは強烈にこのゲームの恐ろしさを直感させた。穴を覗くと惑星に重なるという仕掛けはマチュピチュの遺跡を思い出させるし、動いているオブジェクトも古めかしさと超常的な感じが同居している。覗き込んだ時にその惑星からの音が届くという異質な表現も面白く、またNomaiの遺跡に来た時のアンビエント音楽がこれでもかというほど「世界の謎と対面している畏怖」を突きつけてくれる。
ブラックホールを描画している!
操作に慣れてきて、最初に向かうのは脆い空洞だ。クリエイターインタビューによるとこの星が制作側としては「ラスボス」だったらしい。広さも仕掛けも特段にこだわった特注のもので埋め尽くされている。
この惑星を訪れたすべてのプレイヤーが体験するように、私もブラックホールに落ちた。「落ちたらどうなるんだろう」とかそういう事を考える間もなく、あっ、と思ったら真下にはブラックホールしか無く(ステージ1に来たという気分のプレイヤーがいきなり「脆い地面の下にはブラックホールしかない」というワイルドな空間を想像できるか?いや、できない)そのまま落ちるしか無かった。
初飛行の墜落に続き、この仕打だ。この世界は俺のことをまったく歓迎しているとは思えない。しかしそんな事よりも未知の体験による驚き、感動、興奮、次は何が待ち構えているんだという期待が最高潮に膨らんだのもこの瞬間だ。なぜって、ブラックホールが本当に時空を捻じ曲げる超越的な空間として描画されていたからだ!
このようにブラックホールを視覚化したゲームがあっただろうか?あったのかもしれないが、私は体験したことが無かった。時間と空間がねじ曲がる、超越的なルールが目の前に展開される。そしてSF小説と違うのは、それに「触れている」という感動があることだ。
私はジェットパックブースターでブラックホールに抗うことが許されている。
しかし実際に抗って抜け出すことは不可能であるとすぐに気付かされる。これは小説で「主人公はブラックホールに吸い込まれていった」と描写されるのとは意味が違う。
このゲームで許されているあらゆる行動をもってしても抗えないというシステムによって表現されることで、「本当に抗うことの出来ない特異点が目の前に存在する」ことが身をもって証明される。
しかもブラックホールに落ちることは失敗ではなく手段である
実を言うと最初にブラックホールに落ちてホワイトホールから出た後はどうしていいかわからないうちに酸素が切れて死んだ。ブレスできなくて死ぬオブザワイルドを感じた。
しかし慣れないうちは何度も落ちることになる。クソっどうしたらいいんだ、と思ったらホワイトホールステーションにたどり着くようになっている。ここで戻れることに気がつく。
この時の天地が裏返る映像表現も圧巻である。ゾクゾクする。
しかし本当にヤバいのはこれがただの救済手段なんかではない事である。
(これが正しい攻略法だったのか未だに自信が無いのだが)脆い空洞にある「量子知識の塔」は、周囲の情報がすべて「塔で知識を得よ」と誘導しているのにも関わらず、普通には登れないようになっている。
しかし、何度かブラックホールに落ちている時にふと気がつくのである。あれ?あそこに浮いてるのって、量子知識の塔じゃね……?まさか?本当に?ブラックホールに落ちることすら罰ゲームでもなく、ホワイトホールで戻すことは救済手段ではなく、その一連の行為はこの世界で許される特異な移動手段の一つでしかなかったというのか!?
すべてがダイナミックに変化する世界
次に向かったのは「砂の双子星」だった。このあたりでようやく、このゲームのもう一つの偉大なコンセプトに気付かされる。
片方の星では刻々と砂が地面に積み上げられて下層のフィールドが隠れていき、もう片方の星では刻々と砂が巻き上げられて下層のフィールドが見えてくる。
つまり、22分というループは単純にその時間分の猶予があるという意味ではない。22分の中のどの時点で訪れるかによって、フィールドの状態がまるで違っているのだ。
こうした所では、製作者が「大のゼルダファン」と語っていることの意味を感じられる気がする。BotWでの神像のダンジョンでのダイナミックな変化も記憶に新しいが、時のオカリナの水の神殿もそうだし、時間で刻々と変わる世界はムジュラの仮面のようだし(※私はムジュラをクリアしてないので、半分知ったかぶりです)、スカイウォードソードのラネール砂漠に埋もれた古代文明がアイテムの力で顕現されるのもそうだし、風のタクトの写真システムからインスパイアされたことは動画でも直接言及しているし、推測可能な例はいくらでもある。
Outer Wildsの世界がさらに恐ろしいのは、フィールドの地形が変化するだけでなく、2つの惑星の重力加速度がループの序盤と終盤ではまるきり反対になるという、宇宙スケールで納得感のある変化も追随してくるところだ。
無限の探究心に打ち震える
このあたりから行く先々で新たな真相が明らかになり、やめ時を完全に見失う。1日2ループと最初は思っていたのに、気がついたら何回もループしてそのたびに新たなセンス・オブ・ワンダーを感じ取っていた。
プレイヤーが気にしている「なぜ22分のループに陥っているのか」「なぜ超新星爆発が起こってしまうのか」という事と、Nomaiが追い求めている「なぜ世界の目の正体が掴めないのか」という事が二重になっているのも物語を魅力的にしていたように思う。
22分のループを生み出したのがワープコア技術による時空の歪を応用したらしいという情報と、軌道探査砲の砲身が起き上がるたびに毎回ランダムに変化することを否が応でも見せつけられている事から、それによって全宇宙の探査を行っているようだという事実に行き当たった時は思わず膝を打った。無限回の試行を重ねれば必ず解が見つかるというのはいかにも数学屋の考えそうなことだ。
ただしそれでも22分のループでたどり着ける「距離」に特異点が無ければ失敗に終わるので、無理をしてでも探査範囲を広げるために基準値を超えたエネルギーを投入して起動探査砲を破壊するに至った奴の気持ちもわからなくはない。
そして探索の末に闇のイバラの果で絶縁体のイカに出会い、巨人の大海のコアに潜って、遂に手に入れたのだ。宇宙の目を示す座標を。これを見た時はもう既に「船」を探査し終えていたので、「これ入力したらクリアじゃーーん!」と大いに喜んだ。
私は喜々として船に赴き、明らかにこれを入力するための装置に、無重力下で速度同調を使いこなして斜めになりながらも必死に座標を入力した。
詰まった。
終わらなかった。ワープコアが壊れているとかそういうメッセージは焦っててあまり頭に入ってこなかった。とりあえず何か起これよ!えっマジで!?
ここまでポンポン進んでいたので、頭を抱えた。でもまだ「?」がそれなりに残っている。探していけばヒントが必ず見つかるはずだ。こう見えて必要なことはちゃんと伝えてくれるゲームだという点については十分に信頼していた。
残っていたのは
量子の月
ブラックホール鍛冶場
太陽ステーション
湖底の洞窟
未知のエネルギー反応
あたり。
「移動」と「観測」だけで気が遠くなるほど多様なプレイを生み出す世界
量子の月にたどり着くことほど、心が震える経験はなかなか無い。
量子物質に関する知識は「量子知識の塔」「量子試練の塔」で教えられていたので、量子イメージングによって月にたどり着けることは何となく検討がついていた。しかし、あまりに美味しそうだったのでその体験は取っておいたのだ。
地上に置いたリトルスカウトが月を捉えている間に着陸。成功した。その先に広がるのは、あたりを見回すたびに巨大な船や塔が文字通り神出鬼没となる異常な空間。
しかし塔の説明に書かれていた「量子ゆらぎ」が何のことかわからなかった。まだ知識が足りないようだ。
最後の知識は湖底の洞窟に隠されていた。ここに行くのに苦労した(それぞれの量子のかけらに知識が隠されているとは説明されたが、「量子知識の塔」なんて立てたんならそこに集約しておけばいいだろ。Nomaiめ)。
何度トライしても行き止まりばかりに見えたが、ジェットパックで無理やり通ろうとしたらなぜか通れた時があった。正直納得していない。その先でNomaiの文章を読むと「量子のかけらに乗ったNomaiが、光を消した次の瞬間に姿を消した」とあるので、それを再現しろということらしい。しかし、ステージにある光を消しても再現しない。何かが足りない。
……まさか、ヘッドライト!?
ヘッドライトを消すと完全に暗闇に包まれる。次の瞬間、自分は別の場所にいる。なんというエウレカ。黒フェードで何かをごまかすゲームが多いとはいえ、まさかプレイヤーが意図的にそれを引き起こして使うなんて。
後になって徐々にこの量子システムのデザインの美しさに気づく。プレイヤーがやっているのは
移動する
カメラを動かす
ライトをつける
リトルスカウトで見る
シグナルスコープで聴く
これしか無い。およそアクションと呼べる動作が移動しか無い。それなのになぜ、あちこちでこんなにも多彩な体験が待ち受けているんだろうか。
「見る」ことをアクションに変換するアイデアは革命的だった。この世界観のこのゲームでしか有効に機能しないという点でも素晴らしい。
見ることは対象をそこに固定することになり、見ないことは対象を移動させることになる。
「見る」ことに意味があるのだから、カメラを動かすこともカメラを飛ばすこともライトを消すことも、普通のゲームならただの便利機能あるいは基本機能としか言えない動作すべてに意味が生まれる。
「移動」にしたって、重力下で高いところに足が届かない状態と、無重力下で高さが意味を失う状態と、砂や海や重力床の影響で高さの基準自体が揺るがされる状態とで、無数の意味が折りたたまれている。
主人公の能力はまるで進化しないのに、それに反応する世界のほうがあまりにも多様なので、次々に新しいことにチャレンジしている状態になる。
そうしてついに、未知との遭遇を果たす。
最後の謎でまた詰まる
最後に残ったのは「灰の双子星プロジェクト」の「?」だけだった。が、ここでまた詰まる。ちょっとヒントが足りなかった……ような気がする。
灰の双子星の中心洞に行くしか無いというのはわかる。それが物理的に密閉されており、おそらくワープしか手段が無いということもわかる。
が、なぜだろう……灰の双子星のワープ塔が、その中心洞にも対応しているという確たる情報を得ていない気がしていた。たしかに、「ワープコアが6個ある」という情報と、「ワープ塔が5つしかない」という事と、双子星のワープコアの片方が反対側の燃え盛る双子星に対応しているということから、もう一方は中心洞に対応していても、おかしくはない。わざわざワープコアと惑星中心の対応関係がどうなるとワープ可能かといった親切な補足までついていた。
しかし、これが間違いなく中心洞に対応するという確信が微妙に足りなかった。結局はその消去法で行ってみて正解だったわけだが。
今までの進み方は「アレをやれば行けるじゃん!」という確信があったので、何か見逃している大きなヒントがあるのでは?と勘ぐり(なんか右下あたりぽっかり空いてるし)、彗星をくまなく調べたり、深宇宙衛生のところまで行ってぶつかって破壊してマップを表示不可能にする実績を解除したりした。
砂の滝に流される中で無理やり下方向にジェット噴射してワープできたときはちょっと拍子抜けしてしまった。
宇宙の目=プレイヤー?
そんなこんなで中心洞に到達し、ワープコアを手に入れた。ここまで来たら終わらせるだけだ。船に行き、座標を入力し、ワープコアを挿せば船は「宇宙の目」にワープするに違いない。そこには何が待ち受けているのか……
この時点で私はちょっと嫌な予感というか、メタフィクション的な読みをしてしまった。「宇宙の目」というのはプレイヤーのことを言っているのではないか?
ちなみに、私は物語の予測能力についてはお世辞にも高いとは言えない、いや、むしろ多くの人が「この展開は予想できたなー」って事すらいちいち「全然わかってなかった!純粋に驚いた!」ってなるくらい予測が下手なので、良く言えば没入しやすくて新鮮な驚きが得られるわけだが、それゆえにネタバレは苦手だ。
そんな私だが、Nomaiがしきりに宇宙の目の特徴を語り、その正体を考察している中で、自分も一緒に考えてしまい、プレイヤーという存在が心に浮かんでしまった。
宇宙より早く生まれている=ゲームより早く生まれている存在=プレイヤー
宇宙の目が私達を呼んだ=プレイヤーがこのゲームを欲して彼らを呼んだ
宇宙の目は私達に興味がないのかも、私達である必要はないのかも=プレイヤーにとっては数あるゲーム(宇宙)の一つで、この宇宙やキャラクター達だけが特別に必要なわけではない
などなど、いくつかの特徴がそのまま当てはまりそうだった。そして、宇宙の目にワープする瞬間にカメラが三人称視点になってプレイヤー的な存在が映し出される、というエンディングを想像してしまった。
まぁ、結果的にはそんなことは無かったが、テキストを書いた人の仮説の一つとしてはあった可能性はなくもない。
あと、一番最初に予測したような「惑星直列で音楽が完成して美しくエンド」というのはちょっと外れたが、ちょっと当たっていた。説明不能の現象に説得力を持たせるのは音楽しか無い。美しいエンディングだった。
なにげに演奏のモーションがちゃんと音楽にしっかりと合っていて演奏している感があって良かった。
タイトル画面の音楽が心に染み渡る。本当に良い曲だ。
超新星爆発に飲み込まれる恍惚
エンディングもだけど、ループごとに超新星爆発に飲み込まれるのも、失敗というよりは解放として機能しているように感じた。
「太陽が爆発する」ほど、逃れられない死のイメージは他にはない。それはもう恐怖とかそういうのを通り越して、あーこれで全部終わるんだなー、っていう恍惚を感じさせる。
ありがたいことに、このゲームはループするためにそれが何ら実質的な終わりを意味するものではなく、単に無重力空間をさまようストレスから解放されるだけに過ぎない。しかも、知識だけを得ていく設計故に、失われるものも何もない。そうなるともう「綺麗だな……」という感情だけが残る。
幾度となくこの爆発に向かう前の「宇宙の終わりの音楽」も耳にしただろう。ワープコアを手にしてから宇宙に飛び出した時に、「今度は本当に(ループせずに)宇宙が終わる!」っていうシチュエーションでこのアレンジが流れるのも最高にアツい演出だった。
システムやアイデアが表立って評価されやすいポイントだとは思うが、アートとサウンドの面でもまったく引けを取らないどころか、総じてこのゲームでしか味わえない魅力を持った、完成度が非常に高い作品でもあると感じられる。
こうして私もめでたくOuter Wildsゾンビの一人となったわけだが、この記事をオススメして盛り上がっている様子を発信して頂けると、より多くの人がOuter Wildsのことを知りたくてしょうがなくなるかもしれない。広げていこうOuter Wildsゾンビの輪。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?