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パリ・オペラ座の日々1993~1994:10月21日 イタリア・フィレンツェ③


10月21日

お天気がちょっと悪いが気合を入れて出かける。アカデミア美術館へ行きダビデ像、奴隷のシリーズを観る。サン・マルコ修道院へ行き、受胎告知、サヴォナ・ローラの火刑の絵画など。

ローマへの移動のためのチケットを購入して、列車までの時間でサン・ロレンツォ教会のメディチ家礼拝堂を訪れる。子供の頃から慣れ親しんだジュリアーノ・メディチの本物と対面して大感激!

お昼はハンバーガーで済ませて列車に飛び乗ってローマへ。16時30分くらいにローマ着。サンタ・マリア教会近くでホテルを探すがなかなか空きがみつからず、結局共和国広場近くのホテルに決める。でもここはいま一つだった。。夜は激しい雷雨で、ホテルの隣の中華を食べる。ここは美味しかった。

財布 2000L
ホテル代 21000L
アカデミア美術館 2000L
サン・マルコ修道院 1200L
鉄道代 6260L
メディチ家礼拝堂 1800L
ハンバーガー 1520L
コーヒー 140L
Tel 50L
中華 4700L


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(アカデミア美術館の入り口付近。普通のアパート的な佇まいでおそろしく地味です)

アカデミア美術館は、ミケランジェロのダビデ像が収蔵されていることで有名ですが、本来はフィレンツェ美術学校の付属機関として設置された美術館です。1784年にトスカーナ大公レオポルド一世によって設立されました。

フィレンツェ出身の作家の絵画作品、彫刻を収蔵していますが、ウフィッツィ美術館と比べるとより時代(1300~1600年頃)が限定されたコレクションです。

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ボッティチェリ


でも何と言ってもこの美術館を特別なものにしているのは、あのダビデ像。

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1873年までは本来の市庁舎前に設置されていましたが、風雨の影響を避けるためにこの美術館内に収蔵されました。現在市庁舎前に立っているのは1910年に設置されたレプリカです。

僕たちが訪れる2年前に暴漢がハンマーで彫像の足を破壊する事件があり、1993年には既にこの写真のようにガラスの防護壁が設置されていました。


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これは1850年代に撮影された市庁舎前に立つオリジナル像の写真。股間にイチジクの葉があったり、1527年の動乱時に破壊された左腕の修復跡などが生々しく残っています。現在はもっと綺麗な状態に修復が進みました。

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタもひどく破壊された経緯がありますが、500年作品が生きながらえるためには美術関係者のたいへんな努力があることを痛感します。


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サン・マルコ修道院も有名ですね。


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フラ・アンジェリコの受胎告知はとても美しい色彩ったのですが…


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ここはやはりルネサンスのターニングポイントとなったサヴォナ・ローラの神権政治の舞台となった場所です。当時はそれほど観光客も多くなく、静まり返った廊下を歩きサヴォナ・ローラの火刑を描いた絵画を見ていると、なんだかそのドロ~~ンとした空気感が漂っているような気持ちになりました。

ボッカチオ、ダンテ、ジョットの登場、そしてドナテルロやセティニャーノが活躍し、ヴェロッキオの工房からはレオナルドが、メディチ家の庇護を受けてミケランジェロが現れる… 今はそんな流れが頭の中にちゃんと描けますが、当時はそういった美術史の基本すら知らなくて、まったく消化不良でした。サヴォナ・ローラについても単に「火刑にされた人」という認識しかなくて、共和制、メディチ家支配に揺れるフィレンツェの政治体制について学んだのはずっと後になってからです。


まだまだフィレンツェで観たい場所もあったのですが、予定通りローマへ移動することにしました。鉄道チケットを購入して、列車の時間までの数時間でサン・ロレンツォ教会のメディチ家礼拝堂を鑑賞しました。


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ここは石膏像でもメジャーな存在である「ジュリアーノ・メディチ」のオリジナルがある場所です。当時はちゃんと理解していなかったのですが、メディチ家礼拝堂はこのサン・ロレンツォ教会の「一部」なんです。

観光の入り口は別々だったのでメディチ家礼拝堂だけを鑑賞したのですが、この本体の教会側を観なかったのは大失敗でした。どちらにしても教会側を見るだけの時間は無かったと思いますが、ここはメディチ家代々の菩提寺としてとても重要な教会で、とくにドナテルロの説教壇、セティニャーノの秘跡の祭壇などは後の石膏屋の仕事とも関係するものでしたから、見逃したことは後々後悔することになりました。

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教会のファサードとは反対側にメディチ家礼拝堂(神聖具室)の部分があります。

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2番がメディチ家礼拝堂
6番がミケランジェロ設計のラウレンティアーナ図書館
7、8番がドナテルロの説教壇
9番がデジデリオ・ダ・セティニャーノ作の秘跡の祭壇


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ともあれこちらはしっかり見てきました。ヌムール公ジュリアーノ・メディチ。日本の美術教育では大定番の石膏像です。


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という感じで後ろ髪をひかれつつローマへ。フィレンツェは見どころが多すぎます。10日くらいのんびりしたいものですね。



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