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パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ⑦今後の連載の進め方

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さて。長い序文でしたが、27年前に僕らが体験した1年間のパリ滞在日記をスタートさせたいと思います(まだ始まってなかったのかよ!( ̄ー ̄)。)
(そしてまだここで序文が続いてる…笑)

バレエという要素を抜きにしたら、ごくごく平凡などこにでもある海外滞在記でしかありません。語学がお粗末でしたから交友関係もほんの少しでしたし、美術館、レストラン、ヨーロッパ域内旅行なども20代後半の未熟な知識と資金力では限界がありました。今から振り返ると後悔ばかりです。

いや、後悔なんて本当はしていない(どっちなんだ)。結局は運命というか、辞めるべきタイミングで仕事を止め、行くべきタイミングで海外へ行ってきたと。それだけのことなんです。確実なことは、この時に実行に移さなければ永遠に実現できなかった計画だということです。50代になってしまった今では、これは確信を持って断言できます。

じつはこの時期の記憶は、愛憎入り混じるというか、妻との間でも長年素直に語り合えないような微妙なほろ苦さを感じるものでもありました。異国で単純に楽しいだけではない場面がたくさんありましたし、この一年間と引き換えに失ってしまったもの(継続的なキャリア、貯金)も大きかったです。帰国後に待っていたのは仕事と子育てに明け暮れる生活でしたから、夢のような時間は記憶の奥底にしまい込み、目の前の現実に必死に対応しているうちに四半世紀が過ぎてしまいました。

それでも何の縛りも無く海外に暮らしているという高揚感と、夕方15分ほどメトロに揺られて行けばそこに世界最高峰のバレエ公演が待っている幸せ。駅からアパートへと下る目抜き通りの商店街には、美味しいパン屋さんが何軒もあり(徒歩10分の行程の間に8軒くらいあって、どこもそれぞれ個性があって、それぞれ美味しい)、八百屋さんの軒先で買う野菜は何もかも美味しくて、不法に路上販売している屋台のお兄さんから買うアンズとライチの瑞々しさといったら! 夏の夜、チュイルリー公園の移動遊園地で乗った危なっかしい観覧車。空に吸い込まれるような切なくて甘く美しい瞬間…。

記憶を辿れば、やはりそれは一度きりの得難い貴重な時間だったのです。

こんな風に感傷的に書き連ねるのはなるべく避けようと思います。もっと実際に起きたこと、体験したことを残されている僅かな写真、資料を基に客観的に記述して、読んでくださる方が僕たちがすごした一年間を追体験してくれるような形にできたらと考えています。

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当時の日記帳です。本来は家計簿なんだけど、余白のところにほぼ毎日の行動を記録していました。

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なんのバレエを観たか、どこで食事して何を食べたかなど、我ながらマメに記述してあります。お金は家計簿でちゃんと管理して、空いたページにはチケットなどレシート類がびっちり。

これから始めるパリ滞在記録noteでは、この記録を頼りに何日分かの記述を集約した形でひとつの記事に仕立ててアップしていこうと思います。パリ・オペラ座のバレエ公演だと、1つの演目を5~7回くらい連続して鑑賞したケースが多いので、そういった場合は1演目=1noteにまとめて紹介します。実際には主役級のキャストは毎日入れ替わるので、それぞれに書きたいことはたくさあるんですけど、そんなのはあまりにマニアックだし、僕は踊りの評論家ではないですから。

あまりひとつの記事を長くせずに、ある一日を切り取ったスナップ写真のような記事にできたらと思います。

基本的に、昔流行った海外ドラマの「24」みたいな感じで、1993年の4月3日に起きたことを2020年の4月3日にアップしていく予定です。名付けて「365」(笑)(実際には11カ月なのですが)。数日おきに更新できたらと考えていますが、仕事との兼ね合いもあるので間隔が空くこともあるかもしれません。

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旅は1993年3月27日(土)新宿サウスホテルでの宿泊から始まり、1994年2月27日(日)東村山の妻の実家で終わります。



では、始まり始まり。

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