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パリ・オペラ座の日々1993~1994:6月4日 英国旅行 ケンブリッジ③Milk Race、ロンドン①ロイヤルバレエ団


6月4日

のんびり起きて宿を出て町の中心まで歩いて行ったら、Milk Raceと呼ばれるアマチュアサイクリングレースが開催されているとのことで、慌ててスタート地点に駆け付ける。10日くらいかけてイギリス各地を転戦するというもの。けっこう大がかりでTVカメラも来ていて面白かった。スタートを見届けて、カフェでお茶を飲んでから電車でロンドンへ移動。

せっかくロンドンに来たのでTime outを購入。ブライトンへ行こうかと話していたけど、ロイヤルバレエの公演があることを知りそちらへ。コヴェントガーデンへ行き当日券と、明日の分のチケットを購入。カフェでお茶しながら開演を待つ。

演目は、
・「放蕩息子」 バランシンの振り付け、バレエ・リュスの演目
・「La Ronde」 今回が初演 Glen Tetley振り付け
・「チェックメイト」 ロイヤルバレエ団創設者のニネット・ドゥ・バロワの振り付け 1937年

B&B宿代 60.0P
BR電車賃 23.4P
ロンドンのB&B宿代 50.0P
地下鉄パス 5.2P
カレー 5.2P
ロイヤルバレエチケット 22.0P
ロイヤルバレエチケット 3.8P
ハーゲンダッツ 3.7P
バレーの本 1.4P
ジュース 2.0P
ハンバーガー 1.9P
水 0.8P


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あれ?写真の日付は3日だな…?まあいいか。。
すごい賑わいでした。スタートの瞬間は周囲の建物の窓に人が鈴なりでみんな見てる。

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いまWikiで調べてみたら大きな大会みたいですね。日記にはアマチュアと書いてますけど、これはプロ参加の国際大会みたいです。ツール・ド・フランスなんかと同じような大会で、現在の名称はTour of Britain(2004年から)ということです。僕らが遭遇した1993年当時は「Milk race」の名称でした。
まあ自転車レースはまったくの門外漢なので、なんとなくのお祭り見物。その後ロンドンに移動しました。


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ヴィクトリア・ステーションだったかな…、仮装イヴェントに遭遇。みんな19世紀的なスタイルになりきってます。


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で、結局ロイヤル・バレエ(笑)。ブライトンとか海沿いの町に行こうよと話していたのですが、妻の腰の調子も悪いことだしバレエ観劇に切り替えました。ちょうど「放蕩息子」を含むプログラムだったので、その日の当日券と、翌日のチケットを購入。

パリのオペラ座を見慣れた身にはコヴェントガーデンの劇場はなんとなく地味に見えてしまって、ちょっとがっかり。慌てて買った当日券なので仕方ないのですが、舞台も遥か遠くて…。劇場については、高額の座席と僕らが座った安価なエリアとで入場口が分かれていたのが印象的でした。パリのオペラ座は革命後の建設ですので、そういった面では配慮があるのかもしれないですね。

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ボリショイで黄金時代を築いたイレク・ムハメドフが放蕩息子に出演していました。日本でLDで観ていたころはファンだったのですが、この時はかつてグリゴローヴィッチ演出の舞台でのような迫力は無く、少し寂しい印象でした。バランシンの放蕩息子は、比較的演劇的要素が強い作品ですからそう見えてしまったのかもしれません。

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「La Ronde」についてはあまり情報が無くてよく分かりません。男女組での社交ダンス的なパ・ド・ドゥが50分間果てしなく続く…面白くない…と感想が書いてあります。当時人気のあったダーシー・バッセルも出演なんですが。


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最後は「チェックメイト」。これも英国らしい演目でチェスをモチーフにした振り付けでした。振り付けは、ロイヤル・バレエ団の創設者であるニネット・ドゥ・ヴァロワ。彼女は1923年~25年までダンサーとしてディアギレフのバレエ・リュスに参加、その後バレエ学校を設立し、やがて現在のロイヤル・バレエ団へと発展する組織を創設した人物です。

キャストの中央付近にアダム・クーパーの名が!ケガをしてしまったダンサーの代役との注釈があります。この1993年頃はまだ最上位の一つ手前のソリストでした。その後1995年にマシュー・ボーンの「白鳥の湖」で世界的にブレイクし、さらに2000年の映画「リトル・ダンサー」出演ということになります。…ですが、この時はまったく意識していません。たくさんの踊り手の中の一人という認識でした。

演目としてはう~~~ん。。。って感じで、ちょっと野暮ったい印象だったような。初見ですからなんとも言えないですが。結局バレエを観てるだけのロンドン初日でした。




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