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パリ・オペラ座の日々1993~1994:2月16日 パリ・オペラ座「ニジンスキー」④


2月16日

朝起きてサン・マンデのソシエテ・ジェネラルに預金口座の解約へ。それからPTTとテレコムに払い込み。12月に歯痛でドタバタしたせいで、日本との電話代が1000Fになった!

昼食後二人で出かけて、(G)はルーブルの売店で石膏像を2体注文して日本へ送ってもらった。(雪)はマレでバレーレッスンに出ていたので合流して帰宅。一度休んでからオペラ座へ。

ニジンスキーの三回目。今日はFllouが主役で楽しみにしていた。でも相手役のロルモーがいまひとつであんまり良い舞台ではなかった。ファルーはまあまあ。失敗なくこなした感じで、でも本人は嬉しそうだった。ティル~は、舞台近くで観たら色彩がとても綺麗で印象がずいぶん変わった。春の祭典はクロチルド・ヴァイエがあんまり。疲れてるような印象。

テレコム電話代 1040F
クロワッサン 9F
ルーブル・ムラージュ石膏像 2285F
石膏像カタログ 60F
カフェ 13F
カフェ 30F


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春にパリにやって来て、アパートの管理人のフレデリックと初めて出会ってすぐに取り組んだのがこの預金口座の開設でした。結構な手間をかけて作った口座でしたが、帰国を前にもう解約。考えてみればトラベラーズチェックを一時預けにして、その都度現金を引き出していただけなので、はたしてこの口座が必要だったのか疑問です。でも銀行員とのやり取りとか、支店の様子を垣間見れたのは良い体験だったかもしれません。

滞在資金の管理なんかも、今だったらずっとスマートに出来るでしょうけど、この当時はなにかと情報不足で慎重にならざるを得ないところがありました。


さて夜はパリ・オペラ座での「ニジンスキー」プログラムの三回目。

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オーケストラボックスが目の前のほぼ最前列。バレエの公演は、あまり舞台直前の席だとダンサーの足元ばかり気になるので、良い面悪い面ありますが、臨場感という点では最前列がもちろん最高です。舞台を踏みしめる圧力とか、ダンサーの息づかいがダイレクトに伝わってきます。パリ・オペラ座では、ほぼ毎晩オーケストラが付きますので音響面もすごい迫力で、とにかく感動という意味では最前列はドドド~~~って来ますよね。


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この日はちょっと楽しみにしていたことがありました。この写真のダンサーはGhislaine Fallou(ギレーヌ・ファルー と読むと思います、たぶん)といいますが、僕らは彼女のことを応援していました。日本で繰り返し見ていた「エトワールへの道」(1980年代末に取材のバージョン)というパリ・オペラ座バレエ学校を取材したビデオの中で、一際リリカルな動きをするダンサーがいて、それがファルーでした。何十人も出てくるレッスンシーンの中でも目立つ子がいて、やはりそういう子は何年か後にちゃんとバレエ団に入団して階級を着実に上がって来るものです(もちろんテレビの画像がフォーカスしてる時点で、その生徒は有望ってことなんでしょうけど…笑)。

ということで何年か前のバレエ学校のビデオに出ていたファルーは、この1994年の時点では最上位のエトワールの次(プルミエール)の次の位の「スジェ」という階級まで昇進していました。スジェは、ある程度見せ場のある重要な役を務めることが多いのですが、主役というのはなかなかありません。

この日の「ペトルーシュカ」では、そのファルーが主役である”Ballerina"の役を務めることになっていました。これは彼女にとっては、おそらく初めてのパリ・オペラ座バレエ団での主役だったのではと思います。

(ファルーの経歴がありました。やはりこの日のペトルーシュカから記録があります。その後も1999年シーズンまで活躍していたようですが、最終的にはプルミエール・ダンスーズでオペラ座でのキャリアを終えたようです。)


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上から2行目にFallouの名があります。ドキドキしながら見ていましたけど、やはり無難というか、それほど特別な印象を残す舞台ではありませんでした。ペトルーシュカのお人形役ですから、あんまり踊りの個性が際立つような役ではありませんが、同じ役柄もでエトワールが踊るとずいぶん違いますから。そこはやはり格の違いというか、舞台の支配力の差なんだと思います。でもまあ以前からファンだったファルーの踊りを最前列で観れて、すごく嬉しい一夜でした。


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ティルはパトリック・デュポン!

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