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パリ・オペラ座の日々1993~1994:11月5日 FIAPの友人たち


11月4日

(雪)は午前中FIAP、夜はバレエのレッスンに行った。FIAPのクラスの人達と食事に行ったみたいだけど、あんまりだった様子。

(G)は夕方からFIAP。今日はポーランド人のブレゴワール君が新加入でクラス内がだんだん盛り上がってきた。授業後にハンバーガー屋さんに行って、政治の話とかして面白かった。夜はトンカツ作って食べた。

バレエレッスンチケット 820F
カフェ 12F
プリズニック 98F


11月5日

(雪)は午前中に学校。少し友達ができたみたい。(G)は昼にバスチーユでチケットを購入。その後ポム・ド・パンで落ち合う。Bataの靴を返品して交換してもらったが、新しいのも不具合があって、結局返品。プンスカ怒った。

(G)はFIAP後にカフェに行き、さらにそのままシングーの家に遊びに行った。アイスクリームという名の英国ブルドッグが終始部屋を駆け回っていて、ズボンの股を噛まれて破られてしまった(笑)  シングーは最高のナイスガイで知的で謙虚で勉強熱心。

FIAP授業料 1700F
ポム・ド・パン 41F
カフェ 5F
カフェ 22F
カフェ 10F
絵本 39F
オペラ座チケット 110F


FIAPはいろんな国の人が集まっていて面白かったです。マジョリティは韓国、日本なんだけど、他にもいろんな国籍の人がいました。

学校に通い始める前は、自分のあまりに酷い語学力に勝手に自己嫌悪になってましたが、いざFIAPのクラスに混じってみるとけっこうイケる(笑) ガチに勉強しにフランスへ来てる人はちゃんと受け入れ先の大学があるし、少し控えめのレベルの人にはアリアンス・フランセーズがあります。それよりも更に低いレベルで…っていう人がFIAPに集まってました。
(もちろんクラスによってはハイレベルの内容をやっていたと思います。自分のクラス、自分の視線の範囲内ではということです…)

1か月のフランス留学で2週間だけ語学学校に通いたいとか、ひと月後にモンペリエの大学に正式に入学するので、その前に数週間だけ肩慣らしのような気持ちで通いたいとか、そんな状況の人が多かったです。だからクラス内ではけっこうボロボロのフランス語が飛び交っていました。

面白かったのはコロンビア勢で、僕のクラスには3人いたのですが、彼らはみんな仲間で、翌年にアフリカ大陸のフランス語を話すエリアに神父さんとして赴任することが決まっていました。パリで数か月フランス語を研修して、それからアフリカへということで、いろんな事情があるもんだなと感心しました。

韓国人も何人も知り合いになりましたが、一番仲良くしたのがシングー君で、授業後によくカフェに行って話し込みました。ほとんど同世代だったので韓日の歴史的な経緯もよく理解していたし、それを踏まえたうえでジョークたっぷりにいろんな話をしてくれました。

韓国人と深く友人関係になったのは初めてだったので、彼の話はいろいろと興味深かったです。日本の統治時代をどう捉えているのか?現在の日本のことをどう思っているのか?2000年代に巻き起こった韓流ブームよりずっと前の時期ですから、まだまだお互いの気持ちに壁がある時代でした。

基本的には彼は日本のことをとてもポジティブに考えていて、過去の色々な経緯を踏まえつつ、日本人の良い部分、足りないと感じていることを率直に話してくれました。僕達夫婦と交流したことは、彼にとっても驚きがあったようで、あるとき「君たちは僕が考えていた日本人のイメージとは全然違うね…(もちろん良い意味で)」と語ってくれたのが印象的でした。

ずいぶん仲良くなった後に「韓国の男性はpuissance(英:power)なんだよ!」と語っていたのもよく覚えています。シングーはとてもジェントルで、物腰も穏やかでしたけど、文化的に日本の男性観とはずいぶん違いがあるように感じました。彼は兵役も経験済みで、その頃のこともあれこれ教えてくれました。

残念なことに、この時期のFIAPでの交流を写した写真はほとんど無いんです。今だったらスマホでパシャパシャ撮影してたでしょうけど…。

残ってるのはこの一枚だけ

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新年に僕達のアパートに集まったとき。左がポーランドのグレゴワール君夫妻、右の奥で顔半分だけ写ってるのががシングー君とその彼女。

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