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パリ・オペラ座の日々1993~1994:6月25日 パリ・オペラ座「バランシン&ロビンス」①


6月25日(金)

今日でとうとう竹原先生の診察が終わり、医療保険の清算の手紙を出した。ベッドカバー等洗うのに精を出す。(G)の実家から荷物が届き、日本食、お味噌など来た。ラベイリーさんとお話したら息子さんが明日結婚するということで嬉しそうだった。

夕方はオペラ座で「バランシン&ロビンス」プログラム。バランシンはモニクとロルモー。ロルモーさん相変わらず元気がない。若手中心で構成されたジェローム・ロビンスの演目は両方とも素晴らしい。最後は笑いのある演目だった。ヴァカンス前の浮き浮きした客席のムードとも呼応してすごく楽しかった。

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5月24日にアパートの階段で足を滑らせてお尻を強打した妻でしたが、一か月かけてようやく回復してきました。夏のヴァカンスシーズンには幾つか旅行も計画していたので、ここからまた元気だして行こうぜ!という感じです。

オペラ座では、米国の振付家ジョージ・バランシン(1904-1984年 ロシア出身だけど主に米国で活躍)とジェローム・ロビンス(1918-1998)の作品を組み合わせたプログラムが始まりました。

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ジョージ・バランシンについては5月前半に上演された「Hommage a George Balanchine」のプログラムの時に少し紹介しました。キャリアのスタートはディアギレフ率いるバレエ・リュスですが、その後米国に渡り、米国に於けるクラッシックバレエ文化の黎明期を支えた人物です。

そのバランシンが1946年に創設したニューヨーク・シティ・バレエ団に、副バレエマスターとして1949年に加わったのがジェローム・ロビンスです。

ロビンスは1940年にアメリカン・バレエ・シアターでダンサーとしてのキャリアをスタートし、その後発表した「ファンシー・フリー(後に「踊る大紐育」のタイトルで1949年に映画化)」の振り付けが高く評価されました。31歳で副バレエマスターというのは、そういった振り付けの実績が評価されてのことでしょう。

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(左:ジョージ・バランシン 右:ジェローム・ロビンス パリ・オペラ座の公式パンフレットの写真)

芸術監督だったバランシンとは師弟関係のようなもので、バランシンの革新的な振り付けのエッセンスを最も良い形で継承しているのがジェローム・ロビンスなのだと思います。バランシンが張り詰めたような緊張感のある抽象化された振り付けだとすれば、ロビンスはそれにもう少しのユーモアとウェットな情感を加えたような印象です。バレエの振り付けと並行して、ミュージカル作品(「王様と私」、「ウェスト・サイド・ストーリー」、「屋根の上のバイオリン弾き」など)や映画もたくさん手掛けましたので、ブロードウェイ、ハリウッド的な要素を含んだバレエといってもよいかもしれません。

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(映画版「ウェストサイド物語」のポスター。ロビンスは共同監督と振り付けを担当。音楽はレナード・バーンスタイン。「ロミオとジュリエット」を現代NYの不良少年グループ同士の抗争に読み替えたストーリー。)


バランシン、ロビンスの二人に共通しているのは、音楽に対する深い理解力・洞察力だと思います。「白鳥の湖」などの三大バレエのような大きな物語性を持つ演目とは違い、より抽象化された振り付けを目指すこの二人の舞台では音楽に主導されて舞踏が成立しています。バランシンの「テーマとヴァリエーション」(曲:チャイコフスキー)、「シンフォニー・イン・C」(曲:ビゼー)、ロビンスの「En sol」(曲:ラヴェル)などは、まさしく音楽を視覚化したバレエという感じがします。こういったことは現代の舞踏の世界では当たり前の要素ですが、二人が米国で活躍し始めた1950年代頃はとても斬新な取り組みだったのだと思います。


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この日の演目は、
バランシン 「テーマとヴァリエーション」
ロビンス 「ムーヴス」
ロビンス 「コンサート」

それぞれの内容については6月29日の日記でまた書いてみます。

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