社会不適合者、【創作の才能が無い話】を語る
こんにちは、noteの連続投稿を目指していたのに、凡ミスで途絶えてしまった社会不適合者です。
記事は書いてたんですけどね、間違えて日付の変わらない内に2本投稿してしまって、昨日は更新できませんでした。
結構落ち込んでますが、そんな話は置いといて、タイトル通りの話、行きます。
【創作の才能が無い話】
僕は昔から、絵を描いたり、文章を書くのが好きなのですが、そういった才能で狙い通りにウケたことが、ほとんどありません。
とはいえ、絵は小学生時代にコンクールに出されそうになったり、文章のほうは一時期それなりに読んでもらえている時期がありました。
ただ、その両方が、ただ夢中でやっていただけで、ウケ狙いなどではなかったんです。
いや、これ、マジで悔しいんですよ。
本気で真剣に、かつ夢中になって絵を描いていると、先生が横から覗き込んできて、言うんです。
「みんな、見て! 社会不適合者君のライオンの絵、とても上手! こんな風に動きをつけて描くと、見た人により沢山のことが伝えられる絵になります。 皆さんも、真似してみましょう。 この絵は完成したら、市のコンクールに応募しましょうね」
それは、サーカスのライオンという作品を題材に描いた、僕としては今一つな出来栄えの絵でした。
ライオンが火の中に飛び込むシーンを描きたかったのですが、頭の中に浮かぶ火の海のイメージと、実際に描けた火の海のイメージが、どうにも違うんです。
何度も何度も火を描き直して、ライオンをもっと苦しそうにしたり、火が目立つようにライオンの位置を思い切って変えてみたり、いっそのこと、ライオンが既に火の海の中に居るようにしたりと、もっともっと火の海が恐ろしく見えるように、まだまだ試行錯誤の途中だったんです。
でも、周りの皆は褒めてくれるし、先生も見に来る度に嬉しそうにしていたので、僕もいつからか「おれは凄い絵を描いているんだな」という気になって、ウキウキになってしまいました。
こんな気に入らない絵で人に褒められるのなら、描きやすい絵をもっと本気で書いたら、更に褒められるに違いないと考え、僕はそこまで描いていた絵をボツにし、もっと描きやすい絵を描くことにしたんです。
火の海を際立たせるつもりで描いたライオンが褒められたので、代わりに、ライオンと女の子が並んでいる絵を、短い時間でササッと描いてみました。
そのままその絵に色を塗り始めると、それに気づいた先生が、「あれ? 前の絵は?」と聞いてきます。
第一声が「まぁすごい! これをコンクールに応募しましょう!」だと思っていた僕は、少し変だと思いながらも、「消しました。 ほら、下書きの跡がここにあります」と、画用紙に薄く残るライオンと火の海の跡を指さしました。
先生は「ええ! もったいない! 前の絵のほうがよかったのに!」と言い、僕は慌てて下書きを消し、また描き直す事に。
既に色を塗っていた部分は、火の海を上から塗って誤魔化し、結局、誰も満足しない、画用紙が凸凹とした汚い絵が完成しました。
コンクールの話は自然消滅してしまい、僕は今でも、まだその時の事を引きずっていて、人前で絵を描くことは、ほとんど無くなりました。
次に文章の話ですが、僕は文才だけなら人並みにはあると自負しています。
いや、客観的に見たら無いかもしれませんが、これだけは素直に褒められたことが多いので、それを心の支えにして生きているんです。
「いや、ここまで読んだけど、普通に下手くそだよ」と思ったあなたは、一旦、自分をバファリンだと思い込んでください。
今その瞬間から、あなたの半分は優しさです。
では本題に戻ります。
文章が褒められる機会が多かったと言いましたが、この話の最初に言った通り、ウケを狙って書いた文章は、まったく褒められたことがありません。
小説を投稿するサイトでも、日頃から思っていることを小説の形にして投稿したものは多く評価を受け、「ならばこれはもっとウケるだろう」と狙って投稿したものは、恐ろしいほどにスベりました。
何かの間違いだと思って同じことを繰り返すのですが、やっぱりどれもスベるばかりか、やっとついた評価で「最初から最後までずっとスベってる」とハッキリ言われ、一人で悔し泣きをしたことさえあります。
現実においても、ワクワクしながら面白いと思って話をしていると、「あなたは黙っていた方がモテる」と話を遮られ、よく凹まされていました。
そういう機会があまりにも多過ぎた為、いつしか聞き手に徹して過ごすようになったのですが、ある日、そういう評価とは、少しだけ違う扱いを受けるようになります。
当時の職場で知り合ったブラジルの子が、日本の歴史を簡単に知りたいと言うので、「何日か時間が欲しい」と言って少し調べた後、わかりやすい日本語にして、かなり話を端折った説明をしました。
すると、思いのほか質問攻めにあい、ねだられるままに話し続けている内、気づくと3時間も経っていたんです。
その子は次の日から友達を連れてくるようになり、また同じ話をねだった後、話が終わる頃には「次の話も楽しみです」と勝手に言い出して、その友達と嬉しそうにしていました。
「歴史がこんなに面白いなら、中学でちゃんと聞いとけば良かった」
「いや、社会不適合者さんが話すから楽しいんだよ」
僕はそんなやり取りを聞き、口では謙遜しながらも、内心ではとても嬉しかったものです。
その日から今この瞬間まで、多分、自分はまぐれ当たりをある程度出せる才能がある代わりに、狙って当たりを出す才能がまったく無いんだろうな、と思っていました。
でも、それも今この瞬間まで、です。
この文章を書いていて気がついたのですが、僕はおそらく、説明が得意なんだと思います。
正直、僕は小学校に5年生の時点で行かないようになり、中学校も2年生になる頃には行っていませんでした。
いじめがあった訳ではなく、家庭環境が悪い為、学校が楽しすぎて、逆に行きたくなかったんです。
これは詳しく説明すると長くなるので、“ホラー映画は、幽霊が出てきた後より、出てくるまでの方がドキドキして怖い”という例えで説明しちゃいます。
家に居て実際に辛い目にあう時間より、学校に行き、友達と楽しく過ごしているのに、(この時間が終わったら、また辛い時間が始まる…)と思って過ごし続ける時間の方が、ずっと辛かったんです。
で、何故このような話をしたのかと言うと、僕はそのせいで、めちゃくちゃ頭が悪いです。
勉強の成績自体は良く、1年生の頃から、やんわりと家庭環境を察している担任教師には、「今のまま勉強を続ければ君は推薦も取れる」と背中を押されていた程度ではありました。
それでも学校に行くのはやめて、家庭環境が悪いどころか、ネグレクトを受けていたので、身近に教えを乞える相手はおらず、わからないことは全て、わからないままでした。
そもそも自分が何を知っていて、何を知らないのかさえわからない。
そんな状態のまま社会に放り出されると、誰かと話す度に「意外と馬鹿なんだね」と笑われるようになり、余計に自分を卑下するようになります。
そんな僕ですから、誰かに何かを説明しようとする時、語彙力が無い中で精一杯話そうとしてしまう為、なかなか人には伝わりません。
「あなたの話はつまらない」と言われ続けてきた歴史が、やがて話すこと自体を億劫にさせ、説明自体もどんどん尻すぼみになって行き、最後は「やっぱりいいです…」となってしまうんです。
そんな僕なのに、メールで人と話をしたり、新人教育の為に独断で資料作りに挑戦したりすると、いつもわかりやすいと褒められていました。
それらの事実に基づいて思うに、僕はやっぱり、創作の才能が無いんです。
そんな僕ですが、
社会不適合者、【コンテンツの需要と供給】を語る
https://note.com/gebokukoikeya/n/n8fe3bc4a633f
この記事にも書いてある通り、実は小説投稿サイトでは、そこそこ読まれる小説を書くことに成功しています。
でもそれは、記事にある通り、完全オリジナルのストーリーなどでは一切ありません。
“これが人が面白がるものなんだ”というのを調べ尽くし、自分ではその面白さを理解出来ない状態のまま、あくまで調べてわかった要素を半信半疑で小説の形にまとめただけの、あまり中身の無いものでした。
いや、ホント、この記事の中で既に答えは出ているんですよね。
大事なのはわかりやすさだ、って。
僕は、自分がしっかり学んだ内容をわかりやすく説明するのが得意なだけなのに、その能力のことを、今この瞬間まで、まぐれ当たりを出す才能だと思っていたんです。
いや、ほんと、なんで気づかなかったんだろう。
今すぐそれを踏まえた上で、久しぶりに小説を書くことに挑戦したいくらいです。
ただ、僕には書くよりも先に、ネタを固める必要があるんですね。
今この記事を読んでいる方も薄々お気づきかもしれませんが、僕はこの通り、何かを思いつきながらその考えをまとめず、思いついたままに文章を書いていくと、読み手を置き去りにしがちなんです。
感情や発想をそのまま文章に落とし込むので、わかりやすさは二の次に、とりあえず、次から次へと話が進んでしまうんですね。
そんな人間が小説を書いたって、ウケるはずが無かったんです。
そもそも内容を伝えられないんだから。
もし、僕と同じ悩みを持つ人が、この記事を読んでいるのなら、一度、しっかりとネタを考え込むようにしてみてください。
どんな楽しさも、そもそも自分が内容を理解しておらず、意味をしっかり伝えられなければ、あくまでよくわからない話のままです。
溜め込んだ鬱憤を、誰かに話したいと思いながら過ごし続け、それを吐き出した時、そりゃ話したいと思いながら過ごし続けてたんだから、伝わりやすいように形にできるに決まってるんですよ。
頭の中で、何回も何回も、伝える前提で考え続けてる訳ですから。
それを、楽観的に自分の文才だと勘違いして、調子に乗って、思いつきで小説なんて書いていたら、伝わらないに決まってますわ。
noteだって、話の地盤を固めて話さないから、議題が二転三転しがちだったり、やたら冗長になりがちです。
そりゃ読まれませんわ!!!
いや、ほんと、いい事に気がつけました。
noteを書いてて良かったです。
何が伝えたいかをしっかり考え、その伝え方をしっかり考え、その次に作品を創りはじめる。
めちゃくちゃ当たり前なことに、気づけてなかったんですね。
昔やってたSNSでも、愚痴みたいな日記はめちゃくちゃ読まれるのに、たまに投稿するネタ日記のせいでファンが減ったりして、不思議に思ってたんです。
「そういうのはいらないです」
とか平気で言われるんですよ、あれは落ち込みましたね。
気持ちはわかりますけど、普通相手に直接言っちゃいますか?
まぁなんにせよ、馬鹿が思いつきで行動するな、ってことなんでしょうね。
気づけてよかったけど、ちょっと凹んでます。
もう少し早く気がつきたかったなぁ〜…。
気づいたところで、創作の才能が無いのは変わらないんですけどね。
でも、次に何か創作活動を始める時、わかりやすさを意識して活動するようになれば、少しはマシになる気がします。
その時が、ちょっとだけ楽しみです。
はい、ということで、“社会不適合者、【創作の才能が無い話】を語る”でした。
noteはこれからも、結構思いつきで書いていくと思います。
読みづらいのは重々承知ですし、僕自身、投稿した後に読み直そうとして、あまりの読みづらさに断念することがあるくらいです。
ただ、自分の考えを客観的に確かめるには、一度何かしらの形にする必要があります。
その為に、このnoteという場所は、最適な気がするんですよね。
というわけで、最後まで読みきってくださった方、あるいはそうでなくとも、このページに飛んできてくださった方、全ての方に感謝します。
ありがとうございやした!!!
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