社会不適合者、【自殺】を語る

こんにちは、社会不適合者です。

自殺、考えたことありますか?

私は考えた事があまりないのですが、よく考えずに実行した事だけなら何度もあります。

今回は、昨日の夜に久しぶりに本気の自殺を目論んだ話をします。


【いつもの自殺】


冒頭で久しぶりなんて言いましたけど、実際のところは一年半ぶりです。

ただ、これでも私にとっては間が空いているほうで、それより前は更に短い感覚で実行し、怪我をしたり、辛い気持ちを更に追い込む結果になっていました。

バイクに乗って目を閉じたり、目を閉じたまま道路を横断したり、トラックに突っ込もうとしたり、ガードレールに突っ込んで大怪我したり、一番古いのだと小学生の頃、肩に包丁を刺してそれなりに出血もして、その傷がまだ残っていますが、家族の誰もそんな事実は知らなかったり。

死は救済でも安寧でもなく、ただ終わりです。

私の人生には本当に数多くの困難がありますが、生きていてたまに見かける”本当に辛いことがあった人”と比べると、そこまで大したことはありません。

代わりに、生殺しのようにじわじわと、ちょっとした辛いことが繰り返され続ける…そんな感じです。

いつもの自殺は、そんな日常に耐えられなくなり、逃げようとして行うものです。

死んだところで、その先に楽なんて無くて、ただ終わるだけ。

なのに、それを選ぶくらい、生きるのが辛い。

悲しいですよね。

死にしか希望が無いし、死しか頼れないなんて。

もしこの記事をそういう方が読んでいたら、ここのコメントでもいいし、プロフにTwitterへのリンクがあるので、TwitterへのDMでもいいです。

せめて最後に、遺言を残してみませんか?

あなたが死にたいと思うほどの痛みを、私が聞き、残します。

どうせ死ぬつもりなら、今更それくらいの迷惑はなんてことないですよ。

聞かせてくださいね。


【気まぐれシェフの今日の自殺】


私が今回試みた自殺というのは、辛いことから逃げるというより、頭の中身が”ガツン!”と何かに叩き出され、空いたところに代わりに死のイメージが入ってきた、という感じです。

「死にたい」と言うより、「死ぬしかない」と、「お腹が空いたからご飯を食べよう!」くらいのフランクな気分で選びました。

今までの自殺は誰にも言わず、遺書も残さずやって来ては、失敗し、大怪我ばかり。

自殺ね、失敗すると痛くて辛いし、働けなくなったりもするし、キツいですよ。

怖い思いをして、それで運悪く生還したら、もっと厳しい生活が待ってるので。

正直あんまりおすすめしません。

それに失敗すると、その恐怖がしっかり脳内に刻み込まれてしまうので、二度と同じやり方は出来なくなっちゃうんですよね。

代わりにもっと過激なやり方になって、それも失敗したら、もっと損します。

それでもやっぱり死ぬしかない。

何が辛いとかいう話じゃなくて、もう死ぬしかない。

今回の思いはより強かった、と言うより、もう決まっていたんです。

それで最後に、縁を切ってしばらく連絡をとっていなかった父親に、家の中で起きていた色々な問題を伝えようと思いました。

父はそのことは何も知らず、姉ばかりを可愛がり、私が落ち込んでいても、「お前は自分でなんとかできる」と自立を促してくる人で…。

まぁ詳細は省きますが、最後に恨みつらみを伝えて、それから死んでやろうと考えたんです。

そんなことを考えたのは初めてでした。

今までの自殺は立つ鳥跡を濁さずタイプだったので、身の回りの片付けだけして、誰にも理由は伝えずにやってきています。

ただ結局、父親とは連絡がつかず、代わりに伯母に伝えてもらおうと考え、伯母に電話。

私の伯母は、賢くて公平な判断を下す人物で、彼女に父への恨みつらみを話していると、私の心に寄り添うような返事を沢山くれました。

私と伯母は少しだけ似ているところがあり、よくこの人が自分の家族だったらな、と思うことがあります。

私は最初の3時間は家に火をつける準備をしたままひたすらに辛かったことを話し、伯母はそれをただ聞き続けて、「あんたは優しいから」とだけ言ってくれました。

その一言で泣けましたが、まだ止まりません。

私はまだまだ、実家と、この世への憎しみを、伯母に対して訴え続けます。

伯母はその度に、優しさだけじゃなく、あくまで淡々と、死の意味の無さ、私の人間的価値、これまでの人生、これからの可能性、それらを私をよく知る人間ならではの言葉で伝えてくれて、この心に届けてくれます。

6時間くらい付き合ってもらったと思います。

最後は朝の5時。

私は死ぬことは今もよぎるどころか、頭の後ろ半分が全部死で埋まってる、といったような状態です。

伯母には酷いことをしたと思っています。

叔母の長女は15歳の時に亡くなっていて、そんな人相手に自殺の話をして、優しい言葉をもらって。

途中でそれに気づいた時、罪悪感と、大きな慈愛を感じ、全ての問題は、とりあえず先送りにすることに決めました。

もしかしたら、私は誰でもよくないけれど、人の話をしっかりと聞いて受け止めてくれる存在に、自分の痛みを知って欲しかっただけなのかもしれません。

私は自分がそういう人間だという自信は全く無いですが、もし、同じように自殺の考えが頭を離れない人がいるのなら、憎い相手にぶつけたり、その考えで自分を押し潰してしまう前に、「この人はよく話を聞いてくれる」と思う他の誰かに、話してみてください。

あとで恩返しすればいいんです。

死んだら何も出来ませんけどね。

そういう人が思いつかないなら、私でも大丈夫です。

ただ、あなたのことをよく知らないので、聞くことしかできませんが、それで良ければ。

男だって甘えていいんですよ。

女だって、女だから、なんて言われなくていい。

性別なんて飾りです。

人として、あなた個人として、自分を弱みを人にさらけ出してください。


以上、“社会不適合者、【自殺】を語る”でした。


自殺なんて大それたことでもなんでもなく、ただ自分の人生を自分の手で終わらせるってだけの事ですから、語ることもそんなに無かったですね。

重要なのは自殺そのものじゃなく、自殺を選んだ人の、自殺を選んだ理由です。

楽な死に方を探している人、一つ忠告をします。

楽な死に方こそ、失敗した時の周りへの迷惑が大きいですよ。

辛い死に方を探している人、一つ忠告をします。

辛い死に方こそ、失敗した時に身体に残るダメージが大きいですよ。

どうせどちらも駄目なら、死んだつもりで誰かに話してみてくださいね。

友達、家族、親戚、それ以外の知り合いでもいいし、私でも大丈夫。

ただ、私は私で鬱なので、もしかしたら忙しくて気づけない時があるかもしれませんが。

聞くことは出来ます、死んだつもりで聞かせてください。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

失礼します。

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