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2010年代最高の恋愛マンガ「僕の心のヤバイやつ」

このマンガがすごい!2020」3位を受賞した「僕の心のヤバイやつ」。
めでたい。しかし、これは明らかに過小評価だ。

確かに1位を獲得した「SPY×FAMILY」はキャラの魅力、ストーリーのアイデアが抜群であり面白いことは間違いない。ただそれは、2010年代までの過去の評価法ならばだ。

「僕の心のヤバイやつ」(略して僕ヤバ)は新しい評価基準を作る可能性がある漫画の1つなのだ。2020年代への試金石となる未来の漫画であり、正しい認識が広がれば、漫画史に残る傑作になるだろう。

じゃあ「僕ヤバ」の何が新しいすごいところなのか?
次世代漫画としてのすごいところを解説させてもらう。

ちなみに、読んでない人には読んでもらいたいのでネタバレなしにしたかったが、すでに読んでいて「別にそんなにすごくない」と思っている人に再評価してもらいたいので、最小限のネタバレだけはさせてもらう。

何が新しいすごいところか?

まず「僕の心のヤバイやつ」を軽く紹介する。

学園カースト頂点に君臨する陽キャ美少女山田杏奈のクラスメイトである絶賛中二病の陰キャ少年市川京太郎は、常日頃から彼女を殺害する妄想でほくそ笑んでいた。そんな山田に「底辺として見下されている」と思い込んでいた市川であったが、観察を続けるうちに彼女への好意に気付いていく。

wikipediaより引用。

「僕ヤバ」は、アニメ化された「みつどもえ」など天才的な下ネタギャグ漫画を書くことで有名な桜井のりお先生の作品だ。それゆえ表面上は、思春期と中二病がそれぞれ全開の中学生少年の市川を主人公として繰り広げられる下ネタ満載ギャグ漫画である。手淫ネタも多い。しかし、これはあくまで表面上の部分。その穢れた表面は照れ隠しのように感じるほど、繊細な恋心が丁寧にかつ文学的に描かれている。深みのある隠されたメッセージがあるということだ。この、頭空っぽにして読んでも十分面白いのだが、謎解き要素を解くように頭を使って読んでも面白い、という二重性が最高なのだ。

さらには、その繊細な恋心でモダンな心理学でも言われる「自分は自分のことをわかっていない」ということを表現していることが挙げられる。人は思考と感情と行動が一致しないのだ。この考え方はまだ新しいので世間には受け入れられてないものの、行動経済学や神経心理学など科学に基づいており、2020年代には重要な考え方になるとされる。だから、この表現が含まれる僕ヤバは現在では過小評価であり、新しい評価基準を作ると考えている。時代が必要とする心理描写を含んでいる先見性が最高なのだ。

これら「隠されたメッセージ」と「思考と感情と行動の不一致」のそれぞれについて詳細に説明していく。

隠されたメッセージ

深読みしすぎじゃ?
と思う方もいるだろう。では単行本の作者のあとがきを読んでほしい。これが謎を解く鍵になっている。

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「僕の心のヤバイやつ」1巻より引用

『この作品は「距離」「変化」「気付き」を丁寧に描いていきたい』とある。普通に読んでもエロネタ・自虐ネタ・わかりやすい恋愛表現に目が行き「下ネタおもろい」とか「自虐に共感」とか「尊みが深い」とかの感想で終わってしまう。それでも十分評価は高いだろう。しかし、最後のあとがきでこのヒントを読み、「距離」「変化」「気付き」に注意しながら読み直すと多くの気づきが得られるはずだ。
距離の変化、感情の変化、それらへの気付きは、直接語られない。登場人物の立ち位置、視線、微妙な台詞回しで読者が自力で気づく必要がある。この表面の俗なネタと、その裏にある繊細な恋心のギャップが最高なのだ。さらには、その巧みな表現への気付き力が上がっていく感覚もまた最高なのだ

まだ読んでない人も、一度読んだけど評価が高くない人も、以下の問いに念頭に置きながら読んでみてほしい。「距離」「変化」「気付き」の表現の丁寧さに驚くはずだ。

いつ山田は「市川」と直接呼ぶか?
いつ市川は「山田」と直接呼ぶか?

いつから山田は好きという感情があるか、いつそれに気づいたか?
いつから市川は好きという感情があるか、いつそれに気づいたか?

いつ山田から市川へ、服など間接接触、肌の直接接触があるか?
いつ市川から山田へ、服など間接接触、肌の直接接触があるか?

また、作中は市川目線であり、心の声であるモノローグが四角の枠に納まり書かれている。しかし、この市川のモノローグが、山田の言動・表情と一致していないことがあるのだ。ドリフターズでいう「志村うしろー!」のように、見る側だけが気づいて、登場人物にツッコミを入れたくなる。そのツッコミどころが、わかりやすい表現だったり、非常に僅かな視線や仕草で隠されたメッセージであることもある。どちらにしろ、この誤ったモノローグへのツッコミ感も、最高さの1つだ。

思考と感情と行動の不一致

2巻のあとがきはこうある。

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「僕の心のヤバイやつ」2巻より引用

『人を好きになった時、その気持ちに気づいた時、初恋にはタイムラグがあるんだよ』とある。これは、思考と感情の時間差について示唆している。先の問い「それぞれ、いつから好きで、いつそれに気づいたか」にもある通り、隠されたメッセージでもある。思考と感情だけでなく行動もであり、思考と感情と行動の不一致という表現が、様々なシーンで描かれている。

具体例を見てみよう。少しだけネタばれをする。
思考と行動の不一致の例だ。このシーンは、登校中に山田がナンパしてくる先輩に強要されて、連絡先を交換しようとしているシーンだ。市川は偶然その後ろにいて自転車を押しながらその様子をひっそり見ていた。その時の反応だ。

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「僕の心のヤバイやつ」1巻より引用

「どうでもいい」という意に反して自転車をぶん投げてしまっている。
そして「僕は頭がおかしいのか?」と。

このシーンを見た時本当に度肝を抜かれた。漫画史における大事件だと。この思考と行動の不一致は、他の作品ではかなり少ない心理表現なのではないだろうか。モダンな心理学で、思考と感情が実はうまく認知できていないこと、「自分は自分のことをわかっていない」という考え方が広まり始めてきている段階なので当然である。意図的にかどうかはわからないが、それを作品で表現できている「僕ヤバ」はすごいのだ。

心の認知について詳しく説明する。行動経済学、神経心理学、進化生物学などの科学分野によると、心の仕組みは「自由意志や思考というものは生化学的に生じる神経パルス、ただのアルゴリズム」ということで一致している。ところが、自由や人権などを主張する自由主義は、心は平等で絶対的なものとしてきた。例えば自由主義のパーツの一つ自由選挙でいうと、心は人間にとって等しくあるので1人1票、心に従って投票する、すると正しい結果を導く、ということなどだ。しかし科学的には、心は感情や感覚や記憶などをトリガーとした幻想とも言える電気信号ということがわかってきている。思考も電気信号であり、「自分」も幻想なのだ。それを表すがごとく現代は、感情のままに投票されたとしか思えないBrexitやトランプ大統領や、人は平等と思考しているはずが移民を差別的拒否という行動をするなど、「僕は頭がおかしいのか?」と言わんばかりに自由主義の綻びが見え始めている。いわゆる、大きな物語が終わりを告げた、というやつだ。だからこそ、2020年代は「思考と感情と行動の不一致」についての理解が非常に重要になってくる。

この「思考と感情と行動の不一致」が表現されている「僕ヤバ」は、自由主義が健在している2010年代にはまだ少し早く、過小評価になっているというわけだ。

すなわち「僕の心のヤバいやつ」の心のヤバイやつは、中二病的なカルト殺人癖と思わせておいて、この作品中何度も出てくる思考の不一致のことと推測される。将来重要になる「思考の不一致」という心理描写が含まれている「僕ヤバ」は最高なのだ。

まだある未来要素

前衛的な心理描写の他にも未来的な要素がある。Twitterとの連動だ。
作者のツイートされる僕ヤバの短編が本編とうっすら繋がっている。例えばこんな感じ。

この短編だけでも十分に謎解きになっている。市川のモノローグと山田の感情が食い違っているあたりだ。それだけでなく、ここの短編での言動を知っておくと本編の深みが増す。この場合、途中のセリフ「ミルクティー」だ。ただ、このTwitterの短編漫画がなくても本編だけ読める。コアなファン向けの副音声のようなものだ。

こういった漫画とSNSの連携の仕方は新しくとても革命的だ。僕ヤバの謎を解くヒントも発信されることがあるので、謎解きを楽しみたい人は作者のTwitterアカウントをFollowすることをおすすめする。

終わりに

というわけで「僕の心のヤバイやつ」はマンガのイノベーションであることが伝わっていれば幸いだ。

これからの2020年代のマンガには、「好き(と思っている心)は絶対!」のような伝統的な心理描写ではない、「人は心がわかっていない」というモダンな心理描写が増えていってほしいと思っている。小説だと、思考と行動の不一致の描写は余計な説明をつけざるをえない。アニメやドラマだと、直感的ではない心理描写の見返しがやりにくかったりする。だからこそ、思考の不一致表現はマンガ独自の強みだ。「わたモテ」のレビューでも書いたが、「僕ヤバ」のような「娯楽的に読むのを好むタイプ」と「文学的な描写を好むタイプ」の両方の層が楽しめる作品は最高だ。来たるべき未来はそういう優しさがあるべきなのだ。

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