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「これでいい」と「これがいい」の狭間で

良いものを見すぎると、そうでないものを見る時ツラくなるので
最近、ちょっと、敢えて
良いものを視界に入れないようにしているところがある。

IDEEやCONRAN SHOPやCiBONEなんか見ちゃった後に
100均寄ると絶望で膝から崩れてしまうような気持になったりする。
※もちろん感嘆するようなこともあります。

ずっとデザインに関わる仕事をしてきた自分にとって
それは少々キツイことでもあるわけなんだけど
全方位的に自分の中の譲れない一線を
譲れないものとしてしがみついていると
それはすなわち
自分の視界に自分の納得したものしかない空間にいると
ある種の滅菌された空間にいる虚弱児みたいなもので
外界のノイズの免疫がなくなって
ダサい潔癖症みたいなものになってしまったりもする。

ずっと一定のレベルのところにいると、そのレベル間でも
微差にも気がつきやすくなるし、違和感には敏感になるけど
敏感になるって強い刺激には耐えられない体質にもなる
ってことなんだよね。

グレーの数%ずれが気になるし、インデント揃ってないと気持ち悪いし
線の太さや文字の隙間が揃ってないのがイライラするし、
何気なく歩いている時に目の前から歩いてくる人の
カバンと靴と服のちぐはぐさに目をそらしてしまうとか
言い出すとキリがないわけで。

でも致し方ない事情で、私は私の中に「これでいい」枠を設けて
それはすなわち「命に別条がないorストレスで精神を病むレベルではない」ものについては「これでいい」枠を選択する
というルールを徹底するようになった(なんじゃそりゃw)。

あった方が幸せだけど、なくてもいいものは手を出さない。
もっといいものもあるけど、消耗品だからそこまでの品質を追わない。
あと、徹底的に使い切る。
使い切れないものは譲る。
それでも増やすものは耐久年数と使用期間中のメンテナンス費を試算して
かつ災害等で一式失ってもいいレベルのものに留めること。

を徹底し、1年。

悪く言えば「妥協」にまみれて生活しているので、
今がベストだとは到底言うつもりもないし、
今の「妥協」を止めれるものなら、
即刻止めたいと思う個所も多々あるけれど、
そういう自分的にモヤるものを抱えている生活が
クリアな選択をしてきた日々よりも余裕を生みだした。

妥協する自分を諦め、許さないと毎日生きていけないので(笑)
まぁ全てにおいて寛容にならざるえない。
全てのクオリティを上げていこうと思ったら
全てのジャッジの物差しに厳しくなるし
それによる摩擦も己に課す生活を強いることになる。

「これがいい」と焦点を絞っていくことでクリアになること
その世界観の輝かしさばかりに集中しすぎると
色んなノイズを包括して全体として許容していく
量としての豊かさ余裕みたいなものとは離れていく。

バッファを残していく。
それはバッファという未来への投資というか
伸びしろっていうか、可能性っていうか
決めつけないで、また後退することも含めて。

1Q先の未来も良く見えない毎日ではあるけれど、
人類の事情なんぞおかまいなく
ぐいぐい成長する植物たちなど見ながら
「これでいい」と「これがいい」の狭間をしばらく探検しようと思う。

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